2074話 暴君の怒り
アイシュとテミスの邂逅から数日後。
ネルード公国の王城にあたる『研究所』に在る薄暗い一室では、酷く不機嫌そうな表情を浮かべた筋骨隆々の大男が、人の頭ほどもある巨大な骨付き肉を、ブチブチと豪快に食い千切っていた。
その周囲には、幾人もの裸の若い女たちが、精も根も尽き果てたという様子で力無く横たわり、弱々しい呼吸を繰り返している。
「チッ……!! 気に食わねぇ……ああ苛つくぜ畜生ッ!!」
大男は滾る苛立ちを吐き出すが、それでも収まらない怒りを込めて、手にしていた骨付き肉を壁へと投げ放った。
巨大な掌から射出された骨付き肉はドチャリと厭な音を奏でて壁に叩きつけられ、あまりの威力に耐え切れず、千々に砕け散る。
「ダリスのクソ野郎め……!! 事もあろうか俺様の命令をしくじりやがって!! 言われた事もまともにできねぇのかッ!! ガキ以下じゃねぇかッ!!」
ズドンッ!! と。
骨付き肉を破壊した程度では大男の気は収まらなかったのか、今度は固く握り締められた巨大な拳が、肉が置かれていたであろう皿の上へと振り下ろされた。
その一撃は皿を粉々に砕いたものの、その下のテーブルは力強く強靭な拳打を受け止め、周囲に轟音を響かせる。
「民衆共も民衆共だッ!! この俺様を舐め腐りやがって!! 何処の奴とも知れんゴミが一匹増えた程度で、アイシュ如きにやられるわけがねぇだろうが!!」
更なる咆哮と共に、大男は頑丈なテーブルの上に置かれていた巨大なジョッキを取り上げると、中身の酒を一気に飲み干し、空になったジョッキを壁へと放り投げて叩き壊した。
「……エツルド様」
「アァッ!? エルクよぉ……わからねぇか? 俺様は今、死ぬほど苛ついてんだ。その辺に転がってる女共に仲間入りしたくなけりゃ、黙ってそこに突っ立ってろ」
「……お相手を務めよとのご命令でしたら、この身、喜んで捧げますが」
「馬ァ鹿言ってンじゃねぇッ!!」
「ウッ……!!!」
怒り狂う大男に、部屋の暗がりから進み出た一人の濃い緑色の長髪の女が静かな声で語り掛ける。
だが、エツルドはぞんざいな口調でエルクと呼んだ女をあしらうと、木の枝ほど太い葉巻を咥えた。
すると即座に、エルクと呼ばれた女は調子の変わらない声で答えながらパチリと指を鳴らし、エツルドの咥えた葉巻に火を灯す。
だが、その回答もエツルドの気に障ったのだろう。
怒りの咆哮と共にエツルドは丸太のように太い剛腕を振り回し、眼前に居たエルクを殴り飛ばした。
その一撃に、エルクは苦し気なうめき声と共に吹き飛ばされ、鈍い音を響かせて部屋の壁に背を叩き付けると、ズルリとその場に崩れ落ちる。
「なァ……なぁ……? 俺様はいつも言っているよなァ? テメェは有能だ。他の女共と同じように、壊して使い潰しちまうには勿体ねぇ……ってよォ」
「っ……も、申し訳……ありません……」
エツルドはドスドスと重たい足音を響かせて、低く唸るような言葉と共に、殴り飛ばしたエルクの元に歩み寄る。
そして、エルクの傍らに辿り着いたエツルドは、その艶やかな緑色の髪を掴み上げて無造作に持ち上げ、凄味のある声で問いを重ねる。
けれど、エツルドの重たい一撃を喰らったエルクは、エツルドの手に縋って己の身体を支える事さえできず、為されるがままにだらりと手を下ろしたまま、苦し気に謝罪を口にした。
「お前が謝る事はねぇだろ。相変わらずおかしな奴だな? 俺は今、お前の事を褒めてんだぜ? 有能だってな」
「ごふっ……あ、ありがとうございます……」
「あぁ。お前は有能だ。それに比べて……ダリスの大馬鹿野郎は俺様の替え玉のクセに、アイシュ如きに負けておっ死にやがった!!」
「その件なのですが……エツルド様」
「今度は何だ? 俺様にビビって逃げやがったアイシュのでも見付けたか?」
だが、エツルドはエルクの謝罪に心底不思議そうな表情で言葉を返すと、髪を掴み上げたまま上体を反らし、再燃した怒りに再び咆哮をあげる。
その手にぶら下がったまま、痛みに顔を歪めたエルクが再び語り掛けると、エツルドはギラリと手にぶら下げたエルクを睨み付けて先を促した。
「いえ……死体の検分報告では、斬撃による傷だけでなく、無数の殴打痕も見受けられたと」
「ハデにやり合ったんだ。戦うってのは何も斬り合うだけじゃねぇ。そりゃあいくらかは、ンな痕ぐれぇつくだろ」
「いくらか……ではないのです。殆ど全身、報告書では余すところなく。と。反逆者アイシュが、あのダリスに痕を残す程の打撃を、幾つも打てるとは思えません」
「ふぅむ……? なるほど。確かに言われてみればそうだな。お前らしい良い餞じゃねぇかエルク。これでダリスは糞野郎からゴミに格上げだぜ」
エツルドはエルクをぶら下げたまま言葉を交わすと、暴れ狂っていた怒りを収めて髪を握り締めていた手の力を緩め、思考に耽り始める。
「あぅっ……!! ありがとうございます、エツルド様。ふ……うふふ……っ!!」
そんなエツルドの掌から滑り落ちたエルクは、べしゃりと尻から床の上に落ちると、不気味な笑顔を浮かべながらゆっくりと立ち上がったのだった。




