2195話 誉れの対価
毅然と整列した船団が、白波を裂いて突き進んでいく。
水域は既にロンヴァルディアとヴェネルティの最前線を遥かに越えており、水平線の向こう側には、おぼろげながらも微かにネルードの街並みが見え始めていた。
「ハハッ!! まったく……グレイル様の慧眼には恐れ入るぜ!! 本当にヴェネルティの連中、迎撃の船一つ出してきやがらねぇじゃねぇか!! 戦力がもうカラだってのは本当だったらしいッ!」
「それに比べて白翼の連中は……何日も無駄に前線停泊を命令しやがって……。臆病にも程があるぜ」
「おい。流石に不敬だぞ。フリーディア様は、あの魔王軍との激戦を潜り抜けて来られた御方だ。決して敵を過小評価せず、常に最悪を想定しておられるのだろう」
「おーおー! 悪かったよ。お前はフリーディア様が大好きだからなぁ……。とはいえ、こうなっちまうと楽な仕事って訳でもなさそうだぜ? 敵はむしろ肩を並べている連中だ」
船に乗り込んだ兵士たちの士気は高く、加えて敵の攻撃が全く無い事に気を良くしたのか、威勢の良い笑い声までも響いている。
だが、普段ならばそれを咎めるべき艦長も、兵達の様子にチラリと目を向けたものの、敵地の只中とは思えないほどに穏やかで緩み切った雰囲気に、静かに苦笑を浮かべるだけに留めた。
見渡す限り自分達の船団の他に船影は無く、ともすればこのまま、砲火の一つも交えぬままに敵の都市を制する事ができてしまうのではないだろうか。
そんな願望にも似た想像が、兵士たちの間に流れ始めた時だった。
「でもよぉ……聞いたか? あの噂」
「あん? こんな状況だってのに、なんでまだお前は不安そうなカオしてんだよ」
「フリーディア様の噂だよ。なんでも、今回の出兵をお知りになってから、半狂乱でグレイル様に詰め寄って、出撃を止めようとしていらっしゃったらしい」
「俺達に手柄を取られたくなかったんだろ。あれでもフリーディア様は王家の御方だ。貴族の所領にするよりも、王家直轄領にしてぇだろうさ」
「いや……俺も直接聞いた訳じゃあねえんだが、バケモンみてぇな船が出るから危険だって叫んでたらしいんだ」
「ハハハッ!! 化け物船ねぇッ!! ちょうど退屈担ってきたところだしよォ! ンなモン居るんなら、是非見てみてぇな!!」
不安気な面持ちで語る兵士を、その周囲に集まった他の兵達は、景気の良い笑い声で笑い飛ばした。
勿論。不安を抱える兵士とて、流石に噂通りの化け物船が出るなどという与太話を信じてなどいない。
けれど、あの清廉潔白で気高く、高貴な優しさを持ったフリーディアがただ、王家としての欲の為に動く事に、拭いきれない違和感があったのだ。
「な、なぁ! やっぱり……」
警戒を厳とした方が良いんじゃないか?
同僚たちに嘲笑われる事を承知のうえで、不安を抱えた兵士がそう言葉を紡ぎかけた時だった。
「敵襲ッ!! 右弦前方ッ!! 敵ッ……ヒィィッッ……!!? な、なんだアレはぁぁぁッ……!?」
「ッ……!!?」
突如として響いた索敵役の兵の怒声に、談笑に興じていた兵達は即座に好戦的な笑みを浮かべると、一斉に各々の持ち場へ向けて駆け出して行く。
しかし、方向に続けて大まかな距離を報告するはずの索敵兵の声が響く事は無く、かわりに恐怖に塗れた素っ頓狂な悲鳴が響き渡った。
「オイッ!! 距離はァッ!!? 報告まだかァッ!!」
「装填急げッ!! トロトロしてんじゃぁねぇッ!! 他の連中に手柄ァ取られちまったら大目玉だぞッ!!」
「物見ィィィッッ!!! 何やってやがるッ!! サッサ距離知らせェェェッ!!!」
つい先ほどまで和やかだった空気は、瞬く間に殺伐としたものへと転じ、船の至る所から号令と怒号が響き渡る。
敵の存在と方向が分かっていても、距離が判らなければ砲撃も当てようが無い。
故に砲手は、必死で怒鳴り声をあげながら、敵影を確認すべく湖の上へと目を凝らしたのだが……。
「あああぁッ!! マーヴェン卿ッ!! ゆ、友軍撃沈ッ!!! 嘘だッ!! 回頭しろぉぉッ!! ば、化け物だッ!! 船の化け物が突っ込んでくるゥゥゥゥッッ!!」
幸いにも、この船は隊列中央近くの最前を疾駆していたため初撃での被害は出なかったものの、悲鳴にも似た索敵兵の絶叫に、兵士たちの背筋に冷たいものが駆け抜けていく。
砲撃の音は無い。
けれど確かに、ギシギシミキミキと何かが砕け軋む音だけは聞こえて来て。
唯一、周囲を見渡すことの出来る索敵兵以外は、己が目で状況を確かめる事ができないまま、胸中に生じた嫌な予感が急速に膨らんでいく。
そして。
「ウワァァァァッ!!! 回頭ッ!! 早くッ!! ヒィィィィッ!! 来るなッ!! くるなぁぁぁぁッッッ!!」
「あっ……あぁぁぁぁっっ……!!」
メギンッ!!! と。
索敵兵の必死の絶叫を聞きながら、不安を抱えていた兵士は自身の眼前を巨大な剣のような形をした黒い板が、船を破壊しながら突き抜けていく様を、ただ茫然と見ている事しかできなかったのだった。




