20話 血濡れた希望
「っ……あれはっ!」
テミスが馬を走らせながら火の手が上がる中心広場を曲がると、すぐにマーサの宿屋が見えてくる。そこでは、4人の人間軍兵士に囲まれた見覚えのある衛兵が一人、槍を手に宿屋を背にして応戦していた。
「ハァッ!」
テミスは蹄の音を響かせながら馬を疾駆させ、馬上から敵の兵士の一人を切り裂かんと大剣を振り下ろす。しかし、近くに居た敵兵が即応し、テミスの斬撃に割って入る。
「っ……何者だ! 背後から斬りかかるなど、やはり魔族は卑劣か!」
「ハッ、ならば軽装の敵兵を重装兵士4人で囲って戦うのは高潔だとでも?」
テミスは即座に陣形を組みなおす人間兵達を眺めて嗤いながら、馬を止めてその背から飛び降りる。
「黙れ! 我らの戦いはこの町を解放する大義の戦い! 汚らわしき魔族など――」
「クククッ……ハハハハハハハハハッ! この惨状が解放? お前は正気でも失っているのか? 略奪の間違いだろう?」
「フン、唾棄すべき魔族から解放してやるのだ。それなりの礼というものが――」
髭を蓄えた小隊長らしき壮年の兵士が口上を述べた瞬間。テミスは担いでいた大剣を横薙ぎに振るい、顔面を浅く真一文字に切り裂いてやる。
「っ……ぐあっ……」
「では、私からも礼をせねばな。その髭面に似つかわしい勇猛の証を進呈しよう」
テミスは残虐に微笑みながら皮肉を投げつけ、振り抜いた格好から再び剣を肩に担ぎなおすと状況を確認する。
まずは、宿の入り口を背に槍を構えたままのバニサス。体の至る所から血を流してはいるが致命傷は負っていないようだ。
次に、テミスとバニサスの間に陣形を組みなおした人間軍の兵士たちが四人。こちらは先ほどの雑魚とは異なり、整った武装と動きが日々の鍛錬を伺わせた。
「フム……」
テミスが喉を鳴らして思案する間に、互いに背負合わせる形で二対一の形を取っていた人間達の陣形が、じりじりとその形を二対四の形へと姿を変えていく。
「好都合だな」
テミスがボソリと呟いて無造作に数歩バニサスの方へ歩み寄ると、弾かれたように動いた兵士たちの陣形が完成し、宿を守るバニサスとテミス。それを追い詰めた格好の兵士たちという状況になった。
「ぐっ……」
「下がって居ろ」
テミスは振り向かず、呻きながら槍を構え直すバニサスに告げる。致命傷でないにしても、傷付いた彼を戦わせるのは芳しくない。万が一にでも彼がやられるようなことがあれば、アリーシャ達に合わせる顔がない。
「しかしっ!」
「このような連中。貴殿の手を借りるまでも無い」
生きていてくれた喜びと安心。そして、マーサ達を守ってくれた感謝を押し殺して、低い声でバニサスを制する。
「汚らわしい魔族の分際でェッ!」
怒声と共に、数歩進み出たテミスを囲んだ兵士たちが切りかかる。狙いはそれぞれ、太腿・首・胴とどの攻撃を浴びても戦闘不能に陥るであろう部位。恐らくは、数人を犠牲にしてでも一太刀を浴びせ確実に討ち取る算段なのだろう。
「成る程。確かに合理的だ」
テミスは決死の気迫と共に肉薄してくる兵士に向けて静かに呟くと、一際若い一人の兵士に体を向けて大剣を構える。
「殺れぇっ!」
血走った目の小隊長が発した怒号の後に、重なった金属音と肉を裂く音が響き、血潮が舞い上がった。
「そ……んな……」
絶望の表情を浮かべた若い兵士が崩れ落ち、軽鎧が甲高い音を立てる。
テミスの体を貫くはずだった兵士たちの剣は全て、堅牢なブラックアダマンタイトの甲冑に阻まれ、鎧に傷を残す事すら無く、ただ高い音を立てただけに留まっていた。
「フン。他愛もない」
テミスは鼻を鳴らしながら呟くと、距離を取ろうと跳躍した兵士を串刺して切り払う。
「さて、人間。一つ提案だ」
「な……に?」
残った兵士が小隊長と並び立つのを見て、テミスは口を開く。しかし、そのヘルムの下には歪んだ笑みが浮かんでいた。
「今試したように、貴様等の剣は私には届かん。対して貴様らにこの剣を受ける術など無いだろう」
そう告げるとテミスは誇示するように大剣を地面に突き立てる。砕けた石畳の欠片と共に、切り裂いた兵士の血が音を立てて石畳へと飛び散った。
「逃がす気など毛頭なかったのだがな……」
「っ……」
あえて聴きとれる声量で呟かれたテミスの言葉に、小隊長の隣に居た兵士の顔が希望に満ちる。年の頃は40そこそこだろうか。小隊長とは異なり、綺麗に剃り整えられた髭が貫録を醸し出していた。
「誇りと命。どちらかを選ばせてやろう。このまま私と切り合って大義の元に死ぬか、隣の同胞を殺して生き永らえるか」
「なっ……」
壮年の兵士が浮かべていた僅かな希望を見出した表情が、一転して深い絶望と怒りに塗り固められる。そして、それは次第に純粋な怒りへと色を変えていき、壮年の兵士は迸る闘志と共に一歩前へと足を踏み出した。
「小隊長! せめてこの畜生に一太刀をっ! ……えっ?」
「……フヒッ」
しかし、自分たちを弄ぶ悪魔に怒りを燃やし、勇猛たる決意を見せた兵士が一歩前に進み出た瞬間。その胸から剣の刃先が顔をのぞかせた。
「えっ……? な……」
「私は生き延びねばならん。魔族を倒し、解放を続けるために……戦後に催されるカズト様の祝賀会も……」
驚愕の顔で後ろを見る兵士を無視して、小隊長の漢はブツブツと呟く口走りながら、仲間の兵士に突き立てた剣を引き抜き仲間の体を石畳へと捨てた。
「チッ……よりにもよって奴か」
テミスは胸に渦巻いた感情と共に、聞き覚えのある名を吐き捨てる。
嫌なものを見てしまった。てっきり2人共殺し合うか、刺し殺された兵士のように立ち向ってくるかだと思っていたのだが……。この胸のぬぐえぬ不快感はさながら、私情の恨みを交えた罰と言った所か。
「こ、これで見逃していただけるので――」
「つまらん幕切れだ」
テミスは一笑して突き立てた大剣を引き抜き、跳ね上げた勢いを利用して力の限り小隊長へ振り下ろす。型など欠片も無い無様な一撃でも、その威力は小隊長だった男の体を縦に割り、その下の石畳を貫く程度はあった。
「っ……」
「すまないな、卑劣ではあったが勇敢な兵士殿。下らん復讐を果たそうとした私の落ち度だ。せめて介錯は敵である私の手でしてやろう」
「……コホッ。すまない、シンシア……帰れそうに……」
テミスが胸から血を流す兵士に声をかけると、兵士は震える手で首元のロケットを開き、今にも消えそうな声でその中へ語りかける。その中には、質素ながらも小ぎれいな格好をした壮年の女性が、柔かな笑みを浮かべていた。
「っ……馬鹿が。家族が居るのならどうして――」
テミスはその光景に歯噛みしながら、かけようとした言葉を噛み殺す。この男に私がかけて良い言葉など無い。この名も知らぬ兵士とは敵同士で、そればかりかこいつはマーサ達の宿を襲撃していた奴等だ。
「チッ……」
テミスは舌打ちと共に、一気に増大したねばつく泥のような不快感に蓋をしながら、末期の祈りを済ませた兵士の首に大剣を振り下ろす。
「……クソッ」
歯ぎしりと共に、言葉にできない苛立ちがテミスの心を焦がす。これではギルティアの言う通りではないか。戦場で善悪の区別などつく筈もない。善良な犠牲者を減らすのならば、一刻も早く戦争を終結させるしかない。
「……助かりました」
「済まない。嫌なものを見せたな」
テミスは苦い顔をしているバニサスに応えながら彼から視線を外す。誇り高いバニサスがあのような行為を好むはずがない。
「中の者は無事か?」
「はい、お陰様で」
逃げるように話を逸らすと、バニサスが笑顔で頷く。ここが無事なのであれば、二人もきっと無事なのだろう。
「では状況が知りたい。どうなっている?」
「えっと……」
そう尋ねると、バニサスが苦笑いをしながら首をかしげた。
「すいません、一応軍務なので……どちらの方か教えていただかないと……」
「ああ、すまない。私はテ――コホン。我らは魔王軍第十三独立先遣隊だ」
そう昔の事ではないのに……懐かしく感じたやり取りに口が滑りそうになって焦る。部下に隠させているのに自分から名乗っては間抜けも良い所だ。
「失礼しました、では中へ。病院がやられちまったので、避難の他、ケガ人の治療もしていますので手狭ですが……」
そう言うとバニサスは宿の扉を開けて、私を招き入れようとする。戸口からは、見知った懐かしい店内と、その中で忙しく駆け回る二人の姿が見えた。
「っ――」
「どうしました?」
「いや、失礼。すぐに前線へ向かうから、一番敵が居そうな所を教えてくれ」
あまりにも懐かしい風景に、テミスは思わず手を伸ばしそうになる。だが、今の私は村娘テミスではなく、黒い甲冑を身に纏う残忍な魔王軍の試験兵。この戸口をくぐる資格は無い。
「は、はい。でしたら、そこの広場を曲がった所にある、メインストリートを進んだ先の門かと。人間軍が攻めてきて、そこに陣を張りやがったので恐らく……」
バニサスが姿勢を正し、門の方を示す。偶然だろうが、私がこの町に来て始めてバニサスと話し、笑い合った門に陣を構えるとは、なかなかどうしてやってくれるではないか。
「ここの防衛戦力は貴殿一人か?」
テミスはバニサスに頷いて、背を向けた所で思い付き足を止める。確か彼は、相談に乗ってもらったあの夜に居た人間とバディを組んでいたはずだ。
「はい。恥ずかしながら。今ここに居る者で戦えるのは俺だけかと」
「っ……了解した。兵を一人ここに配置する。それまで持ちこたえてくれ」
じくり、と鈍い痛みが胸の内に走る。せめて、生きていてくれれば……。
少し身内びいきな気がするが、バニサスの言葉を借りるなら、今ここは避難所を兼ねた野戦病院なのだ。一般人を略奪から守護するための防衛戦力を配置する必要がある。
「マグヌス、サキュド――」
テミスは町の入り口で受け取った通信機に呼びかけると、2人に与えた命令を更新する。マグヌスには宿の場所を伝え、防衛するように。サキュドにはマグヌスの受け持っていた地区をそのまま引き継がせた。サキュドの通信機から返事の代わりに聞こえてきた、嬉しそうな舌なめずりは聞かなかった事にしよう。
「テミス?」
「っ――!?」
通信を終えてから、馬を預けようとバニサスを振り返ると同時に、店の中からひょこりとアリーシャが顔を出す。すると、まるで発作でも起こしたかのように、テミスの心臓がドクン跳ね上がった。
「あれ? 今テミスの声が聞こえた気が……」
「ああ! そうだ、テミスちゃんだ! どっかで聞いた声だと思ったんだよ! でも、まさかな……。っと、失礼しました」
テミスはアリーシャを指さして手を打つバニサスの横で、咳払いをして注意を引く。私の弱い心臓は、いまだに早鐘のように速いリズムを刻んでいた。
「えっと、こちらの方は?」
「さっきの奴等を倒してくれたんだ。っと、見ない方がいい。 ……ああ、実際この方が来てくれなければやばかった」
何かを自分に言い聞かせるように頷いた後、テミスに笑いかけたバニサスが、自然な動きで小首をかしげるアリーシャと死骸の間に割って入る。
「ありがとうございます! ん~気のせいかぁ……テミス、この人みたいに胸おっきくないしね」
「なっ……」
そう呟くとアリーシャの視線が一瞬、サイズの合っていないチェストアーマーに走った。しかし、テミスが言葉に詰まっている間に、アリーシャは頭を下げて店内へ戻っていった。
「いや、失礼しました。ちょっと前にここに居た、テミスって旅人の女の子に、あなたの声がとても似ているので、きっと思い出しちまったのでしょう……」
「…………そうか」
テミスの左手が無意識に胸へ向う。正確にはその奥にある、胸にかけているネックレスだが……。今のこの姿を、アリーシャが見たらどう思うのだろうか。
「……では、すまないが馬を頼む」
テミスは振り払うように首を振ると、バニサスに馬を預けて駆け出した。もし許されるのであれば、ヘルムを脱いで無事でよかったと抱き着きたい。だが、彼等の目の前で人間軍の兵士を両断した今、それはもう許されないだろう。
「案外……しんどいものだな」
テミスの空虚な呟きは、戦火の悲鳴に呑まれて消えていくのだった。
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