2275話 最後の悪足掻き
突如として投げかけられた紅槍も虚しく、轟然たる一撃が振り下ろされる。
時間間隔が間延びし、強大な刃がゆっくりと迫ってくる感覚。
テミスはその時確かに、走馬灯を垣間見ていた。
だが……。
「っ……!!」
死の際に与えられた一瞬を過ぎて尚。テミスの意識は現実へと繋ぎ止められていた。
振り下ろされた一閃は僅かにテミスの身体を逸れ、傍らの地面を深々と切り裂いている。
しかし、テミスに呆けている事ができる暇など無く。
歪な長剣が切り裂いた地面の端が、ジワリと音を立てて黒く変わるのを見たテミスは、鋭く息を呑んでその場から身を翻した。
「サキュドッ!! 助かったッ!!」
「…………」
僅かとは言え距離を取ったテミスは、チラリと背後を振り返って叫びをあげる。
だが、当のサキュドは恐らく紅槍を投げ放った格好のまま地面に崩れ落ちており、意識をも失っているのか答えが返ってくる事は無かった。
「やれやれ。こうも意図を外されると、流石の私でも苛立ちが募ってくるね。力の差は十分に思い知った筈だろう。いい加減、観念したらどうだ?」
「ハッ……!! 愚問だな。せいぜい怒れ、自称超越者。この世にお前が思い通りにできるものなど、何一つ無いッ!!」
「せめて一太刀でも私に入れる事ができていたら、多少は説得力もあっただろう」
「がっ……ぁ……!?」
地に膝を付いて尚、不敵な微笑みを浮かべて挑発を重ねるテミスに、『先生』は言葉を交わしながら瞬く間に距離を詰めると、無造作に腕を伸ばしてテミスの首を掴みあげる。
今回ばかりは、その速さにテミスも多少の反応は見せたものの、僅かに身体を反らした程度で躱しきれるものではなく、異形の手がミシミシとテミスの首を絞めあげた。
「これならば、もはや躱しようもあるまい」
「ぐっ……!!」
片腕でテミスを宙吊りにした『先生』は、携えた長剣の切っ先をテミスの胸元へピタリと合わせるように構えると、淡々と声で告げた。
事実。首を掴まれたテミスはその腕を掴んで体を持ち上げ、辛うじての呼吸を維持するのが精一杯で。
その不屈の心を表すかの如く携えられたままの大剣を、振るう事ができる余力までは残っていなかった。
「では、今度こそ……」
最早逃れる術は無い。
冷たさすら感じるほどに淡々と告げられた宣告に、テミスは必死で突破口を探しながらも、悟らずにはいられなかった。
胸元へと押し当てられる刃に籠められる力が、ゆっくりと強くなっていく感覚。
コイツはその気になれば、一瞬でこの胸を貫き殺す事ができるはずだ。
だがそれをしない理由など、意趣返しの他には無い。
結局のところ、超越者だのと宣ってみせた所で、根柢のねじ曲がった性根だけは変わらないらしい。
この腐り切った男は望んでいるのだ。
テミスが己が死の恐怖に心を折られ、泣き喚いて命を乞う事を。
「ハッ……!! どうやら大層な力を手に入れたところで、器の小ささまでは変わらんらしい」
だからこそ、テミスは自身を刺し貫くべくにじり寄る刃の感触を味わいながらも、皮肉気に唇を歪めて言い放った。
そしてせめて一太刀。
この長剣に己が刺し貫かれた瞬間ならば、刃を届かせる事ができるはず。
そう直感したテミスは、ギリギリと首を締め上げられる苦しみを堪えながら、だらりと垂れさがるように携えたままの大剣に力を籠める。
「何を喚こうとも、もう結果が変わる事は無い。ゆっくりと、己の死と敗北を噛みしめ、味わうと良い」
しかし、勝利を確信して揺るがない『先生』は、テミスの挑発に耳を貸す事は無く、穏やかな勝利宣言と共にゆっくりと長剣へと力を籠めた。
その禍々しい力を帯びた切っ先が服を貫き、テミスの肌へと触れかけた刹那。
「――闇よ」
「……っ!?」
ぞぶり。と。
突如響いた静かな声と共に、『先生』の胸の中心から、一振りの剣の切っ先が生えてきたかの如く貫いた。
同時に、テミスと『先生』の間から沸き立った影がテミスを掴み上げる腕を両断し、捕らわれの身となっていたテミスを解放する。
「フフ……! 隙あり、という奴ですね。この貸しは大きいですよ?」
「ゲホッ……!! ゴホッ……!! ッ……!! アイ、シュ……!!」
「えぇ、私です。さて、どう返してもらいましょうか、ひとまず可愛く尻尾でもつけて私付きのメイドでも務めて貰いましょうか。勿論、寝床は私と同じですよ? 簡単に寝かせる気はありませんが」
足元から生えた影は即座にバラバラと砕けて落ち、地面に落ちて激しく咳き込むテミスの傍らに、突き立てた刃を引き抜いたアイシュが、ひらりと身を翻して並び立つ。
そして、得意気な微笑みを浮かべてテミスへパチリと片目を閉じると、ここぞとばかりに軽口を叩いた。
「チッ……!! 寝言は寝てから言え……と言いたい所だがな、今回ばかりは救われた身だ。任務において良い働きをしたと、褒章くらいならばくれてやるっ!」
そんなアイシュに、テミスは表情を歪めてゆらりと立ち上がりながら、僅かにしゃがれた声で吐き捨てるようにそう応えたのだった。




