2224話 退けぬ戦い
テミスたちとアイシュの会談から少し後。
ネルード中心街区のとある区画。
そこでは、異形の兵士たちの支配下に置かれた治安維持軍の拠点が存在し、時折そこから湧き出てくる異形の兵士達との死闘が、日々繰り広げられていた。
しかし、アイシュの指揮によって配置された反抗部隊は疲弊を極めており、戦線は崩壊しつつあった。
「撤退ッ!! 撤退だッ!! 防衛線を下げるぞッ!!」
「駄目です分隊長ッ!! 我々がこれ以上退がっては居住区画がッ……!! まだ避難勧告も出せていないんですよッ!!」
「チィィッ!! 奴等……なんで今日に限ってこんなに湧き出て来るんだよッ!! 本隊へ援軍要請はッ!?」
「無理ですよッ!! 伝令に走らせる戦力なんてありませんッ!!」
「この際誰でも良いッ!! 適当に近くの奴をつかまえて走らせろッ!!」
「えぇっ!? 民間人を巻き込むんですかッ!?」
「馬鹿野郎ッ!! 戦線が瓦解するよりはマシだろうがッ!!」
怒号と悲鳴が飛び交う戦場の中。
指揮を執る一人の男の前で、迫り来る異形の兵に向けて矢を放ちながら、若い兵士が悲鳴のような声で叫び返した。
彼等の眼前には、十を超える異形の兵士たちがゆっくりと建物から歩み出てきており、その身に無数の矢を突き立てて尚、その歩みを止める事はできていない。
「ッ……!! 貸せッ!! 俺が替わるッ!! お前はさっさと伝令を走らせて戻って来いッ!!」
「っぁ……!! 分隊長ォッ……!!」
分隊長と呼ばれた男は、血のにじむ包帯を巻きつけた脚を引き摺りながら若い兵士に近寄ると、乱暴に手から弓を奪って後方へと突き飛ばした。
そうしてすかさず、傍らに置かれていた矢筒からまとめて数本の矢を抜き取ると、素早く番えて撃ち放つ。
「早く行けェッ!! 俺の脚では間に合わんのだッ!! 行けェッ!!!」
「くっ……!!」
「全員ッ!! 気合入れろォッ!! 倒さなくて良いッ!! 死ぬ気で時間を稼げッ!」
分隊長の男の指示を受けた若い兵士が、目に一杯の涙を浮かべて駆け出していく。
それを見送った分隊長の男はクスリと微笑みを浮かべた後、雄叫びのような声で指示を叫びながら、更に二本の矢を素早く撃ち出した。
放たれた矢は、最も近い一体の異形の兵士の膝を貫き、そのまま地面に突き立って脚を縫い留める。
だが、分隊長の男はそれを確認する暇もなく、新たな矢を弓に番えて引き絞り、別の一体へ向けて矢を撃ち放った。
「クソォッ!! クソッ! クソッ!! 畜生ッ!! 出てくるってンなら一体ずつ出て来いよォッ!!」
絶え間なく矢を放ちながら、分隊長の男は固く食いしばった歯の隙間から悪態を漏らす。
異形の兵士共はとんでもない力を持っているし、並外れた再生能力を持っている。
だが一体ならば、周囲を囲んで動きを止めた後、数の優位を生かしてひたすらに切り刻むなり、再生しなくなるまで打ち据えてやればいい。
それでも一体を殺しきるには優に数時間はかかるのだ。
一体や二体ならば兎も角、こうもワラワラと湧き出て来られては打つ手が無かった。
「っ……!! チィッ!! これで撃ち止めかよッ!!!」
スカッ……! と。
矢筒へ伸ばした指が空を切ると、分隊長の男は怒りの方向をあげて立ち上がり、荒々しく腰に提げた剣を抜き放った。
「クッ……!!」
だが、ズキリと脚を襲った痛みに顔を顰めて苦悶の声を漏らし、前へと飛び出しかけた分隊長の男の足が止まる。
この脚では、まともに奴等の攻撃を躱す事も叶わない。
今ここで斬り込んでいけば間違いなく、俺は死ぬことになるだろう。
「ッ……!!!」
脚の傷の痛みから生じた恐怖に、分隊長の男は小さく息を漏らし、剣の柄を握り締めた手に更なる力を込めた。
「へ……へへ……っ……!! リーヒャ、フリューグ……!!」
分隊長の男は、噛み締めるように愛する妻と息子の名を紡ぐと、決意に満ちた瞳で眼前の近付く異形の兵を睨み付ける。
元よりこの男は、ネルード正規軍の一兵卒であった男で、彼が背に守るネルードの町には、守るべき大切な者達が居た。
故に、その名を紡いだだけで男の胸中を蝕んでいた恐怖は払われ、決死の覚悟が満ち満ちていく。
「かかって来いよ……化け物共ッ!! ここは死んでも通さねぇぞッ!!」
狂気すら宿った瞳で敵を睨み付け、分隊長の男はついに目前まで迫った異形の兵に目がけた剣を叩き込んだ。
しかし、振るった刃が異形の兵を両断する事は無く、肩口から食い込んだ刃は胸の辺りで止まり、そのままずぶずぶと呑み込まれていく。
「ウゥゥッ!! 畜生ッ!! ただで……やられてェッ! 堪るかよォッ!!」
武器を絡め捕られ、最早万策尽きた分隊長の男は、それでもなお揺るがぬ闘志を迸らせると、雄叫びをあげて握り締めた拳を振りかぶった。
だが、次の瞬間。
「見事な闘志だ。だが邪魔だ」
フワリと長い銀髪が宙をたなびき、伸ばされた手が決死の一撃を放たんとしていた分隊長の男の肩を力強く掴んで引き倒した。
そんな分隊長の男の視界では、たった今自分が拳を叩き込まんとしていた異形の兵の顔面を、何処からともなく飛来した紅槍がドズリと貫いたのだった。




