2166話 悪魔の仏遊び
ジャリンッ!! と。
テミスが皮肉を返した途端、耳障りな抜刀音が木霊する。
その直後。簡易ベッドに横たわるテミスに、男の護衛騎士が抜き放った剣の切っ先が突き付けられた。
だが、剣が付きつけられるまでの刹那の間に、傍らに控えていたシズクの手が再び腰の刀へと閃き、剣を抜かんとした護衛騎士を両断する一撃が放たれかける。
しかし、テミスは視線を向けただけでシズクの抜刀を留め、悠然とした表情を浮かべたまま、護衛騎士の動きを妨げる事は無かった。
結果。
テミスの眼前には突き付けられた抜き身の刃が向けられ、テミスの前に立った男はニタニタと下卑た笑みを浮かべて口を開く。
「口を慎めよ? 拾われただけの傭兵風情が。この私がわざわざ出向いてやったのだ。跪いて迎えるのが道理であろう?」
「……粗悪な剣だな。手入れも雑だ。死にたくないのならば、こんな装備で戦場に出るつもりならばやめておけ」
「ッ……!! 無礼なッ……!!!」
「おっと……!」
男の言葉を無視して、自身に突き付けられた刃を一瞥してテミスが告げると、剣を突き付けた護衛騎士が怒りの声をあげ、刃をテミスの肌に押し当てんと力を籠める。
けれど、掠り傷とは言えむざむざ負う気など微塵も無かったテミスは、既に手にしていた大剣の柄で軽く刃を弾いて躱す。
だが、剣は相当に粗雑な扱いを受けていたのか、硬度に勝るブラックアダマンタイトの刀身に触れた途端に、見るも無残に刃が毀れてしまった。
「む……? あぁ……すまない。まさか、軽く弾いた程度で刃が欠けるとは流石に想定外だった」
「なっ……!? あ……ぁっ……!!!」
「貴様ァッ!! この私を無視するとはいい度胸だなッ!! 見ての通り私の護衛は忠誠心が高い!! あまり舐めた真似ばかりしていると、痛い目を見る事になるぞッ!!」
「…………」
驚愕に目を見開いて後ずさる護衛騎士を無視して、怒りに滾った男が片腕をあげて指示を出すと、残りの護衛騎士たちが一斉に抜剣する。
しかし、相も変わらずテミスは冷めた視線を送るばかりで、傍らに控えたシズクも手は刀の柄に番えたままであったが、憐れむような視線を一同へと向けていた。
「クス……本当に幸運な連中だ。なぁ……? そうは思わないか?」
「……幸運といいますか、不幸といいますか。私には何とも」
「ふぅむ……そんなものか……?」
男の恫喝を涼風の如く流しながら、テミスは不敵な笑顔を浮かべてシズクへと水を向ける。
けれど、矛先を向けられたシズクは苦笑いを浮かべて答えながら、テミスから酷く気まずそうに目を逸らした。
とはいえ、この無礼な男たちが幸運であるのは紛れもない事実だろう。
もしもこの場を、サキュドやコルカたち黒銀騎団の面々が目撃していたら、今頃天幕は血の海に早変わりしていたに違いない。
また、テミスが退屈に殺されそうになっていなかった場合も然り。
テミスが暇潰しに遊んでやろうなどと気紛れを起こしていなければ。威圧行為とはいえ剣を抜いた瞬間に、漆黒の大剣による一閃が男たちをまとめて薙ぎ払っただろう。
故に。彼等が今生き永らえているのは。
偶然に偶然が重なった奇跡にほかならず、幸運以外の何物でもないだろう。
尤も……生き永らえたとて、テミスの暇潰しに弄ばれる未来が見えているシズクとしては、生き永らえてしまった事こそ不幸にも思える訳だが……。
「グッ……クッ……クッ……!!! ゴホンッ!! まぁ良い。私は貴様に用があって出向いてやったのだ」
「ふぅん……? まぁ、これで3回目。そろそろ視界に入れてやるとしよう。さぁて。果たして間に合うかね……?」
怒りに震える拳を握り締めながら唸り声をあげた後、男は大きな咳払いを一つしてから、テミスを見下ろして口を開いた。
その言葉に、クスリと唇を歪めたテミスは低い声で呟きを漏らすと、それまで直視していなかった視線を漸く男へと向ける。
「貴様の――ッ!!」
「――おっと。その前に一つ忠告だ。本題を切り出すつもりなら、もう少し待った方が身のためだぞ?」
言葉を続けかけた男の機先を制して。
不意に指を伸ばしたテミスは半身を起こすと、ニタリと口角を吊り上げて告げる。
退屈したテミスは今、眼前の男たちを使ってゲームに興じていたのだ。
仏の顔も3度まで。その間にフリーディアが駆け付ければ良し。間に合わなければ、この無礼者どもには痛い目を見て貰おう……と。
恐らくは既に、警護担当の騎士がフリーディアに事態を報せに走っているのだろうが、未だにこちらへ駆けてくる足音は聞こえない。
だからこそ、この忠告は真に心の底から告げたものだったのだが……。
「あぁ……? 何を訳の分からん事を……。そんな事よりだ。貴様、何やら拾われの身には過ぎた良い剣を持っているそうではないか。喜べ。この私が使ってやろう」
男は欲に満ちた目で朗々と言い放つと、先ほど護衛騎士の剣を弾いた際に僅かに見せた大剣の柄へ向けて手を伸ばした。
「四回目。ゲームオーバーだ」
瞬間。
テミスはクスリと嘲笑を浮かべると、身体を覆い隠していた掛布団を跳ね除けて、神速の剣を振るったのだった。




