2240話 激戦を終えて
治安維持軍の軍港を奪還する戦いが終わりを迎えたのは、テミスが『産場』の破壊に成功してから夜を越え、翌朝の明け方を迎えた頃だった。
敵の増援が湧き出てくる大元である『産場』を潰す事ができたお陰で、時間を経るに伴って基地内の異形の兵の数は着実に減ってはいた。
しかし、元々この場には常識を遥かに超えた数の兵が配されていたらしく、掃討戦は想定外に苛烈を極める戦いとなったのだ。
その苛烈は、これまで様々な戦いを潜り抜けてきたテミス達ですら、戦いが終結してねぐらとしている拠点へ戻った直後、誰もが一言すら口を開く事なく寝床へ倒れ込む程だった。
「…………」
そうして着替える手間すら惜しんで眠りに落ちたテミスが、再び目を覚ましたのは二日後の早朝の事で。
意識を取り戻したテミスは不意にムクリと体を起こすと、ぐしぐしと目を擦りながらきょろきょろと辺りを見渡した。
その頭の天辺あたりからは、盛大に跳ねた寝癖が一本、触覚の如く伸びてゆらゆらとテミスの身体に合わせて揺れている。
「私は……確か……」
身を起こしてから優に一分ほど。
テミスは寝惚けた頭を再起動する時間に充て、頭の天辺から伸ばした寝ぐせと共に、ゆらゆらと不規則に身体を揺らしていた。
だが、ゆっくりと意識が現実へと引き戻されてくると、テミスは次第に自分の装いが、辛うじて脳裏に残っている眠りに落ちる前の物と異なっている事を認識し始める。
「……。っ……。我ながら、汗と血と泥にまみれた、とても見られたものではない格好だったと思うのだが……」
ゆらりと持ち上げた手で自身の髪を触って確かめた後、ぺたぺたと自らの纏う衣服を触って確かめる。
今テミスが身に着けているのは、記憶の中の自分が最後に身に着けていた筈の黒銀騎団の軍服ではなく、ゆったりとしたナイトガウンのような代物だった。
当然、テミスの旅装にこのような物は無く、テミス自身も着替えた記憶は一切無い。
身体も装いも確かめた所、最低限の清潔さが整えられているだけといった様子で、長い髪は血糊や泥で固まっている事は無かったものの、所々で指に絡む程度には汚れていた。
「フゥム……わからん。わからんが……」
しばらくの間考え込んだ後。
テミスはゆらりと立ち上がって眠りこけていたベッドから降りると、手早く身なりを整える。
着替えを探してベッドの周囲へ視線を向けたが、それらしいものが用意されている事は無く、ベッドの脇に投げ出されたかのように転がっている、漆黒の大剣が鎮座しているだけだった。
その大剣も、どうやら何者かが必死で動かそうとしたかのように、柄辺りの絨毯は乱れており、結果動かす事を諦めて放置されたことが見て取れた。
しかし大剣を動かそうとした何者かも、どうやら悪意を以て持ち去ろうとした訳ではないらしく、戦いで汚れていた筈の刀身の表側は綺麗に磨き上げられている。
「フッ……ククッ……! これはこれで面白……んんっ……?」
かがみこんで大剣を拾い上げたテミスは、クルリと手の内で回して床側の面を覗き、クスクスと一人笑い声をあげた。
どう足掻いた所で引っくり返す事ができなかったのだろう。
手の届かなかった裏面は戦いの汚れが未だに残っていて。
鏡のようにピカピカに磨き上げられた表面との差を楽しむかのように、テミスは数度くるくると大剣を回して眺めていた。
しかしその途中で、テミスは大剣の映る自身の頭の天辺から、盛大に跳ねた髪を見付けて動きを止めた。
「ハァ……。……! ッ……!! ヌヌヌッ……!!」
最初は深いため息と共に、掌で髪を撫でつけたが、手を離した途端に跳ねた毛はぴょこんと起立して元に戻ってしまう。
それから何度も、力を込めて撫でつけようとも、触覚のように跳ねた毛は不屈の意志を持っているかの如く跳ね続け、元に戻る事は無かった。
「クソッ!! えぇいっ……!! こんな頭であいつらの前に出られるかッ!! 何故こんなッ……!! うぐぐぐぐっ……!!」
だがテミスも諦める事は無く、苛立ちを零しながら必死で跳ねてしまった頑固な寝ぐせと格闘を続け、刻一刻と時間は過ぎていく。
そして……。
「お邪魔します……テミスさまぁ……? お着替えをお持ちしましたが、まだお休みになられて……っ!?」
「なッ……!? 誰だッ!!?」
「わわっ!! 勝手に入ってごめんなさいッ!! 私、テミスさまのお世話を仰せつかっております、ルルイと申しますッ!!」
テミスの格闘は、おずおずと押さえた声と共に部屋の戸が開かれ、一人の少女が滑り込んでくるまで続いた。
少女が入ってきた途端、テミスは弾かれたように身を翻すと、跳ね続ける髪を押さえたまま声のした方へと視線を向ける。
そこには、くすんだ灰色の髪をした一人の少女が立ち竦んでいて。
健気にも少女は、身を竦ませながらも反射的に問われたテミスの問いに、精一杯声を張り上げて答えを返していた。
「……いや、すまない。驚いただけだ。問題無い。入ってくれ」
一瞬は驚いたテミスだったが、少女の態度から敵では無い事を察したテミスは、静かに笑顔を浮かべて手招きをする。
しかし、手招きをする為に、髪を押さえていた手を離してしまったため、再びぴょいんと寝ぐせが跳ね上がった。
「あ……」
「あっ……!」
それに気付いた途端、ルルイと名乗った少女とテミスの声が重なり、酷く気まずい沈黙が部屋の中を支配した。
そんな当人たちの気も知らず、テミスの頭頂部からは寝た寝癖は、気ままにゆらゆらと揺れていたのだった。




