2207話 旗下であり兵に非ず
ドンドンドンドンッ!! と。
強烈に扉を叩く音がテルルの村に鳴り響いたのは、翌朝の明け方前の事だった。
無論叩かれていたのはテミス達が休息を取っている建物の扉で。
跳ね起きたテミスが大剣を片手に引きずりながら飛び出すと同時に、隣の建物から刀を携えたシズクが飛び出してくる。
「……何事だ?」
だが、建物の外へと出たテミスの前に人影はなく、どうやら扉を開いた際に撥ね飛ばしてしまったようで、少し離れた足元で一人の男が鼻っ面を抑えてうずくまっていた。
しかしその姿を見ても、テミスはただピクリと眉を跳ねさせただけで、寝入っている所を叩き起こされた不機嫌さを露に、ジロリと男を見下ろしてしゃがれた声で問いかける。
「や……夜警の者から緊急伝令……ですッ……!! ネルード方面よりこちらへ向かって来ると思われる一団があるとの事ッ! 現在はサキュド様が先行偵察に出ていますッ!」
「チッ……!! 了解だ! お前は全員を叩き起こして部隊を集結させろ。後詰め部隊の指揮権は一時的にロロニアへ預けるッ! 即応待機の後、戦闘を確認したら援軍を寄越せと伝えろッ!」
「えっ……!? あっ……!! は、はいッ……!!」
「っ……! おいお前! 伝令ッ! 少し待て」
兵が告げた伝令に、テミスは一つ舌打ちをしてから矢継ぎ早に指示を出すと、既に準備を終えているシズクへ顔を向けて頷いてみせる。
それだけでテミスの意図を理解したシズクは、慎重に自らが飛び出してきた建物の扉を閉めると、テミスの方へと駆け出した。
けれどその直後。
テミスは不意にピクリと肩を跳ねさせると、鋭い声で自身の命を受けて駆け出した伝令を呼び止める。
「は、はいッ……!? 何でしょうかッ!?」
「さきほどの私の命令を復唱してみろ。略式で構わん」
「あっ……! は、はいッ!! 部隊全員を叩き起こした後に……集結ッ! 指揮権はロロニア船長に、そして……援軍に向かう……!! ですッ!!」
「…………」
テミスの声にビタリと足を止めた伝令は、しどろもどろになりながらも、必死で声を絞り出した。
しかし、その内容は言葉の上ではテミスが伝えた内容を抜粋してはいるものの、誤解の発生しかねないものへと変じていた。
口ぶりからして、ロロニア配下の湖族なのだろうこの男は、当然のことながら騎士たちのように練兵過程など受けておらず、黒銀騎団のようにテミス手ずから教育を施された訳でもない。
故に仕方の無い事ではあるのだが、この急場において練度不足は致命的であり、万が一テミスが見逃していれば最悪、指揮系統が混乱する事態に陥る所だった。
「いいか? これから私が言う事を、一言一句違わずロロニアに伝えろ」
「ッ……! ッ……!!」
「私はシズクと共に先行する。後詰め部隊の指揮権は一時的にロロニアへ移譲ッ! 即応待機の後、戦闘を確認したら援軍を寄越せ……だッ!」
「ひっ……! は……はいぃぃッ!!」
「復唱ッ!!」
「はいッ!! わたしはシズクと共に先行する! 後詰め部隊の指揮権は、一時的にロロニアせんちょ……ロロニアへ移譲ッ! 即応待機ののち! 戦闘を確認したら援軍を寄越せ……だッ!! ですッ!!」
「ッ……!!」
命令を重ねて告げたテミスの剣幕に震えあがった伝令は、所々躓きながらも悲鳴のように叫びをあげ、言い渡された命令を復唱する。
しかし焦りからか、それとも恐怖からか、本当に一言一句違わず復唱した伝令に、テミスは危うく笑いを零しかけるが、すんでの所で堪えて持ち直し、再び口を開く。
「よしッ! お前はそのままロロニアの元へ向かえッ!」
「えぁッ……!? は、はいぃぃッ!!」
同時に視界の端で、颯爽と駆け出したシズクが宿舎と化している建物へ駆けるのを確認したテミスは、先だって言い渡した全員集結の命令を省略して、直接ロロニアの元へと向かわせた。
あの調子では、複数の命令を言い渡した所で音ランするのは目に見えていたし、それを察して即座に補佐に走ったシズクの慧眼には目を見張るものがあった。
「……っと。ノルとリコはそこで待機だ。我々に万が一のことがあった場合、状況をフリーディアに報せろ。良いな?」
そうして、自らも駆け出そうとした刹那。テミスは自身が飛び出してきた建物の入り口に立っている人影に気付いて足を止めると、肩越しに振り返って命令を下した。
だが二人がそれで納得しないであろう事は、テミスとて百も承知のうえで。
だからこそクスリと不敵な微笑みを浮かべてみせると、一拍を置いてから指示を付け足すべく口を開く。
「……朝からこの騒動だ。朝食には温かい珈琲を付けて用意しておいてくれ」
「っ……!!」
「ッ……!!! 了解です! 腕によりをかけて待ってますからッ!!」
そんなテミスの指示に、ノルは唇を固く結んで姿勢を正すと、カツンと足を踏み鳴らして敬礼を返す。
そしてその傍らでは、目に一杯の涙を溜めたリコが、コクリと大きく頷いてから、見送りの言葉を叫んだのだった。




