2162話 底知れぬ策
白波を切り裂いて疾駆する警備艇は、港を封鎖すべく蠢く他の警備艇を躱し、今尚開かれたままの水門へと舳先を向ける。
だが、操舵室から漏れ聞こえる通信機の声は怒号を発し、撃沈も辞さない気迫を帯びていた。
「こちらサンマルサン号警備艇ッ!! 緊急事態に付き停船には応じられないッ! 繰り返す! 緊急事態なんだぁッ! 道を開けろぉッ!!」
「ひぇぇ……すっごいこと言ってる……。ねぇ……コレ、本当に大丈夫……?」
「…………。最早信じる他あるまい。今更退路は無いんだ」
慌てたように追跡を開始する後続の警備艇に、スイジュウは喧しくがなり立てる通信機を引っ掴んで怒鳴りつけると、ガシャリと叩き付けるように動力を落とす。
しかし、既に追っ手を背負ってしまった現状では、無事に水門を潜る事ができるかも怪しく、様子を窺っていたユウキが小さく悲鳴を漏らした。
恐る恐る問うようなユウキ悲鳴に、シズクにがっちりと身体を支えられたテミスは、物憂げな表情で嘯いてみせる。
本心を明かすのならば、テミスとて追手がかからないのではなかったのかと、スイシュウの無茶を咎めたい気持ちでいっぱいではあった。
けれど、事ここに至ってしまった時点で、怒鳴りつけようが喚き立てようが事態が好転する見込みは微塵も存在しない。
ならば、この道を選択した己を信じて託すのみ。
叫び狂う内心を理性でねじ伏せたテミスは、ゆっくりと空を見上げると、後方へ流れていく雲を眺めて現実から逃避する。
「あ……」
「っ……!? どうしましたかッ!? 気持ち悪いですか? どこか痛いですかッ!?」
そうして緊張から意識を解き放つと、テミスは脳裏を過った一つの懸念に静かに声を漏らす。
するとすかさず、身を寄せていたシズクが食い付くように反応を見せ、眉根を寄せた不安気な表情で問いを重ねた。
「いや……ふと、剣を船室に置いたままだと思ってな……。とはいえ、こんな調子では迎撃もままならんが……」
「良いんですッ!! その役は私がやりますからッ!! お願いですから、今は自分の身体を心配してください!!」
「とはいえだな……」
「どうか! ご自愛をッ!!」
「……わかったわかった」
「んふふ~……仲が良くて良いねぇ……。ボク、こうして側できいているだけで元気が出てきそうだよ」
渋るテミスを激しく諫めるシズクに、スイシュウは船を操りながらのほほんと声をあげると、視線を前へと向けたままにっこりと柔らかな笑顔を浮かべる。
しかし、舵を握るその手は右へ左へ細かく動き、不規則に揺れ動く波に合わせて、正確に船を操っていた。
「……通信。良いのか? 切ってしまって」
「大丈夫大丈夫。心配しなくても攻撃なんざされないから。その証拠に……ホラッ……!」
「ッ……!」
「わっ……!!」
「なっ……!?」
朗らかな声でスイシュウが言葉を紡ぐと同時に、テミスたちの乗る警備艇は凄まじい速度で水門を潜り抜け、ネルード軍港から矢のような速さで飛び出した。
けれど、追跡していた船はまるで港の中に繋ぎ止められているかの如く水門の前に固まり、軍港の外まで追ってこようとはしなかった。
「な……なんだ……? あれではまるで……見送りではないか……」
「ふふ……良くわかってるじゃない。皆、ボクたちを逃がすために来てくれたのさ」
「へぇっ!? に……逃がすため……!?」
「そ。サンマルサン号なんて警備艇は、残念ながらウチには無いんだ。ボクが勝手にそう言ってるだけ。むかし聞いた物語の主人公が乗る船の番号さ」
「……つまり、あの船たちはみんな貴方のお知り合い……という事ですか……?」
「ん~……そうでもあるし、そうじゃないとも言えるね。でも、顔見知りの仲間ではあるかな」
「…………」
驚愕するテミス達に、スイシュウは悠々と言ってのけると、どこか誇らしさの滲む笑みを浮かべる。
確かに、撃沈も辞さないなどと熾烈な警告を喚き散らせば、他の船が口を挟む道理はなく、背後を追い縋る船が仲間であるのなら、魚雷なり砲撃なりの攻撃も彼等が盾となって射線を遮ってしまう。
加えて最後に、水門の入り口で溜まるように留まってしまえば、さらに後続の船が追跡を仕掛けようとも道は塞がれており、容易く追ってくることはできないだろう。
「……驚いたな。大した策だ。仕込む暇も無かっただろうに」
「ンフフ……。人徳だよ人徳。こう見えてボク、皆と仲良しだからね。……さて、ひとまず軍港から離れるように進んでいるけれど、どこへ向かえば良いんだい? 流石に、対岸まで渡る燃料は無いれど、片道だけなら途中までなら辿り着けるよ?」
素直に驚きを露にするテミスに、スイシュウは深みのある微笑みを浮かべると、ゆっくりとした口調で問いを投げかけた。
その問いは持って回った言い方ではあったものの、パラディウム砦の島までなら燃料は持つ事を告げていて。
その言葉に意味するところは即ち、テミス達の正体にも気が付いているうえで、逃走を手助けするという一方的な申告だった。
「……っ! フッ……いや、そこまで手間はかけさせん。テルルの町で降ろしてくれ」
「テルルの村ぁ……? だってあそこは……あぁ……。了解。短い旅路なのは残念だけれど、しっかりと送り届けるからネールちゃんは安心してて良いからね」
「クス……気の利く奴だな。どこまでも」
「気が利くついでに、事が片付いたらあの村の辺りの巡回はボクたちが担当するように取り計らって貰うよ」
そんなスイシュウに、テミスがクスリと意味深に微笑むと、スイシュウもまたテルルの村に向けて舵を取りながら、深みのある笑みを浮かべてみせたのだった。




