2286話 ヒトの答え
テミスが飛び去った後。
ネルードの戦場には怨嗟の声が響いていた。
テミスの放った光の刃により地面に縫い留められた『先生』は、バヂバヂと肉の灼けるような音を延々と奏でながら、今もなお逃れようと藻掻き続けている。
だが、『先生』の異形の肉体を貫いた光の刃は、いくら引き抜こうと力を込めても微動だにする事は無く、逆に掴んだ『先生』の手を焼き焦がした。
「グッ……ゥゥゥ……!!! クソッ! クソッ!! クソォッ!! 一体、何だってんだよッ!! アレはァッ……!!」
それでも足掻く事を止めない『先生』は、白煙を燻らせる手を握り締め、拳を以て光の剣を一心不乱に殴りつける。
その一撃一撃の威力は、ヒトの身で受ければ骨は砕け、肉が弾ける程の威力を誇っていたものの、『先生』の身体に突き立った光の剣は揺らぐ事も曲がる事も無く、全ての打撃を受け止めていた。
「……さぁて、僕たちはこれ、どうするべきなんだろうね?」
「さぁ? 全ては神……いいえ、御使い様ぞ知る……といった所なのではないですか?」
「それ、本人の前では絶対に言わない方が良いと思うよ?」
「わかっていますよ。だからこそ、居ない所で言っているんです」
地面に倒れ伏したまま、アイシュとスイシュウは言葉を交わすと、クスリと意味深な微笑みを浮かべる。
アイシュもスイシュウも、テミスが天使のような姿と化して、一方的に『先生』を蹂躙したうえで自分達を蝕む呪いを癒し、飛び去った事は理解していた。
「正直に言っちゃうと、僕もすごく気になるところではあるけれどね。でも、彼女が話したくないのならそれで良いさ」
「はぁ……せめてあの柔らかそうな翼、撫でさせて……いえ、包まれて吸わせては貰えないでしょうか……?」
「やれやれ……君も筋金入りだねぇ。でも、安心したよ」
「……流石に、弁えていますよ。彼女が何を秘していたのだとしても、私たちが踏み込むべきではない」
「うん。テミスちゃんは全力で僕たちを助けてくれた……。今はそれだけで良いじゃない」
「勿論です。あぁ……この気持ち、この昂り……!! あぁ、あの子たちもきっと、こんな気持ちだったのでしょうね……」
「…………」
スイシュウは終始落ち着いた声でアイシュに語り掛けていたが、その一方でアイシュは何処か熱を帯びた声色で応えていて。
しかし、正気を失っている訳でもないが故に、スイシュウはただ苦笑いを浮かべただけで、艶やかな微笑みを浮かべるアイシュを黙殺した。
「っ……! おっと、どうやらお帰りのようだ。思ったよりも早いね」
「ッ……!!!」
ばさり。と。
上空から響いた羽音に、スイシュウはピクリと肩を跳ねさせると、僅かに緊張を帯びた声で告げた後、ゆっくりと空を仰ぎ見た。
同時に、アイシュは恍惚とした笑みを浮かべて上体を起こして空を見上げ、まるで縋るかのような格好でテミスの着地を見守っていた。
「…………」
「……お帰り。見ての通り、こっちは問題無いよ。そっちはどうだったんだい?」
地上へと降り立ち、広げていた翼を畳んだテミスに、スイシュウは横たえていた体を起こして地面に座り込むと、穏やかな声で問いかける。
その問いはテミスにとって、些か想定外だったらしく、僅かに驚いたような表情を浮かべた後、クスリと静かな微笑みを浮かべて口を開く。
「被害は甚大だ。砦は余さず吹き飛んで瓦礫の山。そこに転がっている化け物だ宣った通り、爆心地から徐々に呪いが周囲を汚染していた」
「それは……何と言ったらいいか……。でも、君が戻ってきたという事は、呪いの方は何とかしたんだろう?」
「あぁ。呪いは余すことなく全て祓った。呪いだけはな」
「……心中察するよ」
スイシュウは務め冷静さを保ちながら、いつもと変わらない自分を強く意識して言葉を交わす。
相手は自分等及びもつかないほどの力と神聖を有した存在だ。本来ならば言葉を交わす事すら恐れ多く、ただ伏して感謝の言葉を唱え続けるべきなのだろう。
だが、スイシュウの知る限りテミスという少女は、たとえ自身が神の身であったとしてもそのような扱いを望まないであろう……と。
短いながらも共に過ごした時間の中でそう理解していた。
「…………。お前は、その……」
一方で。
アイシュはぷるぷると小刻みに震えながら頭を垂れており、テミスは一言すら発しないアイシュをチラリと一瞥してから、何かを言い淀むかのように口を開きかける。
……その時。
「あぁっ……!! はぁぁっ!! も、もう我慢できませんッ!! 何と美しいその姿ッ!! はぁっ、はぁっ!! さぁ、今すぐ私の胸の中へ――むぐっ!!」
「ッ……!? …………。ははっ、大した奴だな。お前も、コイツも」
息を荒げたアイシュは突然弾かれたように飛び出すと、両手を広げた格好でテミスへ向かって飛び掛かった。
一瞬。
その姿にテミスは驚きの表情を浮かべたものの、閃いた腕ががしりとアイシュの顔を掴み、変態の魔手が己が身へ触れることを阻止する。
しかし、その表情は何処か安堵のような微笑みが浮かんでおり、テミスは小さく肩を竦めてスイシュウへ言葉を紡いだ。
「お褒めに与り恐悦至極……なんてね。僕が何かできる事はあるかい?」
「はぁっ! ぁはぁっ!! なんて幸せな手触りっ……!!」
「っ……!! チッ!! この筋金の入った変態めっ!! スイシュウ。その変態をしっかりと捕まえておけ!」
そんなテミスとスイシュウが言葉を交わす傍らで、テミスの手に捕まったアイシュの伸ばした手が、背から生えた翼に触れる。
瞬間。ビクリと全身を震わせたテミスは、舌打ちと共にアイシュをスイシュウの傍らへ投げ捨てると、普段と変わらない荒々しい言葉でスイシュウに告げ、肩を怒らせて二人に背を向けたのだった。




