2142話 許されざるモノ
ズルズルズル……と。
異形の兵士の身体を取り巻いていた闇が蠢き、ユウキが斬り伏せた傷を覆い隠す。
尤も、その傷口から持ちだけが流れ出ていた訳でなく、液状に見える影のような何かが染み出ていた。
故に。その後に起こる事など容易く想像ができ、ぐにぐにと蠢き続ける影に倒れた異形の兵士の身体がピクリと動いた刹那。
欠片ほどの慈悲すら感じさせない勢いで鋭く振り下ろされたテミスの大剣が、異形の兵士の頭部を切り離した。
「チッ……!! 胸糞の悪い真似をッ……!!」
異形の兵士の頭部がごろりと転がったのを確認してから、テミスは忌々し気に吐き捨てて、勢い余って地面にも突き刺した大剣を引き抜くと、嫌悪と怒りを込めて『先生』を睨み付ける。
元より信心深い訳ではなかったテミスには、神だの仏だのを崇め奉るような信仰は無い。
だがそれでも。精神と肉体を余すことなく凌辱し尽くした上で、その死後の亡骸すらも弄ぶさまは、眺めていて決して気分の良いものではない。
「その名も……元の顔すら知らん私だが、骸さえも嬲られる様を見ては……流石に気の毒だな」
もしもこの姿を、家族が、友人が、知人が見てしまったら。
その怒りや悲しみは計り知れないものになるだろう。
しかし、どれ程怒りや悲しみ、憎しみを抱いた所で、彼等の復習の牙は異形の兵士共に阻まれて『先生』に届く事は無いのだ。
「せめてもの慰みになるかなど私にはわからないが、どうやらこの場でお前を討つ事こそが一番の弔いだ」
更に一つ、胸の内で滾る怒りの炎に薪をくべたテミスは、『先生』へと切っ先を向けた大剣をぎしりと固く握り締める。、
だが……。
「弔いィ? 骸ォ? いったいなぁにをトンチンカンな事言ってんの? お前」
「なに……?」
「ったく……ヒトを勝手に死体で人形遊びするような狂人に、仕立て上げないでくれるかなぁ……!? ソイツらは死んじゃあいないさ! 一体だってなぁ! ちゃあんと生きてるよォッ!! それに……」
「ッ……!!?」
怒りの籠ったテミスの言葉に、ガリガリと頭を掻いた先生が盛大なため息を零しながら口を開く。
だが、続けられた口上が述べられ終わるよりも前に。
背後から、突如何者かの手がテミスの足首を、ガシリと強靭な力で掴み引いた。
「ひゥッ……ッ……!! ウワアァァァァァァァッッッ!!!?」
そのあまりにも悍ましい感触に、テミスは思わず漏れかけた甲高い悲鳴だけは辛うじて飲み込むと、驚愕の叫びをあげて足元を薙ぎ払う。
そこでテミスの足首を掴んでいたのは紛れもなく、つい先ほどテミスが首を刎ねたはずの異形の兵士で。
背筋を走る悪寒が肌を粟立たせ、引き攣った表情で足元へ視線を向けたテミスの前には、ずるずるうぞうぞと伸びた闇が、まるでモーニングスターのように断たれた頭部と身体を繋げていた。
もはやそこに居たのは、辛うじて保っていたヒトの原形は無くし、ずるずると己の頭部を引き摺る化け物だった。
「あっははははっ……!! 案外かわいい悲鳴をあげるじゃないか!!」
「っ~~~!!! ふざけるなッ!! こんなモノが生きているだとッ!!? あり得ないッ!! 世迷言も大概に――ッ!!!!」
ビクリと身を竦ませたテミスが、怒りと悍ましさが綯い交ぜとなった叫びをあげながら、自身の足首に残った異形の兵士の手首を掴んで打ち棄てる。
だが、蠢く手首を打ち棄てた直後、テミスは凍り付いたかのように動きを止め、大きく見開いた眼で震える視線を『先生』へ向けた。
そう。足首を掴み続ける手首を掴み取るために身を屈めた際、テミスの耳は聞くも悍ましく垂れ流される呪言を確かに捉えてしまったのだ。
「はっ……はっ……はッ……ハッ……!!!」
「ちょっ……!? どうしたのッ!? しっかりしてッ!!」
身体を凍り付かせたまま、浅く荒い息を吐くテミスに、異変に気付いたユウキが傍らに駆け寄って肩を抱く。
うそだ。あり得ない。あってはならない。こんなモノが……こんなコトが在っていい筈が無い。
しかし、顔を青ざめさせたテミスに言葉を返す余裕はなく、振り切れた怒りと悍ましさがぐるぐるとテミスの脳裏を支配した。
そして……。
「ウグッ……!! ウッ……ゲェェェェェェッッッ!!」
テミスは冷や汗と共に込み上げた衝動を堪える事ができず、その場で身体をくの字に折って、盛大に胃の中身を地面に向けてぶちまける。
その間も、シズクは不安気に表情を浮かべてテミス達を窺いながらも、攻撃の手を止める事は無かった。
けれど、幾度刀を振るおうとも、『先生』を護る障壁が尽きる事は無く、軽くいなされてしまう。
「ンっ……ふっふっ……! その様子だと、聞こえたみたいだね? こいつ等の奏でる怨嗟と絶望の声が。お前はあり得ないだなんて言ってのけたけれど、これが決して揺らぐ事の無い確かな証拠さ。な? こいつ等は生きているだろう?」
そんなシズクを無視して、『先生』はテミスに得意気満面な笑みを浮かべて両手を大きく広げると、誇らし気に胸を張って朗々と問いかけたのだった。




