2242話 憧れと恋慕と親愛と
ドガンッ!! と蹴破らんばかりの荒々しい音を立てて、アイシュの執務室の扉が開かれる。
その向こう側には背後にルルイを従え、鬼のような形相でアイシュを睨み付けるテミスが、今にも手に携えた大剣で斬りかからんばかりの気迫を漂わせていた。
「……おや。お目覚めになりましたか。良かった。あまりにも長く眠っているので、心配していたんですよ?」
「アイシュ……そのとぼけた言葉が遺言ということで構わないんだな?」
「これでも本心なのですがね……。それに、私にはなぜ貴女がそれほどまでにお怒りになっているのか、皆目見当もつきません」
「言うに事欠いて貴様……いけしゃあしゃあとよく抜かせたものだなッ!!」
執務室へ押し入ったテミスは、そのまま荒々しい足取りで飄々とした態度を崩さないアイシュに詰め寄る。
だが、鼻先に刃を突き付けられて尚、含みのある微笑を浮かべたままアイシュが同図す事は無く、その態度が余計にテミスの怒りに油を注いだ。
「はぁ……そうは言われましても、ルルイは私が保護した子達の中で最も日が浅く、あまり構ってあげられていない子でして……」
「なにィッ……!?」
「いえ。私としても、可愛い可愛いルルイをたぁっぷりと可愛がってあげたいのはやまやまなのですが、なにぶん多忙を極める身の上ですので、ルルイには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいなんですよ」
「そ、そんなっ……!! アイシュ様ッ!! そう言っていただけるだけで、私はとてもうれしいですっ……!!」
「…………」
何処か芝居がかった口調でアイシュが言葉を紡ぐと、テミスの背後に控えていたルルイが傍らへと飛び出し、頬を真っ赤に紅潮させて歓喜の声をあげる。
その顔はまさしく、恋する乙女そのものといった表情で。
ルルイの酷く嬉しそうな表情を見た途端、怒りに満ち満ちていたテミス思考を一気に呆れが支配した。
「コレで……か……?」
「ふふっ……勿論。その証拠に貴女、ルルイに寝込みを襲われてはいないでしょう? これでも私、気を遣ったつもりなのですがね?」
「はぁぁ……お前というヤツは本当に……。呆れ果てた変態だな……」
「誉め言葉として受け取っておきますよ。ルルイ、ありがとうございます。貴女にはこのまま、彼女がここに逗留する間の世話係をお願いします」
「はいッ……!!! 承りましたっ!!」
「おいっ……!!」
しかし、アイシュはテミス当人を飛ばしてルルイに新たな役目を命じると、変態に似合わない人の良い笑みをにっこりと浮かべて頷き始める。
それには、流石のテミスも苦言を呈さずには居られず、苛立ちの籠った視線でアイシュを睨み付けて口を挟んだ。
けれど……。
「おや……? ルルイが何か粗相をしてしまいましたか?」
「へっ……!? あ……ぅっ……!! も、申し訳ありませんッ……!!」
「なぁっ……!? お前ッ……それは反則だろう……!!」
ニタリと意地の悪い笑みを浮かべたアイシュがテミスを見上げて問いを紡ぐと、つい先ほどまで満面の笑顔を浮かべていたルルイは一転、今にも泣きだしそうな表情となって深々と頭を下げて謝罪をする。
無論。テミスにはそのような意図など欠片も無く、大剣を携えていない片手でアイシュの胸倉を掴み上げると、ひそひそと声を潜めて抗議をした。
「貴女の汚れ切った服や身体を清めたり、その他諸々の世話をしたのはルルイですよ? ルルイが粗相をしたというのでなければ、保護者としましてはご褒美の一つくらい与えてやってほしいものなのですがねぇ……」
「チィィッ……!! わかったッ!! わかったからさっさと前言を撤回しろッ!! あんないたいけな子供の心を弄ぶなッ!!」
「んふふっ……! あぁ、失礼しましたルルイ。どうやら私の聞き間違いだったようです。貴女のお世話のお礼に、逗留中は側に置いてくれるそうですよ? 勿論ッ!! お風呂や添い寝も……良かったですね?」
「っ……!!!」
「はぁッ……!? おまッ……!! 何を言ってッ……!! っ~~~!!!」
巧みに良心の呵責に付け込んだアイシュの言葉に、堪らずテミスが承諾をすると、アイシュはにっこりと笑顔を浮かべて飛んでも無い事を朗々と口にしはじめる。
だが、驚愕したテミスはそれを留めようとしたものの時すでに遅し。
ルルイは目をキラキラと輝かせて喜びを露にし、花が咲いたような満面の笑みを浮かべていた。
「……わかった。そんな事が褒美になるというのなら、それで手を打とう」
「ふふふっ……勿論です。ルルイは素質がありますから」
「お前……妙な事を仕込んでいないだろうな? お前の趣味に付き合う気はないぞ、変態」
「それは誓ってありません。今、貴女の世話役にルルイ以上の適役が居ないのも本当です」
「ハァ……やれやれ……。ならば仕方が無い……か……」
胸倉を掴んだ腕に力を込めたまま、テミスはアイシュに身を寄せすと、ひそひそと声を潜めて確認を重ねる。
そこで返ってきたのは意外にも、生真面目な表情を浮かべたアイシュの真摯な声色で。
そんなアイシュに、テミスはこれ以上足掻いても己の傷口を広げるだけだと察すると、溜息まじりに胸倉を掴んだ手を離したのだった。




