2147話 過ぎたる力
グジュルッ!! と。
禍々しい小刀を突き立てた途端、『先生』の腕から粘性のある液体のような闇が溢れ出す。
不快な水音を奏でながら地面へと落ちた闇はうぞうぞと蠢いて、みるみるうちに腕を模っていく。
「グッ……ゥゥゥゥゥッ……!! 畜生ッ……!! コイツだけは……コイツだけはまだ使いたくなかったのにッ……!!」
「こんな……なんでっ……!」
失った腕を模って尚。『先生』が腕に突き刺した小刀から溢れ出る闇が止まる事は無く、ミシミシメキメキと厭な音を立てて、『先生』の二の腕から肩にかけてが膨れ上がり、異形の形へと変じていった。
ユウキが悲痛な声を漏らしながら息を呑む傍らで、テミスはただ鋭い目つきのまま新たな苦痛に悶え苦しむ『先生』を眺め続けていた。
「クソッ……! クソックソッ……!!! 浸食が……制御できないッ……!! ウウウウゥゥゥゥッ……!!」
「…………」
二の腕。肩。首……と。
右腕に突き立てた小刀から広がった闇は、まるで触腕を持った生き物が呑み込んでいくかのように広がり、『先生』を包み込んで繭のような球体と化した。
閉ざされた繭の中からもはや悲鳴は漏れ出る事すらなく、繭は時折ぐにぐにと中に取り込んだモノを咀嚼するように蠢いている。
自身の生み出した力のに呑まれての最期。
多過ぎる犠牲の上に成り立っていた武具の開発者の死に様としては、お似合いの死に様だ。
テミスは目を細めて蠢き続ける繭に蔑むような視線を向けた後、小さく鼻を鳴らして身を翻す。
「悪逆非道を為した鬼畜外道の死に方にしては、随分と生温い死に方だ」
たとえ『先生』が死んだとしても、テミス達にはまだ山のようにやるべき事が残っていた。
周囲を取り囲み、戦いを続ける異形の兵士たち。
その更に外側では、戦意を失っているとはいえネルードの兵士たちが遠巻きに戦いを眺めている。
加えて、この場でこそ共闘をしたものの、『先生』を排した今となっては、コジロウタが再び敵に回る可能性も否めない。
これら全てを突破しての敵陣中枢からの離脱。
『先生』との戦いで派手な立ち回りを演じてしまった以上は、往路のように隠れ潜んだ地下水道を使う訳にはいかない。
「ともあれ……まずは兵士共の片付けが先か」
考えをまとめたテミスは、溜息を漏らしながら傍らに付き立てていた大剣を逆手で引き抜き、クルリと回して肩に担ぎ上げる。
幸い、異形の兵士達は攻撃こそ強力ではあるものの、武器を振るうなどの瞬発的な行動以外の動きは鈍い。
敵に回るかの如何はさておいたとしても、ここは未だに戦い続けているコジロウタに加勢して、一気に片を付けるべきだろう。
「二人とも。まだ戦えるな?」
「はい。問題ありません」
「……うん」
テミスが共に並び立つユウキと、静かに佇んでいるシズクに確認をすると、シズクは即座に迷いの無い返事を、ユウキは逡巡こそ見せたものの、コクリと頷いてみせた。
「よし。では掃討戦に移行する。化け物共を排して離脱するぞ」
「はいッ!」
「……わかった」
「ユウキ。お前の気持ちは察するが、今は――ッ!?」
二人に指示を出した後、まだ逡巡を振り払えていない様子のユウキに、テミスが言葉を紡ぎかけた時だった。
突如。テミス達の背後から、巨大な果実を潰したような、ずぶちゅっ! という不快な音が響き渡る。
テミス達三人は、半ば反射的に前方へ回避行動を取ってから身を翻す。
すると、つい先ほどまで立っていた位置には、『先生』を包み込んだ繭のてっぺんから伸びた巨大な触腕が、ぐじゅぐじゅと何も無い地面を食んでいた。
「チィッ……!! 面倒なッ!! そのままくたばっていれば良いものをッ!」
ずるずると引っ込んでいく触腕を見据え、テミスは腹立たし気に歯噛みをすると、異形の繭に向けて大剣を構える。
まさか、指揮官も居ないというのに、化け物と化した『先生』が指示も無しに暴走するとはッ……! 何処までタチが悪いんだッ!!
テミスは不気味な繭と化した『先生』と相対しながら、胸中で苛立ちを吐き捨てたのだが……。
「ヒヒッ! ハハッ……!! アハハハハァッ!!」
「クッ……!!?」
耳障りな狂笑があたりに響き渡ると、『先生』を取り込んだ不気味な繭は、てっぺんから異形の触腕を生やしたまま、メキメキと音を立てて内側から膨れ上がる。
追い詰められた『先生』は、自我を失った異形の兵と化した。
力を操り損ねて呑み込まれた『先生』の姿に、テミスはそう判断していた。
しかし、この不快極まる笑い声を聞く限り、判断は間違っていたらしい。
たとえ異形の兵と化したのだとしても、姿が変化した段階で切って捨てておくべきだったッ!
テミスは舌打ちをしながら歯を食いしばると、胸中で己の誤算を呪う。
「終わりだ……。終わったぞ……お前達はァ……!!」
そんなテミスの眼前で、『先生』はバリバリと繭を破りながら姿を現すと、ギラギラと狂気の灯った眼で睨み付けながら、低く唸るような声で告げたのだった。




