195話 門戸を叩きし流浪人
「……失礼いたします。お客人をお連れいたしました」
応接室のドアが軽く叩かれ、くぐもったサキュドの声が響いてくる。
サキュドは先程、テミス達を応接室に案内した後、別室で待たせていると言う第二軍団の兵を迎えに行ったのだ。
そもそも、何故そんな回りくどい事をするのか……。とは思うが、サキュドやマグヌス曰く、対面の問題らしい。
「入れ」
テミスは、サキュドが第二軍団の兵を呼びに行っている間に、耳にタコができる程マグヌスに釘を刺された事を思い出しながら、努めて冷たい声で入室を許可する。
「しっ……失礼……いたします……」
「…………」
その声に応えるように扉が開くと、サキュドに続いて一人の魔族が応接室に入り、オドオドとした表情でテミスに頭を下げる。
「んっ……?」
コイツ……何処かで……。
頭を下げた魔族の男の顔に、テミスはふと既視感を覚えた。第二軍団と絡みがあったのは数回だが……しかし、そのどこで見かけたのかまでは思い出せない。
「ご無沙汰しております、テミス様。私はベリス……家名すら持たないただの兵です」
「ベリス……?」
自己紹介を受けて尚、この男の名はテミスの脳内には残っていなかった。ベリスとやらの話しぶりからして、会ったことがあるのは確かなようだが……。
「ハハ……覚えておられませんか。私としては残念ではありますが、当たり前の事です」
「……」
顔を上げて力ない笑みを浮かべたベリスが、後頭部を掻きながら言葉を続けた。
「少し前の事です。プルガルドで、貴女をお止めした衛兵でございます。その際は、御身を知らぬ無知……大変な失礼を致しました」
「――っ! ああ……あの時の!」
ベリスが再び深々と腰を折ると、テミスの脳裏を電流が駆け抜けたかのように記憶が蘇る。
そうだ。確かプルガルドを攻めた時、一人根性の座った衛兵が居るものだと感心したのだった。
「コホン」
「チッ……それで? ヴァルミンツヘイムからわざわざファントまで何をしに来た?」
マグヌスが静かに咳をすると、テミスは思わず緩みかけた頬を引き締め直して問いかける。確かに、相手は裏も知れぬ兵の一人だが、忘れてたとはいえ顔見知りなのだから、当時の話の一つでもさせてくれてもいいだろうに。
「っ……! そのっ……俺っ……私を、第十三独立遊撃軍団へ加えていただけませんかっ!」
「ホゥ……?」
背筋を伸ばし、三度頭を垂れたベリスの言葉に、テミスの目つきが鋭いものへと変化した。
こいつは……本格的に見極める必要があるらしい。このベリスという男が、どのような意図を持って十三軍団に加わりたいと言っているのか……その一点だけで状況は大きく変わってくる。
「理由を……聞こうか」
ぎしりっ……。と。テミスが身を乗り出すと、その重心の移動が椅子の軋みとなって部屋へと放たれる。同時に、その傍らに立つマグヌスとサキュドは、テミスが密かに臨戦態勢に入った事を感じ取っていた。
「はいっ! おっ……私は魔術師ではありません。だからこそ、あの町で警備兵として働いておりました」
「魔術を使う才能が無い……使えない……と言う事か?」
「い……いえっ!」
眉をひそめて問いを重ねたテミスに、ベリスは慌てたように肩を跳ねさせると、首を横に振ってそれを否定する。
「我流ながら、いくつかの魔術は扱えます。ですが、私は所詮流れ者。出自の曖昧な身の上ですから、日々の飯が安定して食えるだけでも贅沢でした」
「フン……奴らしいと言えば奴らしい……か」
ベリスの答えにテミスは鼻を鳴らすと、下らなさそうに呟きを漏らす。
個人の才を見ようともせず、家柄や過去の栄光……そして、自らの持つ杓子定規だけで他人を推し量るなんて、いかにもあのドロシーらしいではないか。
「それで? まさか、研究部隊の除け者になり、食うに困るから助けてくれ……等と言う訳ではあるまいな?」
「も……勿論です! ですが、その……」
「何だ。今更隠し事でもしようというのなら、お前の望む未来は決して訪れんとだけ言っておくぞ?」
「っ――! は……はいっ……!」
ドスの効いた言葉と共に、鋭さを増した眼光で睨み付けられたベリスが、びくりと身を縮こまらせて何度も頷いて了解の意を示す。
……我ながら、酷い圧迫面接だな。
そんな様子を眺めながら、テミスは密かに自嘲していた。
一兵卒を軍団長の前に引きずり出すだけでは飽き足らず、その副官二名を在籍させて威圧と共に質問を投げつける……。あの世界であれば、一発でブラック企業と認定される程に清々しい黒さだ。
「その……テミス様……。続きをお話しする前に、一つだけ質問をお許しいただけないでしょうか?」
「…………」
「ハァ……貴様、立場を弁えておるのか? 貴様は第二軍団の一員。こうしてテミス様にお目通りが叶っているだけでもありがたいと思わんか?」
ごくりと生唾を飲み下したベリスが問いを放つと、テミスが口を開く前にマグヌスが口を挟む。その顔には、あきれ果てたと言わんばかりの渋い表情が広がっていた。
「構わん。何が知りたい?」
「――ッ!? テミス様……!?」
マグヌスの言葉に肩を落としたベリスが口を開く前に、頬を吊り上げたテミスが許可を出す。
「面白いではないか。我らを前にして問いをかける度胸……。プルガルドの時も思ったが、なかなかどうして骨があるとは思わんか?」
「っ……しかし……!」
「私が良いと言ったんだ。口を挟むな」
「っ……御意に」
「それで……何だったかな?」
恐縮するベリスの前で、テミスはマグヌスと短く言葉を交わすと、それを切り上げて再び問いかける。
最近は頭の固さもマシになったかと思ったが、マグヌスもまだまだらしい。
「はい……テミス様率いる第十三独立遊撃軍団は……人魔の分け隔てなく接していると聞きます。これは……真実なのでしょうか?」
「ああ。真実だとも」
「っ――!?」
歯切れ悪くかけられたベリスの問いに、テミスは事も無げに即答した。同時に、左右に控える副官たちの息を呑む音がテミスの耳まで聞こえてくる。
「別段隠す事でもあるまい。人だろうと魔だろうと、我等は世界を害する悪辣を叩き潰す……お前の守っていたあの施設の様にな」
「っ…………………」
溶けた蝋燭の様に頬を歪めてテミスが言葉を付け加えると、ベリスは驚愕したかのように目を見開いて凍り付いた。
……これ以上は、時間の無駄か。
テミスがそう見切りをつけかけた時。
「俺はっ……! 人間に育てられたのです!」
「っ……何だと……?」
大声で発せられたベリスの言葉に、今度はテミス達が目を見開いて驚愕したのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




