2285話 冷たき癒し
ネルードの戦場から飛び去ったテミスは、湖の上空を一直線に飛行すると、瞬く間にパラディウム砦を有する島へと舞い戻った。
しかし島の姿は、上空から一瞥しただけでも、無残な姿に変わり果てていた。
復旧中の砦の跡が残っていた山頂部分は、爆風によって綺麗に消し飛んでおり、草木の一本すら見当たらない瓦礫の山と化している。
加えて、『先生』が自慢気に宣っていた通り、地面から立ち上る煙に混ざって、瘴気のような薄い煙が一帯に漂っており、それに触れた生き残りの草木は瞬く間に枯れ果てて黒い塵と化していく。
「…………」
バサリ。と。
背中の羽根をはためかせて空中に留まったテミスは、眼下に広がる凄惨な地獄絵図を見下ろしながら、静かに目を凝らして島に留まる生存者を探した。
見たところ、一番被害が甚大なのは山頂部分のようだが、爆風の影響は麓の拠点まで至っているらしく、随所に被害が見受けられた。
「っ……!! フリーディア……ユナリアスッ……!! 何をしているッ!!」
上空から眺めただけでもわかるほどに、島の拠点に残っているロンヴァルディアの兵達は混乱をきたしており、まるで統率が取れていないことが見て取れる。
無論。この世界に在る筈の無い兵器による不意の一撃だ。混乱をするなという方が無茶なのだろうが、フリーディアやユナリアスの指揮統率力を以てすれば、眼前の被害を収める程度の事で混乱をきたすことなどありはしないはず……。
「っ……! まさか……!!」
瞬間。
テミスの脳裏に一つの予感が走ると、麓の拠点へと向けていた視線を頂上の地獄へと移す。
確か頂上の砦には、復旧作業のために本国から送られてきた追加の人員が、作業のために駆り出されていた筈だ。
もしも、復旧の現場指揮を執るために、二人が頂上まで赴いていたとしたら……?
「そんな……そんな馬鹿なことがあってたまるかッ……!!」
背筋を駆け抜けていく言い知れぬ不安を吐き捨てるように、テミスは荒々しい口調で呟くと、翼を畳んで急降下して山頂の荒地へと降り立った。
テミスが着地した途端。
周囲に漂う呪いが、自分達の肚の中へと飛び込んできたテミスを蝕むべく殺到するが、テミスが身に纏う神々しいまでの威圧はそれらを寄せ付ける事は無く、黒い靄は片端から音も無く霧散していった。
「誰かッ……!! 誰かいないのかッ!!」
しかし、地獄の光景の内へと降り立ったテミスに、それを気にかける余裕などなく、生物の痕跡一つ見当たらない不毛の地を見渡してから、大きな声で生存者に呼びかける。
だが、声を張り上げて数秒待ってみたところで返ってきたのは静寂ばかりで。
テミスの耳には自らが張り上げた叫び声が、木霊して消えていく音がこびり付くように残っていた。
「っ……!! フリーディアッ! ユナリアスッ!! 居ないのかッ!!?」
バキバキ、メキメキと。
遠くから今もなお広がり続ける呪いに蝕まれrた気が斃れる音を聞いたテミスは、小さく跳躍して地面から飛び上がると、声を張り上げながら低空飛行で山頂部を飛び回る。
けれど、いくら探し回ろうとも人を見付けるどころか、獣や虫の一匹すら見当たらず、静かに忍び寄った絶望がゆっくりとテミスの心を満たしていった。
「誰でも良いッ!! 生存者は……生きている奴は居ないのかッ……!!!」
数度呪いに蝕まれた頂上部分を飛び回ったあと、テミスはちょうど砦が在った辺りの瓦礫の山の上に降り立つと、絞り出すような声で叫びを重ねる。
だが同時に、テミスも胸の内ではこの場に生存者などいないことは理解していた。
たとえ運良く爆発を凌いで生き延びたとしても、この場に充満した呪いが等しく生物を呪い殺すだろう。
つまり、パラディウム砦の在ったこの山頂部に、生存者がいる可能性は絶無。
万に一つの可能性をも消し去るこの地獄を作り出すことこそが、あの忌々しい女神をも引きずり出した理由なのだ。
「ハッ……神からしてみれば、この程度の被害は誤差の範疇なのだろうな」
ついでに、女神に反旗を翻している自分への当てつけにもなる。
胸の内に溜まった絶望を怒りが塗り替えていく感覚を味わいながら、テミスは静かに傍らに浮かぶ長刀の柄を掴んで振るうと、呪いに汚染された空気を真一文字に切り裂いてから逆手に持ち替えた。
「そう言うところが癇に障るのだ……。だが……契約は果たすさ」
天を憎々し気に見上げたテミスは、酷く低い声で吐き捨てると、逆手に持ち替えた長刀を地面へと突き立てる。
どうやらあの女神も一応は神の端くれらしく、放置すればまず間違いなく、この世界全ての生物が死に絶えるであろう『先生』の所業は看過しかねるらしい。
一方でテミスも、この世界で暮らす者の一人として、『先生』の行いは絶対に許してはならない巨悪だといえる。
つまり忌々しいことに、こと『先生』に対する姿勢では、テミスと女神の利害は完全に一致しているといえるだろう。
「……浄滅」
瓦礫の山の頂上に長刀を突き立てたまま、テミスはばさりと純白に輝く両翼を広げると、静かな声で言霊を紡いだ。
その魔法の知識はテミスが元々有していたものではないにも関わらず、自然と脳裏に焼き付いていた魔法だった。
テミスが魔法を発動させると、全身から迸る魔力が光の粒子と化し、呪いに蝕まれた大地を包み込む。
それはさながら、この地に食い込んだ呪いを清浄なる力が包み込み、塗り潰していくかのようで。
「…………」
放たれた光は十秒ほどで虚空へと消えると、そこにはただ荒廃した瓦礫の山が広がっていた。
しかし、辺りに漂っていた邪気は欠片たりとも残ってはおらず、周囲の草木を枯らしながら広がっていた浸食もピタリと止まっている。
そんな瓦礫の山の中心で、テミスは静かに立ち上がって長刀を引き抜くと、再び翼をはためかせて空へと飛び立っていったのだった。




