217話 譲れないもの
「さぁ、これで邪魔者は居なくなった。この無駄な戦いも、終わると――ッ!?」
血濡れた大剣を手にフリーディアに語り掛けるテミスの言葉を、固い金属音が遮る。剣と剣が打ち合わされたその音は、テミスの真横から放たれていた。
「どういうつもりだ? フリーディア」
「……何で。なんで殺した……?」
こうして言葉を交わしている間にも、打ち付けられたフリーディアの剣は、ギリギリと音を立てて受け止めたテミスの大剣に押し付けられ続けている。
「解らん奴だな。連中を始末しなければ困るのはお前達だぞ?」
「そんな事は無いわッ! ……理由なんて……いくらでも……」
「ハッ……私には理解できんよ。自らを害する者まで愛そうとするお前の事はな」
テミスは涙目で自らを睨み付けるフリーディアを見下ろして鼻で嗤った。
ルギウスをこちら側へ返還するのならば、王宮騎士連中を始末しなければどうにもならないのは明白だ。上の人間が今回の和平交渉を戦略としている以上、タダで帰しては責任追及は免れない。かといって、ただ逃げられました等と言った所で、信憑性に欠けるのは間違いない。最悪、フリーディアと我々の関係が露呈する可能性だってある。
「……まぁ、それはそれで好都合だったかもしれないがな」
故に、カルヴァスは苦肉の策として、我々に襲撃させるという建前を用意したのだろう。
白翼騎士団がルギウスの身柄を王宮騎士に引き渡したと主張すれば、この戦いは追撃戦に見えるだろう。彼からしてみれば、白翼騎士団としての名誉は保たれ、かつ人魔が終わりの無い最終戦争へと突入する事を防ぐには、他の手段は無かったとも言える。
「まぁ、一応礼を言っておこうか。罪無き民の犠牲は避けられた」
「ふざけないで! 貴女が殺した王宮騎士の彼等に罪なんて無いわ!」
「あるさ……一応な」
テミスはため息と共にそう言い放つと、押し付けられ続ける剣を受け流して、大剣を地面に突き立てる。
「連中は戦況が拮抗しているにも関わらず、戦闘に加わろうとすらせずに傍観していた。私がお前に組み付き、無防備に背を晒していたのにな」
「それはっ……」
武器を手放したテミスに気勢を削がれたのか、剣を下ろしたフリーディアが口ごもる。
「お前ならばわかる筈だ。集団戦闘において、組み技がいかに愚策かはな……」
目を逸らしたフリーディアに向けて、テミスは畳みかけるように理論を展開する。
集団戦闘において、全身を使って一人の動きを封じる技は無意味に等しい。たとえ最強の敵に組みついて動きを封じた所で、周囲の敵に対して無防備を晒していては即座に斬られてお終いだ。
「なぁ、フリーディア……もう解っただろう?」
黙り込むフリーディアに向けて、テミスは悲し気に眉を寄せて語り掛ける。
「人間共に正義は無い。いくらお前が力を尽くした所で、お前の望む未来がやってくる事など永遠に無い」
「……やめなさい」
「たとえ我等魔王軍を下し、魔族を支配下に置いた所で、次は人間同士での争いが始まるだろうさ」
唸るような低い声で制止するフリーディアの言葉を無視して、テミスは言葉を続けた。
人間達は今でさえ一枚岩では無いのだ。比べ、虐げ、蔑ろにしている。私がこの世界に来た日……民衆達がアントム……深手を負った兵達に石や暴言を投げつけていたように……この戦いだって、石を投げる相手が魔族に変わっただけだ。
「君はそちら側に居るべき人間ではない。私の旗下が嫌だというのなら別の軍団……いや、私からギルティアに掛け合って、新たな軍団を創設しても――」
「――ふざけないで! 私は、白翼騎士団の団長……人々を護る義務があるのよ!」
「義務だと!? 下らん! いずれ背中を刺しに来る連中に目を奪われ、大義を見失ったか!?」
フリーディアが言葉を荒げると、テミスもまた怒りを吐き出すかのように怒鳴りを上げる。
――何故。解らない? 奴等は話し合いの余地も……降伏して生き延びるという最低限の権利すら棄てたのだ。そんな連中がこの戦いに勝利したからと言って、お前の望む平和な世界が訪れる筈も無い事など自明の理だろう!?
「うるさいっ!! 誰もが貴女みたいに自由じゃないのよッッ!!!」
「……っ!」
テミスの怒鳴りを受けたフリーディアが、目に見えて歯を食いしばった直後。ギラリと目を剥いたフリーディアの咆哮が、テミスへと叩き付けられた。そして、目を見開いて驚愕するテミスに向かって、力ない笑みを浮かべながら静かに口を開く。
「それでも、私は人間なのよ……。貴女が討とうとしている人たちの中には、私の父上も母様も居るわ」
「そう……だったな……」
悲し気に告げたフリーディアの言葉に、テミスは言葉を詰まらせる。
繋がりというのは時に、人を縛るしがらみとなる。
私はいわば根無し草。この世界に降り立った時点で、父も母も無い天涯孤独の人間だ。だからこそ、人でも魔でも選択する事ができたのだ……。もしも仮に、人間達の元で生み育まれ、人々との絆が出来上がっていたのなら。私は、それでも人間領を捨て、魔王軍に付くという選択をできたと断言する事はできない。
「あなたこそ、こちらに来る気は無いの? あなたの様に新しい騎士団を用意する……とまでは言えないけれど、それなりの地位は保証するわよ?」
悲し気に微笑みながら、フリーディアは何処か疲れのにじむ声でテミスへと問いかけた。瞬間。テミスはその声と表情こそが、彼女の全てを体現しているのだと理解した。
フリーディアはそもそも、今の人間達が間違っているなんて事は百も承知しているのだ。それを受け入れた上で、変えて見せる……と。その手伝いを私にしろと問いかけているのだ。
「……地位なんて欲しくはないさ。そんなものに固執しているのならば、初めて君と出会った日に誘いを受けている」
「そう……よね」
だが、それでは駄目なのだ。
テミスもまた、柔らかい笑みを浮かべながら、芯の籠った言葉でフリーディアの誘いを断る。
それでは、今までと何も変わらない。
子供を殺した犯人が更生し、暖かな家庭を築く一方で、子供を奪われた家族は永遠にその呪縛から解き放たれる事の無いあの世界と同じなのだ。
ならばこそ、悪の元を断ち切らなくてはならない。
「結局。我等が本当の意味で肩を並べる日は来ないのだな……」
ボソリ。と。悲し気な笑みを浮かべたまま、テミスが呟きを漏らす。
以前のように、一時的に共闘する事はあるのだろう。だが同じ旗を掲げ、その元に集う事は、私が魔王軍に、フリーディアが人間軍に所属している以上、永劫に無い。
一瞬の沈黙の後、寂し気に肩を落としたテミスに向けて、フリーディアは悪戯っぽい笑みを浮かべて口を開いた。
「あら、貴女が正義を曲げるだけよ?」
「……君が家族を捨てるだけだ」
売り言葉に買い言葉。笑顔で言い放ったフリーディアに、テミスもまた皮肉気な笑みを浮かべて言葉を返す。
「……………クッ……クククッ……」
「……………フフ……フフフッ」
そして、数秒の沈黙の後。二人は同時に腹を抱えて笑いはじめた。
「難儀なものだ。互いに平和を夢見ながら、譲れないものがあるとはな」
「ええ、本当に。でも……だからこそ救えたものもあるわ」
互いに笑い合いながら言葉を交わすと、不意にフリーディアが剣を構えて声を上げる。
「私と貴女は敵同士……今はそれで良いわ。なら、やるべきことは一つでしょう?」
「やれやれ……本当に、難儀なものだ」
その言葉にテミスは大きくため息を吐くと、自らも大剣を構えて宿敵を見据える。
たとえ、戦場とはいえここは人間領。全てが片付いたからと言って、ハイお疲れ様でしたと解散する訳にもいかないのだろう。
「行くぞッ……!」
テミスは気合共に剣を振り上げると、再びフリーディアとの剣戟を再開したのだった。




