2260話 堕ち人の怒り
激しい剣戟の音を響かせて強烈な『先生』の猛攻を凌ぎながら、テミスは固く歯を食いしばる。
異形と化した腕から放たれる一撃は重たい上に読み辛く、一撃、一撃と斬撃を凌ぐたびに、脇腹に受けた傷からぶしりと血が噴き出した。
「っ……!!」
脇腹の傷は決して深いものではなかったが、放置していえて血が止まるほど浅いものでもない。
故に、このまま戦いを続ければ、テミスが斃れる事は必至。
テミス自身もそれを正しく理解しているからこそ、退くための機を窺っていた。
「ヒハハハハッ!! どうした? もっと楽しませてくれよォッ!! こんな姿にしてくれたんだッ!! じゃねぇと……割に合わねぇだろうがッ!!」
「がぁッ……!!」
高らかな笑い声と共に叩き付けられた斬撃を大剣で受け、テミスはその威力に乗じて後ろへ大きく弾き飛ばされる。
元より正気を保っていたとは思えなかった『先生』だったが、肉体を化け物と化した今となっては最早、狂気の底へ落ちていると言っても過言ではない。
だが、狂気に堕ちているが故にその思考は酷く短絡的で、異形の肉体を持つが故のトリッキーさはあるものの、力と身体に任せた力押しに過ぎず、捌き切れない程ではない。
事実。
敢えてテミスが強烈な一撃を真正面から受けたのも、『先生』との距離を取るためで。
傷口から零れる血を宙へと撒き散らしながら退いたテミスは、クルリと空中で身を翻すと、着地と同時に脇腹の傷に手当てを施すべく掌をあてがった。
だが……。
「カハハッ!! お見通しなんだよッ!! バァァァカがよッ!!!」
「――ッ!?」
テミスが能力を用いた治癒を施そうとした時だった。
突如テミスの足元に地面がボゴリと盛り上がり、勢い良く突き出てきた異形の巨腕がテミスの頭を鷲掴みにする。
「アハハハハァッ!! ざぁんねんだったなァッ!! 手が二本に足が二本とは限らねぇぜ……?」
「ウグッ……クッ……!!」
高らかな狂笑と共に頭を鷲掴みにされたテミスは、うめき声をあげながら宙へと吊り上げられた。
その足元では、脚を変形させて地中を掘り進んでいた『先生』の巨椀が地を破り、その全貌が地上へと表出する。
共に戦うサキュド達も、テミスの窮状に気付いてはいたものの、自分達が切り結ぶ異形の騎士の相手をしながら助太刀をする余力がある者は居なかった。
「オラッ!! オラッ!! オラァッ!!! こんな程度でお終いかよッ!! なぁッ!!」
異形の腕で天高くテミスを吊り上げた『先生』は、テミスを掴んだまま激しく腕を地面に叩きつけながら嘲りの声をあげる。
異形の腕に掴まれたテミスは何度も地面へと叩き付けられ、数分の後に『先生』が腕を止める頃には、ぼろきれのような姿で力無くぶら下がっているだけになっていた。
「っ……」
しかし、腕は力無く垂れ下がってこそいるものの、その手には手放す事無く大剣を握り締めており、薄く開かれた紅の瞳は強い輝きを放ち、ニンマリと意地の悪い微笑みを浮かべる『先生』を鋭く睨み付けている。
「アハハァ……ッ!! そう来なくちゃ……失礼ってモンだよなぁッ!!」
「ッ……!!!」
自身を睨み付けるテミスの視線を受けて、『先生』は浮かべていた笑みを歪め、力任せにテミスを自身の後方に鎮座する屋敷の壁へと叩き付けた。
掴み上げられていたテミスに抗う術は無く、為されるがままにその姿はガラガラと崩れる屋敷の壁と共に立ち上る土煙の中へと消える。
「ハッハァッ!! いくら強かろうと所詮は人間ッ!! 潰れて弾けてろよッ!! ゴミみたいに瓦礫に混じってるのがお似合いだァッ!!」
ズルリとテミスを投げ放った巨椀を引き戻した『先生』は、もうもうと立ち込める土煙に向けて罵声を浴びせながら、腕の形を元の足へと戻した。
腹を貫かられた上に、幾度となく地面に叩きつけられ、青息吐息となった状態での一撃。
たとえ直接切り刻んでいなかったとしても、ただの人間が耐えられるような威力の攻撃ではなく、『先生』は自らの勝利を確信していた。
「ッ……!? 何だッ……?」
だが一瞬。
立ち込めた粉塵が、まるで内側から照らし出されるように光り輝くと、『先生』は高笑いを止めて警戒を露にする。
生きているはずがない。
万に一つ、仮に辛うじて息があったとしても、動く事などできる筈がない。
身構えた『先生』の内にそんな思いが浮かんでは弾け、今や異形と化した背中を戦慄が走る。
「えぇいッ!! うざったいんだよッ!! クソがぁッ!!!」
瞬間。
己の内に湧き上がる戦慄と、言い知れない恐怖に背中を押されて、『先生』は携えていた大剣を振るって剣風を巻き起こし、立ち込めた土煙を一気に吹き飛ばした。
「なぁッ……!? お前ッ……なんでッ……!?」
「…………」
土煙が晴れたそこには、ボロボロになったテミスが傷を負った脇腹に掌を当てて立っていた。
しかし、驚愕に息を呑んだ『先生』の言葉に応ずる事は無く、テミスは片手に携えた大剣を切っ先をガリガリと引き摺りながら、ゆらりと体を傾がせて一歩大きく前へと踏み出す。
同時に、脇腹の傷を押さえていた掌がゆっくりと離れると、掌の下の服は不自然に焼け焦げており、傷口から溢れ出るはずの血は完全に止まっていたのだった。




