2163話 偽りなき姿で
「本当に……ここで良いのかい?」
程なくしてテルルの村の小さな港まで辿り着くと、スイシュウは酷く心配そうな様子でテミスを見つめながら口を開く。
確かに、一瞥しただけでは人の気配は欠片ほども無く、パラディウム砦までの長い航行に耐えられる船など一隻も無い。
しかし、スイシュウは知らずともこの村にはテミス達の確保した橋頭保が存在し、今もなお拠点として機能している。
「構わない。……世話になったな。スイシュウ。正直、助かった」
「っ……!! はは……。君にそう素直にお礼を言われると、なんだか照れ臭いねぇ。けど、むしろお礼を言わなくちゃいけないのは僕達の方さ」
「私は、私の目的の為に、動いたまで……礼を言われる筋合いなど無い」
「そう言うと思ったよ。けど、ネルードの皆が君に救われたのも、ネルードが未来へと進みだすきっかけを君がくれたのも事実さ」
「フ……頑固な奴め」
「君ほどじゃぁない」
「クク……」
「フフ……」
テミスとスイシュウはまるで別れを惜しむかの如く、穏やかに言葉を交わし、その傍らにはテミスの身体を支えるシズクと、周囲の警戒を担当するユウキが居たものの、二人が口を挟む事は無かった。
スイシュウとこうして協力関係を築く事ができたのはほんの偶然だ。
だからこそ、テミスがロンヴァルディアへと戻れば、再び相まみえる時はおそらく敵同士だろう。
それを理解しているからこそ、テミスもスイシュウも、この奇妙な協力関係が終わる事を名残惜しんでいた。
「……それじゃあ、寂しいけれど僕はそろそろ行こうかな。本当に、感謝しているよ。もう二度と会わない事を祈っている」
「なぁ……スイシュウ。私と共に来ないか?」
「えぇっ!?」
「なぁっ……!?」
「へっ……!? 僕がかい……?」
静かな別れの言葉と共に、スイシュウがゆらりと肩を揺らめかせた時だった。
僅かな逡巡を見せた後、穏やかなスイシュウの目を見据えて、柔らかな声でテミスが誘いをかける。
ネルード本国であれだけの人望を得ているのだ。スイシュウがこの誘いに乗らないであろう事は、テミスも十全に承知していた。
だがそれでも。このまま敵同士と別れてしまうには、スイシュウはあまりにも惜しい人材だった。
真隣ではシズクが、傍らではユウキがそれぞれに驚愕の表情を浮かべ、目をまん丸に見開いて絶句している。
しかし、当の本人であるスイシュウ自身は驚いた表情こそ浮かべているものの、二人ほどではなく、それが更に彼の底知れなさを物語っていた。
「嬉しいお誘いだけど、これでも僕は自分の国が大好きでね。君と一緒に行く事はできないよ」
「そうか……残念だ」
「あ~……代わりと言っちゃなんだけれど、ネールちゃん。君の本当の名前を……教えちゃあくれないかい?」
「我儘な奴め。こちらの誘いはすげなく振っておいてそれか。だが、まぁいい……。私の名はテミス。黒銀騎団団長、テミスだ」
「……やっぱり、そうだったかぁ。なら、僕もきちんと自己紹介をしなくちゃあね」
胸を張り、僅かによろめきながらも堂々と名乗りを上げたテミスに、スイシュウはふんわりとした微笑みを浮かべながら噛み締めるように呟くと、姿勢を正して真正面からテミスと向き合った。
「僕はスイシュウ。スイシュウ・フォン・ネルード。家名は家族がみぃんな殺されちゃったときに棄てちゃったんだけどね」
「ッ……!!」
「えっ……!? えぇっ……!?」
「……ただの治安維持兵ではないとは思っていたが。とんでもない秘密を抱えていたな?」
「ふふ。ついでに言うと、ただのスイシュウとしての治安維持兵の立場も仮のものなんだよね。本当の所属は近衛なんだ。あの物騒な剣はすぐに封印しちゃったから、今は持ってないけど」
「は……はは……。参ったな。流石にそう重なるのは想定外だ」
「それはお互い様だよ。もしかして……とは思っていたけれどね。でも、酷い話だと思わないかい? 一族郎党を皆殺しにしておいて手下になれだなんてさ」
姿勢こそ正したものの、朗らかな声で正体を明かしたスイシュウに、テミス達は揃って驚きを露にする。
テミスとて、スイシュウが何か隠しているだろうとは睨んでいたものの、こんな突拍子もない話が飛び出て来るとは夢にも思わず、消耗すら忘れて驚愕に立ち尽くす。
「そういう訳さ。もともと、家業なんて継ぐ気は無かったから、こうして一人のネルードの民として、皆の幸せを護りたいんだ。力及ばずなのは、身にしみてわかっているけれどね。だから……」
「クス……密約暗躍は我々の得意分野でな。お前の意向は、人助けが大好きな大馬鹿にも伝えておいてやるさ」
「ありがとう。これからも、よろしく……で良いかな? 今の僕じゃ、あまり力を貸せる事は無いけれどね」
「あぁ。よろしく頼む。この村にちなんで、テルル同盟とでも名付けるか」
「テルル同盟……良い名前だ。うん……それじゃあ、今度こそ僕はこれで失礼するよ。またね、テミスちゃん」
苦笑いを浮かべたスイシュウと、驚きから我に返ったテミスは、ゆっくりと持ち上げた手で握手を交わす。
そうして数秒縁を結んだ後。
スイシュウはスルリと一歩後ずさると、にっこりと微笑んでから踵を返し、警備艇に乗って去っていったのだった。




