2041話 嘘と偽りを塗り固めて
サンを針の筵に晒すこと数十分。
食事を終えたテミス達は黄旗亭を出ると、サンの先導に従って彼等のアジトへと向かっていた。
今回の騒動の中心にアイシュが居るのならば、ある程度の危険は加味しなければならないだろう。
テミスはそう判断したが故に、サンたち公国革命団の元へと身を寄せる事に決めたのだ。
とはいえ、テミスは自分達が旅の行商人とその護衛であるという設定を崩す気は無かった。
「それでは、改めて……名乗っておこうか。ネールと呼んでくれ。傭兵だが、今は彼女の護衛を請け負っているからな……。他の任務受けられないとだけ先に言っておく。お察しの通り本名ではないが、存外気に入っていてな」
そうと決めたテミスは他の仲間達がボロを出してしまう前に、機先を制して自己紹介をすると、その言葉に込められた真意を受け取ったユウキ達の肩がピクリと跳ねる。
今この場で、テミスの正体を知る者はユウキとノル、そしてリコだけ。
そしてテミスが、黒銀騎士団のテミスであることを伏せるのは必然であったとしても、ロンヴァルディアで名乗った偽名であるリヴィアを使わない意味は一つしかない。
誘いを受けども仲間に非ず。
二重に騙った偽名を知るからこそ、その名の意味は声高に響き、ユウキ達の意識を引き締めた。
「ネールね。あいよっ! というか、案外律儀なんだな。アンタ。本人を前にしてこう言っちゃなんだが、傭兵稼業やってる奴等なんざ、皆そんなもんだろ」
「フッ……そう言ってくれると有り難いな。経験上通り名だろうが何だろうが、後からぎゃあぎゃあと文句を付けて来る奴が多くてね」
「安心してくれ。俺はそんな事言わねぇ! 絶対だッ! それで……? お連れさん達も名前を教えてくれよ!」
今サンに語り聞かせた事が嘘であるということ以外、欠片ほども真実の含まれていない事実を告げるテミスに、サンは暑苦しい笑みを浮かべて応えながらドンと自身の胸を叩いた後、後に続くユウキたちへと視線を向ける。
だが、既に偽りの名を持っていたテミスとは異なり、ユウキ達は自身の偽名を考えていた訳ではなく、三人は揃って明後日の方向へと目を泳がせた。
「あぇっ!? あ……あ~……!! ホラ! 私は雇い主ですから! 一番後が良いかなって!」
「っ……!」
「あっ! ズルいッ!」
向けられたサンの問いを、真っ先に躱してみせたのはリコだった。
自身の持つ偽りの身分を用いたリコは、へらりと引き攣った笑みを浮かべて宣った後、すぐに考え込むかのように頭を抱えてみせる。
残されたのはノルとユウキで。
足抜けをしたリコに息を呑んで黙り込んだノルは、まるでユウキを差し出すかのように半歩後ろに下がった。
そうして必然的にサンの前に残されたのは、悲鳴をあげたユウキだけだった。
「んん? ズルい? 何がだ?」
「あっ……! いやえぇとっ……!!」
「チッ……。やれやれだ。どうせまた、私に名乗った時のような大層な肩書でも考えていたんだろ。ただの行商人と護衛なんだ。細かいことは抜きにして傭兵で良いだろうに」
咄嗟に挙げた悲鳴を捕らえられたユウキが狼狽え、言葉に詰まると、舌打ちを零したテミスが横合いから助け舟を出し、無言でさっさとしろと非難の視線を向ける。
少々苦しい言い訳だが、このままサンに深掘りをさせる隙さえ与えなければ問題は無い。
それはユウキとて理解していたらしく、ユウキは視線だけでテミスに礼を告げると、僅かに引き攣った笑みをサンへと向けて、早速とばかりに口を開く。
「も……もぉーっ……! こういうのは、雰囲気が大事なんだよ! まあいいや。ボクはユウ。えっと……ボクも一緒で傭兵で護衛なのさ!」
「ほ……ほぉ……? そうなのか。いやすまねぇ。アンタみたいな可愛い女の子が、なんでまた……って思ったけど、その剣には俺、命を救われてるからな。心強いぜ! よろしくな!」
「うんっ! よろしくね! サン! …………。ふぅ……」
最初こそひどい棒読みではあったものの、ユウキも無事に偽名を名乗り終えると、密かに胸を撫で下ろして息を吐く。
結局考える時間が無かった所為で、本名を短くしただけの偽名となってしまったようだが、嘘を吐き続ける事に向いていないユウキには、ボロが出にくくて無難な着地点だとテミスは胸の内でひとりごちった。
「それで次は――」
「――ユリスだ。よろしく。私も彼女の護衛だが、傭兵ではないよ。そして……」
続いて淡々と名乗ったノルが、チラリと意味深にテミスへ視線を向ける。
おそらくは、傭兵ではないと告げる事で、リコの側から離れないようにする為なのだろう。
その機転に感心しながら、テミスが僅かに頷き返した後。
満を持してリコの番となったのだが……。
「私はリヴィー……ディア……スッ!!! ですよッ!! えっとえっと!! リヴィーって呼んでね!!」
「コホっ……!!」
「ッ……!!」
僅かに上ずった声で、特大の爆弾が投下された。
半端に考える時間があったせいだろう。恐らくはテミスの偽名と、フリーディア、そしてユナリアスの名を繋ぎ合わせた、ネルードで名乗るにはあまりにも危険過ぎる継ぎ接ぎの名前。
そのあんまりの出来に、思わずパチリと額に手を当てたテミスの傍らでは、微かに震えるユウキと咳き込んだノルが、揃って顔を背けていた。
「へぇ……珍しい名だな。ま、色々とあるだろうから深くは聞かないでおくぜ! よろしくな、リヴィー! そんでもって……到着だぜ!!」
そんなリコの名乗りを、素直に受け取ったサンはビシリとリコに親指を立てて告げた後。
その場で足を止め、湖にせり出すようにして建てられた、ひと際大きな建物を指差してみせたのだった。




