205話 悍ましき策略
「その和平交渉はラズール方面軍指令……マーヌエルが考案した撃滅作戦なのよ」
まるで、己が罪を懺悔する大罪人が如く、フリーディアはその美しい顔を苦悶に歪ませながら、言葉を紡ぎ始めた。
「魔王軍の中にも、人間に歩み寄ろうとする穏健派が存在する事を知った彼は、その心境を逆手に取った作戦を軍部に提出。そして、その作戦試案が今回ラズールで試されるわ」
「……その作戦試案とはどんなものなんだ?」
「まず、対象に平和を求める旨の文を送り、出方を見る。次に、話に乗ってきた場合はこちら側から交渉を提示する……その際の内容は、私達が圧倒的に不利な内容で提示する」
「っ……!」
ピクリ。と。テミスの問いにフリーディアが答えると、黙して話を聞いていたルギウスの眉が微かに跳ねる。
しかし、顔を伏せていたフリーディアはそんな事には全く気付かず、つらつらと独白を続けていく。
「そして、実際の交渉が決まったら、一つだけ付け加えるのよ。我々は同じ平和を欲する同志だが、今はまだ敵同士であるのも事実。故に、この交渉は圧倒的強者である魔族側の長……つまり今回の場合は、ルギウスさんが武装解除した上で単独で出向くように……とね」
「っ……馬鹿なのか!? そんなもの、明らかに罠ではないか! 見損なったぞルギウス! その程度の下賤な策に呑まれるとは――」
「――違うの。テミス。よく考えて」
「何ッ……!?」
テミスが弾かれたように大声を上げると、フリーディアはそれを諫めるかのように、静かな声で制止を入れる。
「この作戦は、互いが平和を望んでいると認識した時点でほとんど成功なのよ。その言葉に嘘偽りが無ければ無い程、ルギウスさんは会談を降りる事はできなくなる」
「っ……!」
ぎしり。と。フリーディアの言葉の意味を理解した瞬間。目を見開いたテミスの顎が軋みを上げる。
驚天動地。これ程までに嫌悪感を煮詰めて濃縮したような人間が、この世界に存在するとは思わなかった。この『作戦』は確かに成功率も高く優秀なモノなのだろうが、その有様はヒトがヒトとして在るべき物がそっくりそのまま欠落しているかのように醜悪な代物だった。
「なるほど……悍ましいまでに不快で、憐れみを覚える程に短絡的な作戦だな」
「返す言葉も無いわ……」
テミスが率直な感想を述べると、がっくりと項垂れたフリーディアが絶望的なまでに暗い声で呻きを返した。
この『作戦』の強みは、前提条件の転換にある。
戦乱の続くこの世において、和平交渉というのは、唯一残された血の流れない選択肢だ。故に一度この手段に策略を絡めたが最後、人間と魔族はそのどちらかが根絶やしになるまで不毛な殺し合いを突き進む事になる。
だが、逆に言えば。
そもそも敵の根絶やしを前提に置いている者にとって、交渉の余地が……知恵を持つ者としての最期の綱を断ち切ることは欠片もリスクにはならない。
よって、その手段は驚くほどに旨味しかない至高の作戦と化する。
一度乗せたが最後。誘い出す事ができれば労せず敵将を討ち取る事ができ、仮に失敗したとしても、我々は平和を求めたにも拘らず、敵はその想いを蔑ろにした許せざる悪党である……という大義を手に入れる事ができる。
まさに理想の作戦だ。
ただ、平和を望む心すらも利用する外道である事と、自分達が敗北する事など夢にも考えない畜生以下の未来予想である事を除けば……だが。
「ハァ……仕方があるまい。ルギウス、我々十三軍団がお前を護衛しよう」
言葉とは裏腹に、狂気的なまでに凶悪な笑みを浮かべたテミスがそう告げると、ルギウスはゆっくりと首を振って口を開いた。
「それは駄目だ。彼等にとっては十三軍団も同じ魔王軍。護衛の場どころか、会談の場所の周囲には立ち入らないで欲しい」
「ルギウス……? お前……まさか……?」
その言葉に、テミスは心底驚いたように目を見開くと、先ほどまでの狂気が嘘のように消え去り、途端に外見相応の愛らしさがその身から溢れ始める。
「ああ。僕は人間達を信じてみたいと思う。たとえそれが罠であったとしても、平和を望む心だけは同じなはず……ならば一度、力では無く言葉でそれを勝ち取ってみたい……そう思うんだ」
「……馬鹿が」
どこか誇らしげに語るルギウスを、テミスは吐き捨てるように低い声で罵った。
夢を追うのは構わん。理想を求めるのも自由だ。しかし、何を焦っているのかは知らないが、夢や理想と幻惑を見極められないのならば、それを求める権利すら許されたものではない。
「私としても……テミス。お前がこの件に首を突っ込む事は看過できんがな」
「何……?」
ならば……。と。矛先を変えたテミスがギルティアの視線を捉えた瞬間。機先を制したギルティアがその出ばなを挫き折った。
「私にとっては、そこの小娘こそがラズールに訪れ得る和平を阻害しに来たように映るがな……」
「っ――! ギルティア……貴様ッ!」
「――尤も」
ギルティアが鼻を鳴らして顔を伏せるフリーディアを嗤うと、途端にテミスが声を荒げる。しかし、その反応すら読んでいたかのごとく、ギルティアはテミスの怒りに言葉をかぶせる。
「人魔共存を謳う我々魔王軍としては、端から断る理由の無い話でもあるがな」
薄ら笑いと共にギルティアはそう述べると、傍らのルギウスに小さく頷いて共に席を立つ。すると、それに応じたルギウスはテミスを振り返って笑みを浮かべた。
「テミス。……どうか、見守っていて欲しい。僕が新たな平和を築くさまを。なにより、僕は君を信じているからね」
「っ――!」
ルギウスがそう言い残して執務室を後にすると、ギルティアもまた、話は終わったと言わんばかりにゆっくりとその足を外へと向ける。
「待て。ギルティア」
「……何だ?」
「一つだけ……確認だ」
テミスはギルティアに視線すら向けず、背中を合わせたような格好で静かに問いかける。
「我々十三軍団が、会談の場に近付かなければ良いのだな?」
「ああ。向こうの要求は、会談場所周辺地区への魔王軍戦力の侵入禁止だ」
「…………了解した」
ギルティアの言葉を、テミスはただ一言だけ了承すると、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべたのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




