2083話 絶望の報せ
無造作に振るわれたエツルドの暴力に、部屋の中が緊張と静寂に包まれる。
他国の将校への暴力。いかにあの愚かな部隊長に責があろうとも、ネルードの兵であるエツルドが打ちのめしてしまえば、国際問題足り得るのは間違いない。
その事実があったからこそ、今は部屋の隅で打ち棄てられたボロ雑巾のように転がっているあの部隊長も、陰湿な横暴を働いていたのだろう。
「よぉし……これで静かになったな? あぁそれと……お前」
「っ……!!」
エツルドは静まり返った室内をぐるりと見渡してそう零した後、おもむろにレオンを指差して言葉を続ける。
「ムカつくクズ野郎を叩き伏せる……その気概は俺様も嫌いじゃねぇ。だが、一個だけ忘れるんじゃねぇ。ここでは俺様が法だ。俺様が王だ。あの間抜けは、あろう事かこの俺様の前で下らねぇ真似をしやがったからああなったんだ」
「……了解した」
「フッ……!! 素直な奴ァ嫌いじゃねぇ。それに……だ。連中のなかでもお前は一番賢そうだ。どうだ? いっそこんなクズ共は見限って、俺様の元へ来ないか?」
「俺を試しているのか? 遠慮しておこう」
ネルードの兵達ですら、緊張に身を強張らせている重たい空気の中。
エツルドに名指しを受けたレオンは臆することなく淡々と答えを返すと、クスリと不敵な微笑みを浮かべてみせた。
この短い時間の中でも、レオンはエツルドの性格をある程度見抜いていた。
故に。ここで誘いをただ断ればエツルドの怒りに触れ、あの愚かな部隊長と同じ末路を辿るであろう事は想像に難くない。
加えて、既にレオンたちは既に秘密裏にエルトニアを脱し、ファントに属している身だ。
ここでエツルドの手を取れば、ファントを……ひいてはテミスを裏切る事になってしまう。
だからこそ、レオンが余裕を装いながら必死の思いで捻り出した妙案こそ、エツルドが自分の忠誠心を試したという体での拒否だった。
「ンクク……。まぁいい。その気になったらいつでも俺様を訪ねて来い。エルク!! さっさと始めろッ!」
「っ……!! は……はいッ……!!」
そんなレオンに、エツルドは満足気に喉を鳴らして微笑むと、悠然と言葉を残してその巨体を翻す。
同時に、凍り付いたように動きを止めていたエルクを一喝すると、その言葉を切っ掛けにまるで再び時が動き出したかの如く、室内を満たしていた緊張感が僅かに緩んだ。
「で、では始めさせていただきます! 対ロンヴァルディア戦線の現在の戦況ですが、ヴェネルティ連合としてはかなりの苦戦を強いられています」
「んなっ……!? グッ……!!」
「…………」
「……ッ!」
言われるが早いか、脱兎の如き勢いでファルト達へ資料を渡したエルクは、大急ぎで踵を返しながら、部屋中によく通る声で話し始める。
だが当然、その内容は何も聞かされていないファルトたちには衝撃そのもので。
しかし、堪え切れず驚きの声を漏らしかけたファルトの口を、両側から諫めるかのように伸びたミコトとシャルロッテの手が塞いだ。
その甲斐あって、エルクが言葉を止める事無く話が続く。
「そこで我々ネルードは、本隊の派遣を決定。ですが先遣隊であるアイシュの仕掛けた奇襲作戦が失敗に終わり、アイシュはその責を問われ更迭。それに反発し、今や我々と対立する構えを見せています」
「チッ……何だよ、要は内ゲバじゃねぇか……」
「……続けます。資料は当該戦線で確認された敵戦力です。常駐部隊である蒼鱗騎士団に加えて、白翼騎士団の存在、及びその他臨時戦力が確認されています」
「…………」
朗々と続けられるエルクの説明に、エルトニア側の将兵の中からボソリと不満の声が漏れるが、それを聞き取って尚、エルクは淡々とした声色で説明を続けた。
だが、その内容はレオンにとって悪夢そのものに等しく、同じく話に耳を傾けている仲間達の顔色も、みるみるうちに青ざめていく。
「そしてこちらは未確認の情報ですが、こちらの最新鋭艦を遥かに上回る性能の船が一隻在るとの事です。またその船には攻城兵器級の武装が施されていると予想されており、我が方が被った損害については、詳細は資料に記載してありますので割愛しますが、戦艦をも一撃で両断するでたらめな威力を持っています」
「ッ……! なんと……!!」
エルクの説明に沿って、エルトニアの将兵たちは一斉に資料を捲って確認するが、そこに記されていたあまりにも現実離れした被害を前に、一同揃って動揺の声を漏らす。
「っ……!! チィ……!!」
だがそんな中で唯一。
レオンたちだけは、ヴェネルティ側の戦艦を片端から撫で斬りにしたという光を纏った一閃には、忘れもしない一つの斬撃の名が脳裏を過る。
月光斬。
その斬撃の存在を以て、この戦線にテミスが参戦している事を確信したレオン達は、苦々しい面持ちで密かに視線を交わしたのだった。




