2112話 命の価値
ドムンッ!! と。
肉を他Þ空きつける鈍い音を響かせながら、テミスの一撃を喰らった男の身体が床を跳ねる。
時が凍り付いたような静寂の中で、再び宙へと浮いた男の身体だけが時の経過を物語っており、永劫にも思える刹那の時間の後。男の身体はドサリと音を立てて再び地面へと落ちた。
「うっ……わ……アレ……死んだ……?」
「嘘だろ……? 素手だぞ? しかも……一撃で……?」
「馬鹿……! お前知らねぇのか!? 獣人族の身体能力は人間以上! あの一撃だって、どんな力で叩き込まれたか……」
「チッ……!!」
「ヒィッ……!?」
再び訪れた静寂を、見物していた周囲の者達の中から漏れた声が揺らす。
確かに、テミスが一撃を入れた男は床の上に倒れ伏したまま白目を剥いてピクリとも動かないが、たとえただの人間であっても、食らえば即死んでしまうほど強烈な拳打を放った覚えなどテミスには無かった。
だが、周囲の見物人たちがそのような実情など知る由もなく。
次第にざわざわと広がり始めた動揺に声に、テミスが苛立ちの舌打ちを一つ奏でると、最初に声を発したらしい男が見物人たちの中でか細い悲鳴をあげた。
「やれやれ、図体に似合わず堪え性の無い奴だ……なッ……!!」
「ごぉッ……!? ガハッ……ゲホッ!! ゴホゴホッ……!! ッ……!! ハァッ……ハァッ……!!」
「んなっ!?」
周囲の見物人たちをじろりと見渡した後で、テミスは溜息まじりに言葉を紡ぎながら、打ち倒した男の傍らへ歩み寄ると、おもむろにその丸めた背を蹴りあげる。
瞬間。
悲鳴の声すら上げる事無く倒れ伏していた男は激しく咳き込みはじめ、涎と鼻水と涙で顔をぐちゃぐちゃに汚しながら、荒々しい呼吸を始めた。
その姿はまるで、死人にすら鞭を打ち無理やり蘇らせたかのごとき鬼畜の所業で。
傍らで一部始終をその目に収めていた、テミス達に絡んできた賞金稼ぎの片割れは、あまりの恐怖でガタガタと身体を震わせ始める。
「心配するな。殺してなどいる訳が無いだろう。それで……? 残るのはお前一人のようだが、まだやるか?」
「ぁっ……!! ぁぁっ……!! ぁぁぁッ……!! ぁがががッッ!!!」
涼やかに不敵な笑みを浮かべ、テミスは周囲の見物人たちにも聞こえるように大きな声で念を押すと、残った恐怖で震える片割れの男へ視線を向けて問いかけた。
だがそれだけで、男はその場に腰を抜かして目に涙を浮かべると、声にならない悲鳴を口から漏らしながら、ぶんぶんと必死で首を横へ降り始める。
無論。テミスとしてはただ、言葉通りの意味で問いかけただけなのだが。
シズクを除くこの場の者達全てには、テミスの浮かべた不敵な笑みは凄みを増し、放った言葉の間に全く異なる意味を見出したのだ。
「あ~あ……アイツ等、死んだな。聞いたかよ? 自分達に喧嘩を吹っかけた奴を、ただで殺してはやらないってよ」
「っ!?」
「当然だ……。相手が格上だって事もわからん愚か者には当然の末路だ」
「……っ!?」
「でも、正直いい気味だぜ。あいつ等、威張り散らすわ横暴だわで、正直ムカついてたんだよな」
「……っ!!?」
テミスは相手がまだ生きている事を周囲にアピールしながら、まだ続けるか否かを問うただけであったにもかかわらず、周囲からはひそひそと全く己が意図とは異なる言葉が零れ始める。
その言葉に、テミスは驚きの表情を浮かべて声がした方へと向き直り、遅れて自分の言葉が全く別の意図に受け取られている事を理解した。
だが、時は既に遅く……。
「お前サン……殺るんならせめて店の外でやってくれ。ここで殺られちゃあ店が汚れる」
見物人たちの間から一歩進み出た店主が静かな声で告げると、店の入り口付近に立っていた見物人の列が一斉に左右に分かれて道を作る。
とはいえ、テミスには彼等の命を取る気どころか、これ以上戦う事なく退くというのなら、喜んで逃がしてやるつもりだったのだが……。
「ッ~~~~!!!! た……た……頼むぅッ!! お願いしますッ!! 相棒を……殺さないでくれぇぇぇ……!!」
「いや……」
「許してください……!! 何でもします! 何でも差し上げます!! ですからどうか……命だけはぁぁぁぁ……!!」
見物人たちからの見えざる圧に気圧されて、テミスが一歩たじろぐと、恐怖で腰を抜かしていて男がテミスの足元へ飛び出し、床に頭を擦り付けて命乞いを始める。
けれど、テミスが認識を正そうと口を開きかけるも、必死に重ねられる男の命乞いに機先を制され、口を開くタイミングすら失ってしまった。
その時だった。
「チッ!! うざってぇなッ!! みっともねぇ命乞いなんかしてねぇでさっさと死ねよ」
「全く……見物してるこっちの身にもなれってんだ。明日も仕事だってぇのによ……」
「まぁそう言うな。珍しいモンが見れるんだからよ。楽しもうぜ?」
「ッ……!!!」
見物人たちの間から零れてきた言葉に、テミスは目を見開きながらビクリと肩を跳ねさせると、背筋を凍り付かせるように駆け抜けていく寒気に、身体を強張らせたのだった。




