2127話 切り札の一撃
それは、この戦いでエツルドが初めて見せた致命的な隙だった。
だが、それも無理からぬ話だろう。
ロンヴァルディアの後方に在るネルードに起居するエツルドが、魔王領の中にあって尚希少な鉱物である、ブラックアダマンタイトの特性など知る事ができる筈もない。
ブラックアダマンタイトは所持者の魔力を通じて、自らの重量を変化させる。
だが、最高硬度を誇る鉱物だけあって、ブラックアダマンタイト自体の素の重さは非常に重く、人並み以上に鍛えているフリーディアであっても、魔力の才に乏しい彼女には持ち上げる事すら叶わないほどだ。
そんな重りを脚に咥え込んだままで、エツルドがまともに動く事などできる筈もない。
対してテミス達には未だ一振り、シズクの携える刃が残っている。
「それがどうしたッ!! それだけの傷を負わせたのだッ!! 武器が無くともお前を殺すのに支障はないッ!!」
退いたテミスは徒手空拳で戦う構えを取りながら、不敵な笑みを浮かべるエツルドを高らかに挑発した。
たとえ足枷を嵌めようとも、刀を持つシズクを警戒されては、この途方もなくタフなエツルドを一撃で仕留めるのは至難の業だろう。
故に、テミスは刃を受ける剣すら持たない身で尚、エツルドの注意を引くべく眼前に立ちはだかったのだ。
「ガハハハッ……!! 面白い冗談だ!! ならば打ち込んで来い。そら……! 俺を殺せるんだろう?」
「……ッ!!」
しかし、テミスの挑発を受けたエツルドは、激しく傷付いた身体で胸を張り、挑発をし返した。
傲慢を垂れ流したような態度ながらも、それはれっきとした待ちの構えで。
それを理解しているからこそ、背後で構えを取るシズクも安易に飛び込むことなく、慎重に機を窺っている。
だがなればこそ、ここでテミスが退けば切り札の存在が露見しかねない。
選択肢を失ったテミスには、もはや無手のままエツルドに挑む他に道は無く、固く歯を食いしばりながら構えた拳を握り締める。
「クックック……! そらみろ。口だけじゃあ――」
「――オォォォォォォォッッッ!!!」
「ッ……!!!」
蔑むような笑みを浮かべたエツルドが、ニタニタと意地の悪い笑みを浮かべながら言葉を紡ぎかけた時だった。
裂帛の気合が籠ったテミスの雄叫びがビリビリと響き、笑顔を浮かべていたエツルドの目が僅かに見開かれる。
「カァァァァァァァッッッ!!!」
ドンッ!! と。
再び雄叫びをあげたテミスは、地響きすら生じるほどの強さで地面を蹴り抜くと、弾丸のような速度でエツルドへ向けて跳び出した。
固く握り締められた拳は腰溜めに引き絞られ、ギラギラとした殺気を纏った瞳は、射殺さんばかりにエツルドの目を睨み付けている。
「チッ……!!」
常人であれば、真正面から受けただけでも気を失ってしまうほどの、殺気と気迫の圧力を前に、僅かに怯んだエツルドは、迫り来るテミスを迎撃すべく、自らの剣で宙を薙いだ。
しかし、僅かであろうと気圧されて出遅れた剣で、テミスを捕らえられるはずも無く。
構えを解かないままヒラリと宙へ身を躍らせたテミスは、エツルドの放った刃を躱して肉薄する。
「ッ……!!!」
回避は不可能。
目前に迫ったテミスの姿に、瞬時にそう判断を下したエツルドは、跳び上がったテミスから降り注ぐであろう拳打から身を守る為に、残った左腕で顔面を庇った。
だが、刹那の時が過ぎようとも、守りを固めた左腕にテミスの拳が振るわれる事は無く、須臾にも満たない一拍の間が生まれる。
「なッ……!?」
指先一つすら動かす事の叶わない僅かな間。
己が腕で前方の視界を閉ざし、制限されたエツルドの視界の隅で、僅かに白銀の髪が舞い踊る。
それが見えたのは足元。
僅かな時の中で視線のみを動かしたエツルドは、跳び上がっていた筈のテミスが自身の足元にしゃがみ込み、拳を構えている姿を捉えた。
けれど、常軌を逸した動体視力を以て姿を捕らえようとも、既に己が身を守るべく筋を動かしてしまったエツルドに為す術は無く……。
「セエエエエエェェェェェッ……!!!!」
全身のバネを全て用いて放たれた、テミスの拳打を受ける他に術は無く、弾けるような気合と共に打ち込まれたテミスの拳が、エツルドの顎を下方から穿ち抜いた。
本来ならば、この拳打の一撃だけでも、頭蓋骨が弾け飛んでいても不思議はない程の威力を誇っている。
しかし、全力を込めて振るわれたテミスの拳を受けて尚、エツルドの頭は首をのけぞらせただけで原形を留めていた。
だが。テミスたちの本命はこの拳打ではなく……。
「斬るッ……!!!」
静かに、しかし鋭い呼吸と共にシズクは言葉を吐き出すと、一糸乱れぬ流麗な動きで疾駆した。
そんなシズクの刀から放たれた一筋の剣閃は、音すら奏でる事無く空を薙ぎ、テミスが打ち上げたエツルドの首へと一直線に吸い込まれたのだった。




