2276話 獅子の救援
アイシュの奇襲を受けた『先生』は、ピクリとも動かないままその場に倒れ伏していた。
影に両断された腕もテミスは即座に引き剥がし、離れた傍らへと投げ捨ててある。
だがそれでも、アイシュは剣を抜き放ったまま警戒を解かず、テミスもまた立ち上がって静かに身構える。
「……アレ。やったと思いますか? 一応、心臓を貫いたはずなのですが」
「十中八九仕留め切れてはいないだろう。とはいえ、迂闊に仕掛けて良い相手ではない」
「それはそうなのですが……随分と苦戦していましたね? お仲間も全滅みたいですし」
「奴自体が強く、迅い……というのもあるが、恐ろしく頑強だ」
「えぇ……? そうは感じませんでしたけど……」
「…………」
「…………」
倒れ伏したまま動かない『先生』を前に、テミスとアイシュは言葉を交わした後、何とも言えない沈黙が二人の間に訪れた。
尤も、真正面から斬り合っていたテミスとは異なり、アイシュの一撃は完全に不意を突いたものだった。
だからこそ、二人の認識にある程度の齟齬が生まれるのは必然というものなのだろうが……。
「なぁにかあるよねぇ……これは、絶対」
「っ……!?」
「遅いですよ。危うく間に合わない所でした」
その沈黙を破ったのは、突然テミス達の背後から駆けられたのんびりとした男の声で。
ビクリと身を跳ねさせたテミスの肩に柔らかく掌を置くと、ゆったりとした微笑みを浮かべたスイシュウが姿を現した。
「そこは、ホラ。アイシュちゃんに任せたのさ。あれだけ血相を変えて飛んでいったのだもの、君が間に合わないはずがないってね」
「ほぉ……? そうなのか?」
「なっ……!? 余計な事をッ……!!」
「その間に、ボクはちょっと彼女たちの様子を見てきたんだけれど……」
「何かわかったのか?」
朗らかに言葉を続けたスイシュウに、僅かに顔を赤くしたアイシュが声を荒げる。
だが、スイシュウが身振りでそれを制して話を続けると、今度はテミスが鋭い声で先を促した。
「残念だけど、治し方まではわからなかった。ただ、僕たちの扱うこのおっかない剣と似た力であるのは間違いないね。でも皆、生きてはいるよ。今のところはね」
「っ……。呪い……か……」
投げかけられた問いに、スイシュウが言葉を濁す事無く答えると、テミスは歯噛みをしながら倒れたままの『先生』を睨み付けた。
全員がまだ息があるというのは朗報に違いないが、『先生』の言葉を真に受けるのであれば、サキュド達を治療する方法は存在しないという事になる。
とはいえそもそもが、ヒトの有する負の感情エネルギーなどという、テミス達の理解が全く及ばない事象なのだ。
唯一それを研究していた『先生』が敵であり、協力を望めないというのならば、テミス達にできる事は最早、元凶である『先生』を殺して呪いが解ける事に賭けるくらいだろう。
「……それよりもお前達。こちらに来たという事は、他の兵共は片づけたのか?」
「いいや? 実は頼もしい援軍が来てくれてね。こちらは任せて君の援護へ向かえと言ってくれたから、お言葉に甘えたのさ」
「驚きましたよ。まさか、エルトニアにまでお知り合いがいらっしゃるとは。あぁ……あの可愛らしい子とは是非、お近づきになりたいですね……!」
「エルトニアだと……? まさか……」
「彼等の隊長さんから、君に言伝を預かっているよ。俺達は人間として、人道に基づいて戦闘支援を開始する。だってさ」
「ハッ……奴等らしいな」
思考に一区切りをつけたテミスが、ふと浮かんだ疑問を口にすると、アイシュとスイシュウはどこか呆れたような微笑みを浮かべて口を開く。
エルトニアからの援軍と、スイシュウから伝えられた言伝の内容はまさしく、レオン達からのものに相違なく、テミスはクスリと微笑みを浮かべた。
元より、エルトニアは『先生』率いるネルードとの共闘関係にあり、レオン達には秘密裏に白翼騎士団の抹殺が命じられていた。
だからこその人道支援。
人間同士の戦争である、ロンヴァルディアとネルードの戦いならば、レオン達も上意に従わざるを得ないだろう。
だがその戦いが、異形の化け物と人間の戦いへと変じた今、人間であるレオン達がヒトとして戦うアイシュ達、ひいてはテミス達の戦列に加わる大義名分を得たことになる。
「ならば、背中は奴等に任せて問題あるまい。あとはコイツをどうするか……だが……」
「キミはどう思う? アイシュちゃん。アレ、罠だと思うかい?」
「罠を仕掛けて誘っているか、若しくは我々を舐めているか……。どちらにしても、安易に仕掛けるべくではないと思いますよ」
「だよねぇ……」
「フム……」
いっそのこと、遠距離から月光斬でも叩き込んでやるか……?
アイシュ達が躱す言葉を聞きながら、倒れたまま動かない『先生』を警戒するテミスの脳裏に、一つの案が閃いた時だった。
「フ……フフ……。そうか、なるほど。理解したよ」
そんなテミスの閃きを嘲笑うかのように、不気味な『先生』の笑い声が響くと、『先生』は片腕を失った格好のままゆらりと体を起こしたのだった。




