2106話 権威の塔を求めて
カツカツと軍靴の音を鳴らしながら、テミスは夕暮れ時のネルードの町を、迷いの無い足取りで歩んでいく。
しかし、行き先を告げられていないシズクはただ、テミスの姿を見失わないように後を付いて歩く事で精一杯だった。
「フム……」
「っ……!」
幾つもの通りを過ぎた交叉路で立ち止まって、何かを確認するかのように周囲を仰ぎ見た後、再び歩きだすとまた立ち止まって周囲を仰ぎ見る。
それを数度繰り返す頃には、テミス達はきらびやかなネルードの中心街へ足を踏み入れており、周囲を歩く人々も身なりの良い者達へと変わっていく。
だがそれは、外套を目深に被って姿を隠しているテミスとシズクにとって、周囲の人混みに溶け込むことの出来ない危険地帯であり先へ進むごとにシズクの胸の内に不安が積もる。
「フゥム……?」
「…………」
そして足を止めること更に数度。
ちょうどテミスが周囲を見渡した時だった。
「おい貴様ッ……! ここは貴様等のような薄汚い貧民が足を踏み入れて良い場所ではないぞッ!!」
「クスッ……」
「っ……!」
「あっ……!! おいッ!! 何処へ行くッ!! 待てッ!! 貧民の分際でこの私を愚弄するかッ!!」
身なりの良い一人の男がテミス達に目を留めると、引き連れた数名の仲間と共にテミスの傍らに立って難癖をつける。
だが、テミスはクスリと微笑みを浮かべただけで言葉を返す事は無く、まるで男たちの声など聞こえていないかの如く身を翻す。
その傲岸不遜な態度に、男たちは早速とばかりに色めき立つと、小走りでテミスの先へと回り込んで眼前に立ちはだかった。
けれど、側に着いていたシズクは見逃さなかった。
男たちが絡んできた瞬間。クスリと微笑んだテミスの口角が、まるで何かを企んでいるかのように不敵に歪んでいたのを。
故に。シズクはこれから起こるであろう騒動に巻き込まれないように……。もとい、テミスの企みの邪魔をしないように数歩下がると、哀れみの籠った視線で男たちを仰ぎ見る。
「んん……? 私か? 愚弄とは……はて、何の事だ?」
「貴様は今ッ!! この私がわざわざ忠告してやったにも関わらず、あろう事か無視をしただろうがッ!!」
「忠告など受けた覚えなど無いが……? ン……? そう言えば確かに、貧民がどうだのと喚いていた間抜けは居たな?」
「なァッ……!! きッ……キッ……様ァッ……!!!」
「だが生憎。私は貧民では無いのでな。このような場所でも莫迦は居るのだなと聞き流していたんだが……」
「ッ……!!!!」
朗々と言葉を並べるテミスの前で、絡んだ男はみるみるうちに怒りに顔色を赤く変え、怒髪天が衝く勢いで表情を歪める。
だがそれでも、テミスの皮肉が止まる事は無く、終いには男は怒りのあまり言葉すら発する事すら出来ず、血走った眼で射殺さんばかりにテミスを睨み付けていた。
「だが、ちょうどよかった。インペリアルタワーとか言う建物は何処にある?」
「ッ……!! がぁぁッ――!!」
「――待てッ……!! インペリアルタワー……と言ったのか!?」
自らへ向けられた殺気を錫枷の如く受け流しながら、テミスは途方もなく軽い調子で襲い掛かって来た男に道を尋ねる。
けれど、既に怒りに呑まれていた男の耳に問いが届く事は無く、方向と共に男の右こぶしが振り上げられた。
しかし、その拳が振り下ろされる刹那。
男の傍らに立っていた仲間らしき男の一人がそれを制すると、緊張に満ちた声でテミスに質問を返す。
「あぁ。少し……待ち合わせをしているんだが、名を示す立札も無い上にこうも尖塔の多くては見分けがつかん」
「がッ……!! 放せッ……!! コイツをッ……!!」
「落ち着け馬鹿ッ!! 連れが大変失礼をしました。重ねて失礼を承知でお伺いいたしますが、ご所属をお伺いしてもよろしいでしょうか? 彼の尖塔は特別なお方が集われる場所……どうかご理解を」
絡んできた男とは打って変わった態度で、連れの男はテミスに軽く頭を下げて謝罪をしながら、酷く丁寧な口調で問いを口にする。
どうやら最初に絡んできた男とは異なり、こちらの男はなかなかどうして頭が切れるらしい。
お陰で、面倒な手間が増えなくて助かった。
対応を替わった男を密かに胸中でそう評すると、テミスは薄い笑みを浮かべたまま静かに口を開く。
「悪いが、出自は答えられん。だが、賢そうなお前ならばコレで理解できるな?」
「ッ……!!! やはりッ……!!」
告げると同時に、テミスは身に纏っていた外套を僅かにはだけると、内に纏った白翼騎士団の軍装を男に示して見せる。
それを目にした男は鋭く息を呑み、目を大きく見開いて驚愕を露にした。
しかし、テミスはそれをただ不敵な微笑みを浮かべて見つめているだけで……。
「十分ですッ!! 承知いたしました! この時勢ですから、インペリアルタワーとお聞きして、もしやとは思ったのですが……!! このフィルチ家が長男、メッシュ・ド・フィルチが喜んでご案内を務めさせていただきましょう!! ささっ! こちらです!」
そんなテミスの邪悪な微笑みに気付く事なく、フィルチと名乗った男は最初にテミスへ絡んだ連れの男を、薙ぎ倒さんばかりの勢いで突き飛ばすと、二人に深々と頭を下げてから嬉々として先導を始めたのだった。




