2136話 悍ましき先達
小汚い白衣を纏った男は、罵倒を交えてひとしきりコジロウタを叱責した後、ニンマリと気色の悪い笑みを浮かべて、テミス達へ視線を向ける。
その男は武器すら帯びていないにも関わらず、僅かほどの気負いも感じさせる事無く、にちゃりと笑みを歪めて口を開いた。
「やぁ……待たせてしまって御免よ。あぁ……可哀想に……!! そんな大きな傷までつけられちゃって……!! オイッ!! 傭兵ッ!! 足止めに徹しろって言ったよなァッ!! 僕はッ!! 完品でこいつ等が欲しかったんだよッ!!」
「…………」
「ほんっ……とぉ……にさぁ……。困るよねぇ……ああいうのはさぁ……。簡単な命令一つ理解できないバカっていうの? 勘弁して欲しいよ、全く」
「……どさくさに紛れて、何を寄ってきている? その手の悪趣味なモノで、貴様は何をしようとしている?」
忙しなく言葉を紡ぎながら、男はゆらゆらとテミスに歩み寄るが、テミスはひらりと一歩身軽に退くと、警戒を絶やす事無く男を鋭い眼で睨み付ける。
男の手には、皮で作られていると見える短いベルトのようなものが握られており、そこからはエツルドやアイシュの握る呪法刀と同じ類いの禍々しさが感じられた。
「あっはぁっ……!! 流石に目ざといねぇ! 気付かれちゃったかぁ……!! 僕はいま、ちょうどキミたちみたいな可憐な強者を探していたんだよッ!! だからちょっと、僕のモノになって貰おうかなぁって……さっ!」
「ッ……!!」
辞す家な声でテミスが指摘をすると、言葉に男は軽薄な笑い声をあげながら、手に携えた短いベルトのようなものを自身の首へとあてがってみせる。
そこに籠められた明々白々な意味を汲み取る事ができないテミスではなく、背筋を走る悍ましさに鼻白みながら大きく一歩跳び下がった。
薄汚れた白衣の男が携えていたモノは首輪。つまるところが隷属の証。
禍々しい気配を感じるソレが、ただの首輪であるはずが無く、何かしらの効力がある品であるのは間違いない。
だが見たところ、この薄汚れた白衣を纏った男からは、戦いに身を置く者特有の気配を感じる事はなく、この男自身が戦う力を持ってはいないとテミスは確信していた。
「そうと言われて素直に傅くとでも思っていたのか? 見下げ果てた男だ」
「ウフフッ……! アハハッ……!! いいねその強気な態度……ゾクゾクする。そういえば、自己紹介がまだだったね? 僕の事は博士……もしくは先生と呼んでくれたまえ」
「っ……! そうか……お前がッ……!!」
「そうッ!! ボクがこのネルードの王にして世を導く指導者ッ!! 女神に選ばれし先導者ッ!!」
「フッ……」
静かに放たれたテミスの問いに、白衣を纏った男は大仰な身振り手振りを交えて自身が何者であるかを高らかに宣言する。
何も事情を知らない他者が聞けば、力を持つ者が故の朗々たる名乗りなのだろう。
だがテミスには、自身があの女神が送り込んだ転生者である事を告げただけに過ぎず、調子に乗った大仰な身振り手振りも、全てが滑稽に映った。
「ッ!!! 笑ったな? 今……僕の名乗りを聞いて鼻でせせら笑ったなッ!?」
「ククッ……! あぁすまない。随分とその……奇抜な名乗りだったのでな……ふっ……! センセイ……だったか?」
「…………」
抑えきれない失笑を浮かべながら言葉を続けたテミスに、『先生』は表情を歪めて口を閉ざす。
事実。テミスの零した失笑は『先生』への皮肉と挑発を込めたものであったものの、そのあまりの痛々しさから零してしまったものでもあり。
その笑いは自身に酔いしれていた『先生』の心に。冷や水を被せるかの如き効果があった。
「あ~あ……この僕がせっかく理性的に、平和的に、優しく、好待遇で迎え入れてやろうと思ったのにさぁ……」
「不要だ。そもそも、変態の奴隷など元より御免被る話なのでな」
「変態……? 困るなぁ……! 僕をそこいらのグズ共と一緒にして貰ってはさぁ!! お前たちを迎え入れるのは、僕の崇高な研究の為だよッ!!」
「ならばそこの男でも構うまい? 少なくとも、私と同等以上の力量を持っているのは確かなはず。加えて、奴は貴様の敵ではないのだ。敵である我々を求める前に、ヤツに協力を求めんのは道理が通らん」
一転して不貞腐れたような態度へと変じた『先生』に、テミスは重ねて皮肉気な微笑みを浮かべてみせると、真正面から淡々と道理を叩き付ける。
コジロウタは、テミスと真っ向から相対する力量を持っている時点で、強者であるという条件は満たしているといえるだろう。加えて、傭兵という身軽な立場であり、今はネルードに身を置いているのだ。奴隷という立場は置いておいたとしても、敵であるテミス達を引き込むよりは、まだ交渉の余地が在る筈だ。
「ははっ……!! わかってないなぁ……!! だって男じゃつまらないだろ? 悲鳴は粗野で品が無い……なにせそそられないじゃないか。それに比べて女の悲鳴は艶があるし……何より、遊ぶ楽しみもあるッ!!」
「ハッ……! なんだ……やっぱり筋が値の入った変態じゃないか」
高らかに、そして朗々と見下げ果てた理由を紡いだ『先生』に、テミスは皮肉気に笑いながら吐き捨てると、この場で『先生』を討ち取るべく携えていた大剣を構えたのだった。




