2036話 偽りを砕く一手
静謐な波止場の一角に、ビリビリとした緊張感が迸る。
背中に担いだ布を巻き付けた大剣の柄を握るテミスと、両手に短剣を構えた男が相対し、互いに隙を伺って睨み合う。
場は既に一触触発。
テミスが僅かに状態を傾がせれば、即座に反応した男の腕が鎌首をもたげ、構えを変えた男に応じたテミスが重心を左足へと移す。
敵の構えから動きを予測しあっての予測戦闘。
二人が強者であるが故の硬直は長く、じりじりと集中力と気力、そして体力を磨耗させていく。
「…………。フム」
「っ……!?」
ただ、波止場に押し寄せる波の音だけが響く数分間が過ぎた時だった。
テミスは小さく息を吐くと、あろう事か構えを解き、両手を傍らにゆるりと下げた状態で一歩前へと進み出た。
その、あまりにも無防備で突飛な行動に、男は目を見開いて驚きを露にすると、警戒を強めて数歩分の距離を跳び下がる。
「なんだよ……やっぱり投降してくれるってのか?」
「いいや? 戦意を失った訳ではないから、安心して斬りかかって来い」
「チッ……だと思ったよ……。くそったれだぜ……」
隙を見せた相手に対して安易に攻撃を仕掛ける事無く、退く選択を取る事ができるという事実が、男の実力が確かなものであることを物語っていた。
故にテミスは、先手を取るのではなく、敢えて後の先に徹する事で、確実に男を仕留めるべく構えを解いたのだ。
尤も、この手は敵に機先を制させるという性質上、一撃で全てを粉砕する威力を持つ技を有するヤトガミのような敵や、同等以上の迅さを有する一撃を繰り出すことの出来るフリーディアのような相手には向かない戦法ではあるのだが。
この男相手に限っては、先の拳での応酬から大体の速さは把握しているし、如何なる攻撃を繰り出されようとも、テミスには躱し、いなし、反撃へ持ち込む事ができる自信があった。
「なぁ……一個、提案があるんだけれどよ……」
「却下だな。事ここに至ってしまっては、私もお前を逃がす訳にはいかない」
一歩。そしてまた一歩と。
コツコツと軍靴の音を響かせながら悠然と歩み寄るテミスに対し、男は頬に一筋の冷や汗を滴らせ、静かな声で問いかける。
しかし、その全てを紡ぎ切る前に、テミスは取りつく島もなく男の提案を切って捨て、更に一歩男を打ちのめさんと前へ進み出た。
その瞬間。
「ッ……!! クソッ……しくじったぜ……!! 一人で仕掛けるような相手じゃあなかった……!!」
「ほぉ……?」
歯噛みと共に叫んだ男の姿がテミスの眼前から掻き消えたかと思うと、瞬時にテミスの横合いへと姿を現し、振りかざした一対の短剣をテミス目がけて振り下ろす。
八艘飛び。それは、流派によっては秘技に位置する技の一種で。
緩急を付けた瞬撃は、敵の虚を突き、守りを崩すには最適の一手だ。
だが……。
「筋は悪くないな」
「ごぉッ……ァッ……!?」
男がテミスへと飛び掛かる刹那。
身を翻すと同時に閃いたテミスの拳が、がら空きになった男の鳩尾を捕らえ、重く鈍い肉を打つ音を響かせる。
捻りを加えて打ち込まれた一撃をまともに喰らった男は、苦悶に顔を歪ませながら、そのまま後ろへ吹き飛んだものの、空中で体勢を立て直し、腹を押さえた格好で着地に成功した。
「ゲホッ……!! ゴホッ……!! アンタ……本当に何モンだよ……ッ!?」
「っ……! 驚いたな。仕留める気で打ち込んだのだが……まさか堪えるとは」
「堪えられてねぇよ……! 余裕ぶりやがって……! ただの旅行者な訳がねぇ!」
「全く……素性を明かせんのはお互い様だろうが。ン……いや、そういえば……。つい先ほど、胡散臭い男にネールと名付けられたんだった」
「……オイ。なんだかソレ、すっげぇ怪しい臭いしかしねぇんだけど……。ま、いいや。俺はここいらじゃ、サンって名乗ってるぜ」
「クク……律儀な奴め。気に入った。次は一撃で仕留めてやる」
腹を押さえて地に膝を付き、テミスを見上げる男は、苦し気に咳き込みながら叫ぶようにテミスへ問いかける。
一方でテミスは、致命的とも言うべき隙を晒している男に追撃を加えず、のんびりと男の問いに言葉を返した。
そして、テミスに合わせて自身も名乗りをあげた男に、テミスは喉を鳴らして笑いを零すと、背中の剣を手に取り、そのまま背負うような形で構えてみせた。
「あーあ……! クソ! ツイてねぇ……!! でも……やるしかねぇってなら、やってやらぁッ……!!」
布を巻いたままの大剣を構えたテミスに対して、サンと名乗った男は気合の籠った声で奮起すると、再びその場から姿を掻き消して、テミスへ向けて斬りかかる。
そして再びサンが姿を現したのは、剣を構えたテミスの右側。
しかし、その俊足の動きを捉えていたテミスは、姿を現したサンを打ち倒すべく弧を描いて大剣を叩き付けた。
「っ……! クッ……!?」
しかし、テミスの振るった大剣がサンを打ちのめしたかと思った刹那。
テミスの右側に姿を現したサンは再び消え、今度はその逆側……テミスの左側へ、両手の短剣を振りかざした格好で姿を現した。
それはテミスの予想を上回る動きで。
刹那。
鋭く息を呑んだテミスの左手が鋭く閃き、振り下ろした大剣の柄を掴み取ると、雷光の如き速度でその柄頭をサンへ向けて放ったのだった。




