2089話 朋友を求めて
テミスが黄旗亭で戦いを始めた瞬間より、十分ほど時を遡った頃。
シズクは重い足取りで、次の目的地へむけて歩を進めていた。
このネルードでテミスが何処に逗留しているかなど、当然シズクは知る由もない。
だからこそ。宿に酒場など、テミスが逗留しそうなところをしらみつぶしに訊き回っているのだが、いまだに手がかりの一つも掴めてはいなかった。
「いっそのこと、あの人たちを捕まえるべきでしたか……」
小さくため息を零すと、シズクはテミスを探し始めてから数度、自らにかかったのだと思われる追手の存在に思いを馳せる。
あの時は、面倒事は避けるべきだと撒くに留めてしまったが、よくよく考えてみればテミスを探し始めた所為でついた追手なのだ。テミスに繋がる情報を持っていたに違いない。
「はぁ……まだまだ……だなぁ……」
きっとテミスならば、こういう時に迷うことなく追手を叩き伏せる選択をするのだろう。
後から気付いた己の不手際に、シズクはがっくりと項垂れると、目当ての店を前にしてピタリと足を止める。
黄旗亭。
ここは前に尋ねた酒場の主人が教えてくれたお店だ。
入り口に黄色い旗が掲げられているだけの看板すら無いお店だけれど、ここの主人はとても情報通らしく、もしかしたらと言っていた。
だが、テミスを探す傍らで入ってくる情報は物騒なものばかりで。
つい先日なんかは、何者かがエツルドとかいう将校の影武者を殺害し、今もなお何処かに逃げ果せているのだという。
「というかコレ……。間違い無くテミスさんですよねぇ……?」
店に入る前に、静かに深呼吸をしたシズクは苦笑いを浮かべ、記憶した手配書の情報を思い返す。
現場では、どうやら正体が判らないように顔を隠していたようだが、背格好や何より人垣を飛び越えて斬りかかるその滅茶苦茶加減が、シズクにはこの謎の襲撃者がテミスであるという確信を抱かせていた。
「お陰で、私も随分と楽をさせて貰っていますが」
ボソリと嘯きながら、シズクは黄旗亭の戸を開くと、店の中を見渡す事無くカウンターを見付け、迷いの無い足取りで歩み寄る。
この手配書のお陰で、この町の人たちから私は、褒章目当ての賞金稼ぎだと思われているらしい。
その手の人たちはどうやら、店に入ってきょろきょろと標的を探し回るようなそぶりは見せないらしい。
これもこの町で酒場を巡ったからこそ身に着いた所作で、お陰でタチの悪い酔っ払いなんかに絡まれる事が無くなった。
「水を一杯と干し肉を」
「あいよ」
もう十数軒も店を巡れば、酒場の作法も手慣れたもので。
シズクは席に着くや否や、意図的に低くした声で店主に注文を告げる。
酒場は情報屋ではないし、彼等も商売で店を開いているのだ。注文一つせずに物を訪ねたところで顔を顰められるのは、考えてみれば当然の事だった。
そして、酒場は飯屋としての側面も持っているため、酒を口にしたくない場合はこうして水と一緒に食べるものを注文すると、小腹を満たしに来た客として認識して貰える。
「それで……店主殿。一つお聞きしたい事があるのですが……」
「……何だい?」
「人を探しているのです。御存じないでしょうか? 長い白銀の髪に赤い瞳の女性で、背の丈は私よりも少し高いくらいなのですが……」
少しだけ待った後。
店主がシズクの注文通り、水の入ったジョッキと干し肉を持った皿をカウンターの上へと差し出した。
良く冷えた水に軽く燻されているらしい質のいい干し肉。
出されたものを見ただけで、シズクはこの店が良い店だと直感すると、そのまま店主を呼び止めて本題を口にした。
最初はシズクも背格好だけで問いかけていたものの、手配書の話を聞いてからはこうして背格好の情報を曖昧にしたうえで、髪の毛や瞳の色など、手配書には書かれていない情報で尋ねるようにしている。
こうしておけば、テミスと合流を果たした後でも、テミスを追っているネルードの手の者が、シズクから辿り着く可能性は下げる事ができるだろう。
「さぁて……どうだったかな……。なにせ、客なんざ日に数え切れんぐらい来るからな」
しかし、店主から返ってきたのは期待に反して渋い言葉で。
ここならば、何か手掛かりを得る事ができるのではないかと期待を抱いていたシズクは、落胆を隠しきれずに溜息を零した。
その時……。
「何の用だ? 私の事を方々で嗅ぎ回っているのはお前だな?」
そんなシズクの背後から突如。
シズクに向けて、殺気に似た鋭い気配を纏った言葉が放たれたのだった。




