2068話 求めるは革命
騒動の熱の覚めやらぬ波止場を後にしたテミスは、アイシュを抱えたまま人気のない寂れた町の郊外へと降り立つと、スルリと身体を離して距離を取る。
中心街の華やかな様子とは程遠い郊外の街並みは静けさに包まれており、つい先ほどまで騒動の渦中にいたテミスとしては、居心地の悪さすら感じるほどだった。
だが、ひとまずは共に戦うことを約束したとはいえ、所詮は口約束。
眼前で涼し気な表情を浮かべて立ち上がるアイシュは、到底信頼を置く事ができるような間柄ではなく、相互利益の関係が崩れるや否や、預けた背中を刺される事すら警戒すべき相手なのだ。
「ふぅっ……! やれやれ……本当に無茶をしますね……。今回ばかりは、流石に死を覚悟しましたよ」
「別に……叩き落としてやっても構わなかったのだがな……」
笑顔で大きく息を吐くアイシュに、テミスは冷たい声色で心にもない台詞を吐き捨てると、腕組みをして睨み付けた。
あろう事かこの女。高速移動中であるにも関わらず、抱えている事で身体が密着しているのをいいことに、胸だの脇腹だのと所構わず、頬摺りをしてきたのだ。
その度に、テミスは半ば反射的に抱えていたアイシュを地面へと打ち棄てかけたが、仮にも共同戦線を約束している間柄である点と、アイシュ自身の価値を思い返し、鋼の理性を以て衝動を捩じ伏せ、辛うじてここまで運んできたのだ。
「またまた。良いのですか? 今、私を失っても」
「チッ……!! 今更ながら、面倒事に首を突っ込むのではなかったと後悔を噛みしめているよ」
「ご冗談を。貴女があそこで起ってくれたからこそ、私はこうして一縷の望みを繋ぐ事ができたのです」
「……そろそろ聞かせろ。端折らずにだ。お前が何故こんな事になっているのかをな」
「端折るも何も、お伝えした通りなのですがね。私はただ、私と共に在る子達と楽しく日々を暮らしたいだけですよ」
「…………」
「……わかりましたよ。だからそう睨まないで下さい。本当は私が話すべき事ではないのでしょうが……仕方がありません」
早速とばかりに本題へと斬り込んだテミスに、アイシュは肩を竦めて薄い笑みを浮かべると、おどけた返事を返してみせる。
しかし、テミスが冷ややかな沈黙と視線を以て抗議すると、アイシュは持って回った大仰な口調で前置いた後、静かに語り始めた。
「この呪法刀を造った『先生』の新たな兵器……。その実験体の中に大層強く、可愛らしい子……少女が居ましてね」
「おい……」
「大真面目。本当の事です。私は彼女が、独力で研究所の地下を抜け出した所で出会い、助けを求められた。当然、断る道理はありません」
「…………」
「友を救いたい。その一心で彼女は私と契約をしました。彼女が私のモノになる代わりに友を救ってほしい……と」
「フン……相変わらず、度し難い程の変態だな。だが……狂った博愛精神で、何の見返りも無く、誰彼構わず救おうとする何処かの馬鹿よりはまだ理解できる」
アイシュの語った理由に、最初はテミスも眉根に皺を寄せたものの、全てを聞き終えると小さく鼻を鳴らして視線を逸らす。
たった一人の少女のために地位も何もかもを投げ捨てて救いに走る。
一見すればどうしようもなく英雄的で、如何にもフリーディアのような高潔な連中が好みそうな話だ。
だが、アイシュは対価として少女の身柄を得ている。
つまるところ、少女は自身の身がアイシュの玩具に堕ちるのと引き換えに、友の命を救わんと欲したのだろう。
ならばそれは、英雄的な美談ではなく、下衆な欲望と損得に塗れた契約でしかない。
しかし、薄っぺらい道徳心を振りかざす英雄よりも、わかり易い損得勘定に根ざした小悪党の方が、意図が透けて見える分理解もしやすかった。
「そういう目的ならば、いつかの問いを今、逆に返そうか。アイシュ。ロンヴァルディアに寝返るか? どうせあの大馬鹿の事だ。たとえお前のような身の上であっても、今の話を聞けば否とは言うまい」
僅かに考えた後。
テミスはするりとアイシュに片手を差し伸べると、不敵な微笑みを浮かべて問いかける。
今の戦況を鑑みれば、ネルードの内部を混乱させて時間を稼ぐよりも、アイシュという強力な戦力を手に入れる事ができるのならば、これに越した事は無い。
そう判断したが故に。
テミスは猛抗議を叫ぶ個人的な感情を一度傍らへと追いやって、アイシュを得るという利を取ったのだ。
だが……。
「……とても魅力的なお話です。えぇ、本当に。それも確かに選び得る一つの道なのでしょう。ですが、お断りします」
「そうか」
「はい。私がロンヴァルディアに降った所で、この先も戦いは続くでしょう? ですから今の私は……ロンヴァルディアに降るよりも、このネルードが欲しいのですッ!!」
そんなテミスの誘いに、アイシュは静かな微笑みを浮かべてゆっくりと首を横に振ると、胸を張って堂々と叛逆を宣言したのだった。




