2241話 無垢なる刺客
アイシュがテミスの世話を命じたという少女、ルルイの話によると、サキュドやコルカをはじめとする、先の戦いで休息をとっている者達には、それぞれ専属の世話係がついているらしい。
彼女たちは皆、アイシュが保護をした少女たちで。
戦いが激化した今もなお、アイシュの庇護下にあるのだという。
「そう警戒せずとも、取って食いやしないさ。剣を磨いてくれたのもお前なのだろう?」
「っ……! は、はいっ! その、勝手に触っては良くないかとは思ったのですが、綺麗な刀身が酷く汚れておりましたので……つい……」
寝ぐせの矯正を諦めたテミスが、気ままに跳ね回る寝ぐせをぴこぴこと揺らしながら尋ねると、ルルイはテミスの髪の動きに合わせるかのように小刻みに頷いて答えを返す。
テミスは内心、あのアイシュの庇護を受けている少女であるルルイもまた、同類なのかと警戒していたものの、言葉を交わしてみるとどうやらその気は無いようで、密かに胸をなでおろしていた。
「構わん。むしろ怪我をしなくて良かった。大剣はお前が持ち上げるには重すぎるからな。服を換えたのもお前が……?」
「あ、はいっ! お召し物の方はもっと大変なことになっておりましたので。あと、御髪の方も少々……」
「悪かったな。手間をかけさせた。気持ちの良いものではなかっただろう。アイシュの奴に言って、何か労いを――」
「――い、いえッ!! お仕事ですからッ!! それに……ぅへへ……」
「ッ……!!」
穏やかな微笑みを浮かべて、テミスは本心からルルイに労いの言葉をかける。
見ず知らずの人間が身に纏った、汗や埃に塗れた服を剥いて着せ替えるなど、まだ幼さの残るこの少女には、肉体的にも精神的にも重労働だったに違いない。
そう心遣っての言葉だったのだが、テミスは不意にルルイが零した緩んだ微笑みを見た途端、背筋に寒気が走った。
「えへ……その……とても、お綺麗でした……!」
「…………」
歪んでいるとも、緩んでいるとも受け取れる笑顔を浮かべて言葉を続けたルルイに、テミスは半ば反射的にパシリと額を掌で覆った。
考えてみれば当たり前の事だ。
あのアイシュが、自らを慕う少女たちに手を出さないはずがない。
これまでに聞いた話を統合すれば、ルルイのように変態に保護された少女達は皆、少なからず危機的状況から変態に救われているのだ。
変態に理性や常識などという上等なものが備わっているはずもなく、そうなれば行き着く先は容易く想像できる。
「……迂闊だったな。あまりにまともに見えるものだから油断していた」
自身の失策を呪いながら、テミスはフラリと部屋の出口へ向かって歩き始める。
疲れ果てていたとはいえ、身体に触れられても意識が覚醒しなかったのは、ルルイに一切の殺気や邪念の類が無かったが故なのだろう。
それが幸か不幸かで言えば間違いなく幸運なのだろうが、あくまでもそれはこの場に限った事の話で。
執務室に居るであろう諸悪の根源を誅するべく、テミスは抜き身の大剣を引き摺りながら扉へと手をかけた。
だが……。
「テ、テミス様っ!! お待ちくださいッ!! 服ッ!! そのような格好でお部屋から出られては……ッ!!」
「っ……!!」
怒りに任せて、着の身着のままで部屋から出て行こうとするテミスに、ルルイは必死の形相で縋り付き、声を張り上げて引き留める。
その声で我に返ったテミスは、自身が今薄手のナイトガウンらしきものを一枚羽織っているだけであったという事実を思い出し、すんでの所で扉を開く手を止めた。
「お着替えはちょうど今、お持ちいたしましたのでっ!! あと、起きられたらアイシュ様の所へご案内するように申しつけられておりますので、お着替えになりましたらご案内いたします!!」
「……フム」
慌てて告げるルルイを眺めたテミスは、少し驚いたように目を見張ると、小さく息を吐いてコクリと頷きを返した。
どうやら変態に染められているとはいえ、このルルイという少女の中にはまだ、ある程度の常識は残っているようで。
せめてもの救いを確認したテミスは、心の奥底で安堵の息を漏らしながら、ルルイが差し出す綺麗に畳まれた黒銀騎団の制服を受け取った。
「…………」
「……? どうされましたか? ささっ! どうぞっ……!!」
しかし、テミスに制服を手渡したルルイは部屋を辞する訳でもなく、むしろ爛々と火照った視線を、食い入るようにテミスの身体へと向けていた。
だが、それでも尚邪気を感じられないのは、ルルイ自身の絶妙な認識が為せる業なのだろう。
「ハァ……ったく、アイシュの奴……覚悟しておけよ……」
そんなルルイの視線を一身に受けたまま、テミスは溜息を一つ吐いて胸の内で鎌首をもたげかけた羞恥心を捩じ伏せると、代わりに再び沸き上がった変態への怒りを込めて着替えを始めたのだった。




