2071話 暗部で蠢くもの
一方その頃。
魔導国エルトニア政庁区のとある部屋。
磨き上げられた大理石の床に、豪奢な飾りつけの施された部屋。
そこはこの魔導国にあっても、明らかに格式の高い部屋であり、戦場とはまるで異なる厳格な雰囲気に満たされていた。
意図的に光量の抑えられた部屋の内では二人の男が肩を並べており、まるで誰かを待っているかのように眼前に設えられている扉を見据えていた。
程なくして、扉の向こうからコツコツと二人分の足音が響くと、男たちは顔を見合わせて背筋を正し、再び眼前の扉へと視線を移す。
そして。
「失礼致します。特務小隊トーマス大佐及びレオン・ヴァイオット特務隊員が入室の許可を求めています」
「……通せ」
「…………」
僅かに扉が開くと、ピシリと綺麗に整った軍服を包んだ小柄な女性が姿を表し、室内の男たちへ許可を求める。
それに答えを返した男の声は酷く不機嫌で、問いを発した女軍人はビクリと肩を竦めると、逃れるように部屋の外へと引っ込んでいく。
その数秒後。
退出した女軍人と入れ替わるように姿を現したのは、エルトニアの特務隊を指揮するトーマスと、部隊長であるレオンだった。
「特務隊というのは随分と忙しいらしい。よもやこの私をこうも待たせるとは」
「これは大変失礼いたしました。閣下。ですが閣下もご存じの通り、現在特務隊は特別任務に従事しております。閣下の御呼びとあらばいつであろうと喜んで参上いたしますが、帰路の距離だけは如何ともしがたく……」
「フン……」
部屋に入るなりに投げかけられた言葉に、トーマスはへらりと媚びるような笑みを浮かべると、深々と頭を下げて謝意を述べる。
だがその隣に立つレオンは、小さく鼻を鳴らしただけで、口を真一文字に結んだまま、一言すら言葉を発する事は無かった。
「貴様ッ! 何だその態度はッ!!」
「…………」
しかし、それを見咎めたらしいもう一人の男が、ビシリとレオンに指を突き付けて気炎を上げる。
けれど、レオンはただ静かな眼差しで男を見据えただけで、動く事も、言葉を発する事も無かった。
「ッ……!! 貴様ァ……!!」
「良い。下がれ。優秀といえど所詮は士官学校を出て間もない下士官兵。礼儀を解せよという方が無体な話だ」
「…………。はい」
冷めきったレオンの態度に、怒気をあげた男は腰に提げられたガンブレードへと手を走らせるが、自身の傍らから響いた命令にビクリと動きを止め、レオンを睨み付けたまま一歩退く。
「さて……早速だが本題に入ろう。察しは付いているだろうが、今回君たちを呼んだ理由は極秘任務だ」
「と……言いますと?」
「以前より、我々エルトニアは秘密裏にヴェネルティ連合に対して技術供与を行っている件は君も知っているね?」
「はい。人類団結のための施策と聞いております」
「先日の事だ。件のヴェネルティ連合がロンヴァルディアに対して宣戦を布告、領国は戦争状態に突入した」
「……!」
「情報では、戦いは拮抗している……と」
静かに語り始めた男の言葉に、レオンは僅かにピクリと瞼を跳ねさせるが、男がそれに気付く事は無く、さらに意味深な笑みを浮かべたトーマスが意識を自らへと集めるかのように、男へ向かって一歩だけ歩み寄ると、コクリと大きく頷いてみせた。
「それは少し情報が遅いな。ロンヴァルディアはこの戦いにかの白翼騎士団を投入。我が国が供与した最新鋭艦を打ち破り、戦況は早くもロンヴァルディアに傾いている」
「……!!」
「なんと……!! それは初耳です! 流石閣下……お耳が早いッ!!」
「我々としてはこの戦い、どちらが勝とうとも構わない。だが、国の威信のためにも、我が国の技術を打ち破った白翼騎士団とやらだけは叩いておかねばなるまい」
「なるほど……。供与した艦艇を打ち破ったという部隊を倒せば、連合に恩を売ると同時に、我が国の威信も高まるという事ですね?」
「流石に君は聡いな。そこでだ! 私はこの重要任務を、特務隊にこそ任せたいと思っている」
「フッ……」
朗々と男が命令を宣うと、トーマスが口を開くよりも先に、レオンは静かに笑いを零した。
全てが繋がるとはまさにこういう事を言うのだろう。
確かに近頃、ファントの町でフリーディアとテミス……そしてついでにサキュドも姿を見る事が無かった。
何かしらの事情でファントを空けている事だけは想像が付いていたが、恐らくはこれがその事情だろう。
そして白翼騎士団が参戦しているという事は、同じく姿をくらませているテミスもそこに居るはずだ。
「閣下! ご指名は大変光栄なのですが、先ほども申し上げました通り、現在特務隊は特別任務に就いておりまして……」
「些事など捨て置けばいい。これはエルトニア建国以来の重要任務だ。こちらの任務を優先させたまえ」
「しかし……ですね……」
「ククッ……フフッ……!!」
鷹揚な態度で命令を伝える男に、トーマスは任務を辞するべく必死で言葉を重ねる。
しかし、話を聞いていたレオンはそのあまりの滑稽さに、堪え切れずに失笑を漏らした。
「ッ~~!!!」
「良いと言った。君……私が発言を許可しよう。君からも、素直な気持ちをこの頭の固い上司に言ってやりなさい」
レオンが再び重ねた不敬を見咎めた男が前に進み出かけるが、トーマスと話していた男はそれを制すると、はじめてレオンに視線を向けて言葉を投げかける。
それは、男がレオンの笑顔を零れ落ちた喜色だと勘違いしたが故のものだった。
だが……。
「同情する。上が無能だと苦労するな」
そんな男の眼前で、欠片ほどの遠慮も無く放たれたのは、告げられたトーマスですら頬を引きつらせるほどの鋭すぎる一言なのだった。