2033話 魂縛の契約
スイシュウが口にしたテミス達への協力。
それは、ネルード公国の情報を求めているテミス達にとっては垂涎の好策ではあった。
尤も、テミスの正体を知らないスイシュウは、テミス達の事をこのネルードの何処かに潜んでいるらしい、反政府勢力の一員か何かだと勘違いしているようだが……。
ともあれ、治安維持を担う兵士であるスイシュウにとっては、どちらであっても明確な反逆行為には違いは無く、命の対価としては十分だと言えるだろう。
しかし……。
「フ……この期に及んで諦めの悪い。下らん戯れ言だ」
「当り前じゃない。僕だって死にたくないもの。必死さ。だから、そう言わずにもう少し考えちゃくれないかい?」
「一考の余地すら無い。お前は、こんな取引が本気で成立するとでも? 私が見逃した所で、お前が約束を反故にしない保障など何処にも無いではないか」
「そこは……ホラ、僕を信じちゃくれないかい? これでも、今まで生きて来て約束を一度も破った事が無いって言うのが僕の自慢なんだ」
「ハハッ……!! 信じる者は裏切られるんだよ。これまでの事など何の担保にもならん。仮にお前の大言壮語が真実であっても、今回が人生で一度目の裏切りになるだけだろう」
至極真面目な表情で無茶を言うスイシュウの提案を、テミスは高らかに笑い飛ばすと、皮肉気な笑みを浮かべて吐き捨てた。
たかが口約束といえど、魔法を用いれば言霊自体が契約呪となり、魂を約定で縛る事の出来る術式も存在する。
その魔法の存在を知るテミスは、能力を用いればスイシュウの馬鹿げた提案も、些か現実味を帯びてくるのだが。
魔法など使ってしまえば、敵国の奥深くでテミスの正体が露見する危険性が跳ね上がるし、得るものに対してあまりにもリスクが大き過ぎた。
「ほぉ……人助けなんかするものだから、お人好しなのかと思ったけれど、どうやらそうじゃないらしい」
「クク……見くびるなよ。遊びが過ぎたな。交渉は決裂だ」
「どうしてさ? つまり、僕達が絶対に裏切ることの出来ないっていう、担保があれば良いんだろう? だから、これを使おう」
低い声で告げながら、ゆらりと布に包まれたままの大剣を持ち上げたテミスだったが、スイシュウは目をぱちくりと瞬かせながら、一つの巻物を懐から取り出してみせる。
「こいつは契約魔呪巻って言ってね。早い話が、絶対に破ることの出来ない約束を交わすための道具さ。ここから遠く離れた魔族領から流れてきた曰く付きの品だけど、だからこそ効果は太鼓判だよ?」
「っ……!!」
「スイシュウさん……!! 魔道具は禁制品ですよ……!!」
スイシュウの持ち出してきた代物に、テミスは再び驚きを露にすると、巻物に刻まれた魔紋と魔力に目を見張った。
巻物が帯びている強い魔力は、この道具が本物である何よりの証左であったし、刻まれた紋様も、スイシュウの言う通りの効果を発揮するものだった。
「この際だよ。良いじゃない。生き延びられるんだから」
「ですが……我々が反逆者に協力など……!!」
「僕も君も、もう似たようなものじゃない。知ってるよ? 君が何度も、部隊長の目を盗んで捕まえた子たちにご飯を挙げている事」
「ッ……!!!」
「さっきの子だってそうさ。完全に無罪にはしてあげられないけれど、どうにか上手く逃がしてあげるつもりだったんだ。ま、君たちのお陰で、その必要も無くなったけどね」
禁忌を踏み躙るスイシュウの行為に、流石に兵士として看過しかねたのか、最後に残った治安維持兵が、堪らずといった様子で口を挟んでくる。
けれど、その提言にもスイシュウが飄々とした態度を崩す事は無く、にっこりと微笑みを浮かべて言葉を続けた。
「正直。ここ最近のお国のやり方が気に入らないのは僕達も同じだよ。口を開けばすぐ戦争戦争……って。胸糞悪いものまで作っちゃってさぁ……本当……厭になる……」
「国政批判は重罪……ッ……!! いえ……っ……!! 俺も……そう思います」
「…………」
「ねっ? だから僕達、案外仲良くできるんじゃないかなぁ……? と、思うんだ? ネールちゃん。君が何処の誰かは知らないけれど……ね」
軽い口調で告げたスイシュウの言葉に、テミスはゾクリと背筋に薄ら寒いものを感じると、密かにごくりと生唾を呑み下した。
幾らなんでも、スイシュウが完全にこちらの正体を掴んでいるとは考え難い、
だが、テミス達の正体に感付いている可能性も、十分に感じられた。
その上で、スイシュウはこちらに協力するという白紙の小切手を差し出してまで、テミスに交渉を持ち掛けているのだ。
「……良いだろう。私はこの場で、お前達を殺さない。お前達は、私の協力者となる。それで良いんだな?」
「勿論さ。君もそれで構わないかい? 辞めるなら今だよ? その時は、君だけ契約内容を生涯、そして死後も秘密を守ることに変えるだけだけれど」
「ッ……!! ここまで来て連れない事は言いっこ無しですよ。スイシュウさん!!」
「良く言った! 流石は僕の見込んだ男だねぇ!」
最後通告とばかりに残った兵士に告げたスイシュウだったが、一瞬たじろいだものの兵士が胸を張って言葉を返すと、バシンと背中を叩いて朗らかに告げる。
それを眺めるテミスの視線からは警戒の色が消える事は無く、むしろこの契約を結ぶと決めたのも、このままスイシュウという得体の知れない一兵卒を放置した方が危険だと判断したためだった。
「それじゃ早速、契約しちゃおうか!」
そんなテミスの警戒をものともせず、スイシュウは契約魔呪巻をぱらりと開くと、底抜けに朗らかな声で告げたのだった。




