218話 真の胆力
イゼルでの戦いから一週間。
ファントの町はすっかりと日常を取り戻したが、その一角……住民たちの憩いの場であるマーサの宿屋には、凄まじいまでの緊張感が漂っていた。
「ハァ……お前はもう少し、立場というものを考えて行動するべきだと思うんだがな?」
「フン。そのような些事などどうでも良い事だ。むしろ、そんな物に気を揉んでいては、肝心な所で足を掬われかねん」
「まぁ……そうではあるが……」
あくまでもここは大衆の為の酒場兼食堂。しかし、ため息と共に苦言を呈したテミスの前には、それに見合わない錚々たる面子が顔を並べていた。
「兎も角……今回の件は本当に感謝するよ。テミス……そしてフリーディアさん」
柔らかな笑みを浮かべたルギウスが口火を切ると、陳謝と共に深々と頭を下げる。
「気にしないで。もともとは人間側の不始末……。当たり前の事をしただけだわ」
「ハンッ……私はただの尻拭いだがな」
凛とした笑みと共にフリーディアが答えると、それに被せるように鼻を鳴らしたテミスが唇を尖らせる。
そもそも、今回の件は規格外が多すぎたのだ。
倫理すら棄て去った敵に、罠だと知りながらも渦中に飛び込む将兵。極め付けは、それを接近せずに救い出さねばならんというオマケつき……。そこに追い打ちをかけるように行われたフリーディアの我儘による独断専行。
だが。……誠に遺憾ながら? 心の底から口惜しくはあるが、その独断専行が功を奏したのは認めざるを得ない。
「まぁそう腐るなテミス。お前ならば何とか成し遂げると思っていたぞ。何せ、戦う力を失って尚立ち上がった不死身の女だ。何ならそこに、殺されて尚立ち上がったあの逸話も付け加えるべきか?」
「ハハッ……噂は聞いているよ。不死鳥……だったかな? 眠れる剣姫に続いて、新しい二つ名だね」
「あら、テミスの二つ名ならいくらでもあるわよ? 白銀の悪魔に漆黒の死神。暴虐の魔神なんてのもあったわね?」
クスリと笑みを浮かべたギルティアがそう告げた途端、それに乗ったルギウスとフリーディアが次々とテミスのあざなを並べていく。
「解った……解ったから止せ。背筋が痒い。どちらにせよ化け物扱いに変わらんでは無いか」
そんなギルティア達を半目で睨みながら、テミスは早口でその話題を叩き切る。
何が不死鳥に悪魔に死神だ。今日日厨二病でもそんなコテコテの二つ名は名乗らんぞ。
「……それで? お前達が訪ねてくるのはわからんでもないが……。ギルティア。何故ここを指定したのだ?」
テミスは一番の疑問をギルティアにぶつけると、半ば諦めたようにため息を吐く。どうせコイツの事だ……下らん事に違いない。そんな下らん思い付きに巻き込まれるアリーシャ達が不憫で仕方がない。
そんな憐憫にも似た感情を抱きながら、テミスはカウンターの方へチラリと視線を流す。そこでは、顔を青くしてこちらを眺めながらも、慌ただしく厨房へと目を走らせるアリーシャの姿があった。
「何……単純な話だ。ファントに出向いた者達が口を揃えて、ここの料理を美味い美味いと絶賛するのでな。興味が湧いたのだ」
口角を上げたギルティアがそう告げた途端。カウンターの方から、ガシャリという音が響いてくる。再びそちらに視線をやると、今度こそ完全に顔から血の気が引いたアリーシャが、ちょうどその場にへたり込んだところだった。
「全く……やはりお前は、一度自分の言葉が他者に与えるプレッシャーというものを熟考すべきだ」
「ハハ……確かに、誰もが皆。テミスの様に豪胆な心臓を持ち合わせては居ないだろうからね」
「豪胆で済むのなら可愛いものだわ。最早狂人の所業よ」
「フッ……だ。そうだが? お前も一度、自らを省みるべきだと言葉を返そうか」
「ハァ……。もう良いさ……」
再び漂い始めたお遊びムードに、テミスは再びため息を吐いてそっぽを向く。何だか、真面目に話しているこちらが馬鹿馬鹿しくなってきた。
「はいよ! お待ちっ!」
「ちょっ――母さんっ!?」
明るい笑い声が響いたその席に、マーサの豪胆な声がホカホカと湯気を上げる料理と共に割って入って来た。その後ろでは、一度で運びきれなかった料理を手にしたアリーシャが、青い顔で悲鳴を上げていた。
「ククッ……流石はマーサさんと言うべきか」
その姿に、テミスはニヤリと口角を上げると、小さく呟いた。
これこそがまさに豪胆というものだ。私などとは違い、マーサは紛れも無い人間の一般人。そんな者が、私はともかく魔王や軍団長を前にして、顔色一つ変えないのは、まさにその言葉を体現していると言っても良いだろう。
「なんだい? アリーシャ。魔王様だって立派なお客様だ。変に畏まってちゃそれこそ失礼ってもんさね」
「でっ……でもっ――!」
「ホラ。ぐずぐずしなさんな! お待たせするのはもっと失礼だよ!」
「っ……! うんっ! し、失礼しますっ……!」
そんなやり取りの後、檄を飛ばされたアリーシャが、おずおずと続きの料理や飲み物を配膳していく。マーサの言葉通り、そのメニューもいつもと変わらない普通の物だった。
「魔王様のお口に合うかは解らないけれど……精一杯の腕は振るわせて貰いましたよ」
「フッ……慣れぬ謙遜は止すといい。その自信に溢れた瞳……存分に舌鼓を打たせて貰うとしよう」
「ハハッ……やれやれだ。流石魔王様……お人ができているねぇ」
マーサの言葉に、ギルティアはギラリと鋭い眼光を走らせるが、マーサはそれを笑い飛ばすと大きく頷いて見せる。
「……凄まじいわね」
「ああ……脱帽だ……」
「……だろう?」
フリーディアとルギウスとテミスの三人は、その光景を眺めながら小さく乾いた笑みを浮かべて頷き合ったのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




