2277話 刃、届かずとも
胸を刺し貫かれたはずの『先生』は、まるで何事も無かったかのようにゆったりとした動きで立ち上がると、眼窩すら存在しない顔をテミス達へと向ける。
まさしくその姿は異形の化け物という他はなく、相対するテミスとアイシュ、そしてスイシュウの背に等しく怖気を走らせた。
「皮肉だな。私が君たちへ与えたその剣が、私が別次元の存在へと昇華している事の証明となったのだから」
「そいつは一体どういうことだい? ひとつ、解説をしちゃあくれないかな?」
穏やかに紡がれるその言葉に、テミスが皮肉を吐き出しかけた時。
機先を制したスイシュウが一歩前へ進み出ると、朗らかな声で問いかけた。
しかし、その手は既に腰の剣へと番えられており、スイシュウが油断していないことを物語っていた。
「知らずに逝った方が幸せではないのか? これを知れば、君たちの絶望はより深いものとなる」
「冗談は止してよ。たとえ死ぬのだとしても、自分が何にに殺されるのかくらい知って死にたいじゃないか」
「良いだろう。なに、事は単純明快だ。さして時間がかかるものでもない」
「助かるよ。生憎、僕は君と違って学が無いからね、わかりやすく話してくれるとありがたいな」
かたや朗らかに、かたや穏やかに。
スイシュウと『先生』は戦場には似つかわしくない声色で言葉を交わすと、一時の休戦へと至った。
だが刹那。
テミスはスイシュウが自身へチラリと送った視線の意図を、至極正確に読み取っていた。
つまるところは、時間稼ぎと情報収集。
自分が『先生』を宥めて賺して情報を引き出している間に、スイシュウはテミスに体勢を立て直して対策を練れと宣っているのだ。
「君たちへ与えた呪法刀は、試作品の欠陥品ではあるものの、確かに呪いの力を帯びている。だからこそ、同質の力を用いて超越者へと至った私にも届き得るという訳だ」
「ははぁ……。だけど、その理屈だとわからないことがあるね。超越者へと至ったはずの君の身体が、僕たちの持つ失敗作に圧し負けてしまった理由は何だい?」
「愚問だな。私は今、こうして君たちと相対してこそいるものの、位階の異なる領域に居る。仮にこれを位階差障壁と呼ぶとしよう」
「見えてきたよ? つまりその、位階……なんとかという障壁があるから、彼女の大剣は君に届かないという事だね?」
「学が無いと卑下する割に、存外理解が早いな。対する呪法刀は私と同じ性質の力を帯びている。故に、私が位階の壁に穿った孔を通って私に届き得るのだろう」
察するに、元の気質を圧倒的優位に立っているという事実が背を押しての事なのだろう。
素直に頷きながら質問を重ねるスイシュウに、『先生』は何処か楽し気な雰囲気すら漂わせながら、饒舌に自身の考察を語ってみせた。
だが仮に、この情報がすべて正しかったのだとしても、ただテミスの攻撃が絶対に『先生』に届かないという事がわかっただけで、現状を打開する一助には到底なり得ない情報だった。
「…………」
しかし、テミスは既に己の内で行動の指針を定めており、油断なく大剣を構えたままジワリと半歩後ろへ退がる。
例えこちらの攻撃は通らずとも、相手の攻撃を防ぐ事は出来る。
加えて、奴の言葉が正しいのであれば、アイシュとスイシュウならば奴を斃し得るという事だ。
ならば、やるべきことはただ一つ。
「防壁。加速。筋力増強。耐魔付与」
「っ……!」
静かに息を吸い込んだテミスは、一気に身体の中で魔力を練り上げると、次々に魔法を発動させていく。
対象は、スイシュウが言葉を交わしている間も、虎視眈々と『先生』の隙を伺っているアイシュで。
テミスが呪文を紡ぐたびに、アイシュの身体は僅かに薄く光を放つ。
「次はお前だ。加速。防壁。耐魔付与。筋力増強」
続けて息を吐く暇もなく、テミスは魔法の対象をスイシュウへと移すと、回避と防御に類するものから順に、再び同じ魔法を紡いだ。
これらの魔法はかつて、魔王城であるヴァルミンツヘイムへ赴いた折に、第二軍団長であるドロシーから半ば無理矢理教え込まれた魔法だった。
「ありったけの強化魔法をお前達に付与した。私は援護に回る……反射」
驚きの表情を浮かべるアイシュとスイシュウにそう告げながら、テミスは自分自身にも身を守る為の魔法を一つだけ展開した。
「まさか、あのいけ好かない魔女に教わった魔法を使う時が来るとはな。忌々しい。だがこれが最善だ。癪だが背中は預かってやるッ!」
「何を企んでいるかと思えば……この期に及んでまだ悪足掻きを続けるとは。だが良いだろう。今はその足掻きすら、心地いいッ!!」
「やれやれ……結局は力押しかいっ!! でも……やるしかないねぇっ!!」
「ふふ、終わらせましょう。今ならば何でもできる気がしますよ」
テミスが強化魔法を付与したのを皮切りに、『先生』は高らかな宣言と共に歪な長剣を構えてみせる。
そんな『先生』を前に、スイシュウは鮮やかに抜刀しながら大きく後ろへ跳躍して距離を取り、アイシュは流麗に構えを変えて並び立つと、不敵な微笑みを湛えて嘯いたのだった。




