2061話 強靭なる巨人
テミスの一撃を受けて尚、エツルドは僅かに身体を傾がせただけで、平然と不敵な笑みを浮かべていた。
だが、テミスの背へ向けて伸ばされた魔手は、すんでの所で空を切り、虚空を掴み取った。
しかしそれでも、テミスの受けた衝撃は大きく、驚愕に目を見開いてエツルドを見据える。
「馬鹿な……!!」
確かに手応えはあった。
いまだ己の手に残る強烈な衝撃を思い返しながら、テミスは思わず言葉を零す。
今の一撃は、確実に芯を捉えており、エツルドの脳を揺らしていた筈。
そもそも、脳が揺れるか否かの話ですら無い。
テミスの放った一撃は、ただの人間がまともに食らえば、容易く命すら刈り取る威力を誇っている。
そんな一撃を顔面へと叩き込まれたのだ。
意識の有無など以ての外。歯の数本は確実。骨がぐちゃぐちゃに砕けていて当然で、命を留めているだけでも奇跡に等しい偉業だと言える。
だというのに。
それを喰らって尚、エツルドは平然とした顔で立ち上がるどころか、いまだに戦う気概すら見せていた。
「ッ……!! 忌々しいッ……!!」
再び構えを取りながら、テミスは荒々しく吐き捨てると、チラリと素早く周囲へ視線を向ける。
そこでは、流石にテミスとエツルドが相対している周辺こそ空間が開いているものの、いまだ避難していない野次馬や、それを追い立てるスイシュウたち治安維持兵が大勢残っていた。
これでは、剣を抜く事はできない。
テミスの携えた漆黒の大剣は、強力な武具であると同時に、ロンヴァルディアをはじめとする、人間領の各所にまで名を轟かせているトレードマークでもある。
故に、ひとたび大剣に巻き付けた布を解いて全力で戦えば、ネルードにテミスが潜り込んでいる事が露見してしまうのは半ば確実だろう。
そうなってしまっては、テミスたちの帯びているネルードに潜入して攪乱するという作戦が、崩れ去ってしまうのは火を見るよりも明らかな話だ。
「ハッハァッ……!! 弱ぇぇっ!! 弱えぇぞォッ!!! どうした! もっと俺を楽しませてみせろォッ!!」
「クッ……!! チィィッ……!!!」
攻撃が通らないのであれば、剣を振るった所で意味がない。
そう判断したテミスが防御と回避に回らざるを得なくなった結果、エツルドは荒々しく肉厚の剣を振り回し、テミスを叩き斬るべく次々と斬撃を放つ。
しかし、テミスですら受け止め切れないほどの威力を有しているとはいえ、大振りなエツルドの斬撃がテミスを捉える事は無く、受け流された分厚い刀身が時に空を引き裂き、時に大地を砕き斬った。
「オラオラオラァッ!! ちょこまかちょこまかと逃げ回ってんじゃねぇッ! テメェが売ってきた喧嘩だろォがッ!!!」
「…………」
轟然と音をかき鳴らしながら振るわれるエツルドの刃を、テミスは右へ左へヒラリ、ヒラリと躱しながら、静かな瞳をエツルドへ向けて思考を続けていた。
人間の領域を遥かに超えた怪力と、テミスの一撃を受け切る頑丈さは、紛れもなく呪装刀のもたらした力だろう。
だが、ただの怪力なだけの頑丈な大男では、如何に力任せに剣を振るった所で、サンから仕入れた情報であるテルルの村での怪事件を起こすことはできないだろう。
加えて、噂ではこのエツルドは、あのアイシュすらも凌ぐ程の戦闘能力を持っているという。
しかし、こうして相対して剣を交えている今も尚、アイシュに匹敵する脅威を感じない。
「……妙だな」
手に入れた情報と、眼前の事実との食い違い。
それが一つや二つであれば、テミス自身の感覚なり入手した情報が間違っているのだろう。
けれど、こうまで何もかもが食い違うと、流石に疑念を抱かざるを得ない。
胸中で導き出した答えをテミスはボソリと零すと、もはや何を言っているのかすら聴き取れない怒声を喚き散らしながら、猛然と剣を振るい続けるエツルドの放った斬撃を躱すと同時に、スルリと流れるような動きでその懐へと潜り込んだ。
「なッ……!! にぃぃぃッ!!!?」
「フッ……ともあれ。だ」
驚愕に絶叫するエツルドの声を無視して、テミスは不敵な微笑みを浮かべながら、構えた大剣の柄頭を脇腹へと突き込んで呟く。
しかし、エツルドがその一撃に怯む事は無く、肉薄したテミスを捕らえるべく巨腕を振りかざした。
「頑強結構。ならばひとまず、どこまで耐えられるか試してみるか」
そんなエツルドをテミスは悠然とせせら笑うと、ぐるりと大剣を振り回して伸ばされた巨腕を叩き伏せた後、更に弧を描いて逆袈裟に一撃を叩き込んだのだった。




