2284話 神意下達
再び動き出したテミスに意識は無かった。
だが、深く傷付き壊れた筈の肉体は完全に治癒しており、失ったはずの血液も元に戻っている。
ともすれば、傷を負っていなかったと説明するしかない事態だったが、テミスが身に纏う服に空いた無数の穴が、確かに傷を受けたのだという事を物語っていた。
「…………」
『先生』を地面に縫い留めたテミスは、棒立ちのままグラリと身体を傾がせて天を仰ぐと、閉ざしていた目を静かに開く。
「ハハ……」
次に響いたのは乾いた笑いで。
その掠れた声は確かに、皮肉気に歪められたテミスの唇から漏れ出ていた。
「クソッタレの女神モドキが……!! ハッ……良いだろう。その取引、乗ってやる。だが、利用されてやるのは一度だけだ」
天を仰いだまま、テミスは誰にも聞こえないほど小さな声で呟きを漏らすと、小さく頷きを返した。
瞬間。
燦然と輝く光の柱がテミスの体を覆い隠し、絶望の漂う戦場を光が包み込む。
そして……。
「フム……力が漲ってくる」
バサリ……と。
突如として響いた羽音と共に、周囲を包んだ光は一瞬で晴れ、そこには天使が如き白い翼を有する姿へと変じたテミスが、静かに宙に佇んでいた。
「なっ……! なっ……!! なんだッ……!? その姿はッ……!!!」
「…………」
アイシュの剣で地面へ縫い留められたまま、『先生』は姿の転じたテミスを見上げて問いかける。
しかし、テミスはチラリと『先生』を一瞥しただけで答えを返す事は無く、ばさりと羽ばたいて地面に広がる血だまりの上へと移動すると、自身が流した血の中に沈んでいた漆黒の大剣を拾い上げた。
すると瞬時に、血塗れだった漆黒の大剣は、燦然と光輝く一振りの長刀へと姿を変え、まるでテミス自身の意図に従うかの如く、テミスが手放して尚その傍らに浮遊して追従する。
「ッ……!! 答える気はないという事かッ……!! 卑劣な奴めッ! 今の今まで力を隠していたなッ!! まさか、お前も超越者だったとはッ……!!」
「……勘違いをするな」
自身の腹を刺し貫いた剣を握り締め、『先生』はテミスを見上げて叫びをあげる。
そこで初めて、長刀を傍らに従えたテミスは『先生』をしっかりと見据えると、神々しい外見からはかけ離れた冷たい声で言葉を紡いだ。
「これは私の力ではない。あの忌々しい女神と契約……取引をしたのだ」
「取引……だとッ……!?」
「あぁ。この世界そのものを破壊せんとするお前に女神は大層お怒りだ。お前諸共、この世界に生じた呪いを払えとのお達しだ」
淡々と言葉を紡ぎながら、テミスはばさりとその背の羽根をはためかせると、薄い霧のような光の粒子が、倒れ伏したアイシュとスイシュウから、サキュドやコジロウタたち、そして戦場へと広がって包み込んでいく。
すると、光の粒子に包まれるや否や、呪いに蝕まれて異形へと変じていたアイシュとスイシュウの腕が砕け散り、その中から元の人間の手が傷一つ無い形で現出した。
同時に、呪いに蝕まれ苦しんでいたサキュド達も同様で、意識こそ戻らなかったものの、荒々しく苦し気だった呼吸は皆一様に穏やかなものへと戻っていた。
「なっ……!? の……呪いの力がッ……消えたッ!?」
「お前は何やらごちゃごちゃと、大層なお題目を並べ立てていた訳だが……これで神意は示された訳だ。お前は神に選ばれた訳でも何でもないッ!! ただ呪いという力に溺れただけの神敵だとなッ!!」
地面に尻もちをついたままの『先生』を見下ろし長ア、テミスは凛とした声色でそう宣言すると、傍らに突き立っていたスイシュウの剣を無造作に抜き放つ。
しかし、剣が纏っていた禍々しい力がテミスの身体を蝕む事は無く、逆にテミスが身に纏う神々しい力がスイシュウの刀を覆い尽くし、瞬く間に禍々しい呪法刀は光の剣へと姿を変えた。
「う……嘘だッ!! 私は選ばれたのだッ!! この力にッ!! 神にッ!! それ以外に理由など無いはずだッ! いいや、あって良いはずがないッ!!」
「……少し、大人しくして居ろ」
「ガハッ……!? ウギィィヤァァァァァッッッ!!!」
それを見上げながら、『先生』は自身の腹に突き立ったアイシュの剣を抜いて投げ捨てると、勢い良く立ちあがって喚き立てる。
だがすかさず、テミスは携えていた光の剣を投げ放つと、再び『先生』を地面へと縫い留めた。
しかし、光の剣は『先生』の動きを封じるだけに留まらず、ジュウジュウと肉を焼くような音を奏でながら、呪いに覆われた『先生』の身体を蝕んでいく。
その激痛に、異形とかした手足を振り回した『先生』が苦悶の絶叫をあげる傍らで。
「っ……!!」
テミスは再びばさりと羽をはためかせて宙へと舞い上がると、地面に縫い留められた『先生』とアイシュたちをその場に残したまま、ネルードの戦場から飛び去ったのだった。




