2115話 情けを棄てて
翌日。夜明けと共に作戦を開始する。
サンたちの待つ拠点に戻ったテミスは、ただ一言だけアイシュへ言伝を送ると、喚いて説明を求めるサンをあしらってから、仲間達の元へと足を向けた。
その間も、シズクがテミスの傍らから離れる事は無く、まるでテミスを親と慕う子供のように、後を付いて回っていた。
「……良かったのですか?」
「何がだ?」
「彼の事です。今は少しでも戦力が欲しい折のはず……」
「あぁ。構わん。寧ろ邪魔だ。今回ばかりは、戦いの最中に背中まで気を配ってなど居られんだろうからな」
「っ……! 彼が……裏切ると……?」
「わからん。だが、可能性の無い話ではない」
船の傍らのタラップを上りながら、テミスとシズクは低く抑えた声で言葉を交わす。
情に厚いように見えて、サンは生粋のネルードの民だ。
たとえ同じ相手を敵と見定めていようとも、テミス達がロンヴァルディア側の者であるという正体を明かせば、如何なる選択をするかまでは分からない。
もしもサンを戦場へ連れて行くのならば、必然的にテミスの真の姿を……漆黒の大剣を振るって戦う、場面を目の当たりにする事になる。
だがもしも、事がそこに至ってから叛意を呼び覚まされれば、それは敵中で真後ろに敵が沸き出すのと同義だ。
そのような危険を冒すくらいならば、いっそ元よりテミス達の元に在った戦力であるとは考えずに、ある程度は割り切った共闘体制を築いているアイシュに加勢させた方が有効だろう。
そうすれば少なくとも、戦場で背中を刺される可能性は無くなるし、仮に後に相対する事になろうとも、その時は真正面から敵として刃を交えれば良いだけの話だ。
「あちらは……動きますかね?」
「何かしら動きはするだろう。だが……我々に利するかは五分だろうな」
「……悔しいですが、こればかりは祈るほかありませんね」
「クク……奴とて底の抜けた馬鹿ではない。好機と見れば、迷わずこちらへ向かって来るさ。奴も……できるのならば、自身の手で決着を付けたいだろうからな」
ゴッ……! と。
テミスは固い軍靴の底で木製の甲板を踏みつけると、喉を鳴らしてせせら笑う。
事の始まりが如何なるものであったのだとしても、奴の心に渦巻く妄執の強さは、テミス自身が良く知っている。
敵の敵は味方。
一度は本気で殺し合った相手であるからこそ、まだ腹の内が読める分、アイシュの方が信用できるのは皮肉な話ではあるが……。
「シズク」
「っ……!」
コツリ。と。
テミスは自分達に割り当てられた部屋の前で立ち止まると、背後を振り返って静かな声で口を開く。
その目に揺蕩う光には、凛と気高い覚悟が宿っていて。
自然と背筋を伸ばして姿勢を正したシズクは、真っ直ぐにテミスの瞳を見返して無言の答えを返す。
「先程お前が私に言ってくれた言葉。感謝する。よく覚えておくことにする」
「テミス……さん……」
「……だが。ここから先の戦いはさらに厳しいものになる。ともすれば、情や想いなど擂り潰されてしまうほどのな」
「っ……!!」
「だから……明日からは暫く、そう言った思いは胸の奥底へ封じ込めろ。鬼になるんだ。戦場では敵を鏖殺し、高嗤う鬼と化せ。明日もまた、友と笑い合う為に」
柔らかな微笑みを浮かべたテミスは、心から雫に礼を告げてから、真剣な面持ちで本題へと斬り込んだ。
真面目で心優しい性根を持つシズクには、ここから先の戦場は厳しいものになる。
義理や人情を重んじる彼女はきっと、武人として恥じぬ気高さを以て戦い、己が身を賭して仲間を護る気概があるのだろう。
けれど恐らく、ここから先の戦いで必要なのは真逆のもので。
勝利というただ一つの目的の為ならば、ともすればテミスすらも見棄てて進む冷酷さが必要なのだ。
しかし……。
「ご心配、ありがとうございます。ですが、ご安心ください。私の握る刃に曇りはありません」
「……フッ。そうか。すまない。どうやら、愚問だったようだな」
シズクは胸を張って不敵な笑顔を浮かべてみせると、迷いの無い言葉で返す。
そんなシズクに、テミスは僅かに目を見開いた後、クスリと穏やかな微笑みを浮かべて頷いてみせたのだった。




