2031話 異彩の壮兵
ぐおんっ!! と。
轟然と風を裂く鈍い音と共に、テミスへ向けて振り下ろされた治安維持兵達の刃が弾かれる。
ともすれば、その衝撃は手にした剣すら弾き飛ばされてしまいそうなほど強烈なものであったが、テミスという強大な敵を前に、治安維持兵達は辛うじて己が生命線たる剣を手放す事は無かった。
だが、大きく体勢を崩すことは避けられず、眼前でテミスが悠然と布の巻き付いた大剣で宙を薙いでから肩に担ぎ直す姿を、ただ見ている事しかできなかった。
「っ……ぁぁっ……!!」
「きさ……きさまぁっ……!! よよ、よくも部隊長をぉぉッ……!!」
「――止せッ!!」
テミスの前に残った治安維持兵は三人。
そのうち、ただ一人出遅れていた兵が震える声で気炎を上げるも、峰打ちを以て応じた壮年の兵士が鋭い声で引き留める。
すると、退く理由の生まれた兵士は驚くほど素直にビタリと動きを止め、カチャカチャと震える剣の切っ先をテミスへと向け続けるに留まった。
果たしてその震えが、自分たちの指揮官や仲間達を打ち倒された怒りから来るものなのか、それとも眼前に立つ強敵への恐れから来るものであるのかは、知るのは本人のみであるのだが……。
「クク……どうした? 良い気迫だったじゃないか。お前の怒りはただ留められただけで消えて失せる程度のものなのか?」
「だ……黙れェッ!!! 貴様のような逆賊に問われるまでも無いッ!! 叩き切ってやるわァッ!!!」
「止せと言ったんだ。部隊長がやられた今、指揮権は次席指揮官の僕にある」
「ならば今すぐ命令をッ!! あの痴れ者を斬り飛ばせとッ!! さぁ……さあッ……!!」
「ハハッ!! 理由が無ければ斬りかかってすら来れんか。所詮は自らより弱い相手にしか力を振るうことの出来ない臆病者だな。キャンキャンと喚くばかりで見苦しい」
「ッ!!!!! 貴ッ……様ァァァァアアアアアアッッ!!」
怒りと恐怖の狭間で揺れる治安維持兵を、テミスはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて見据えると、火に油を注ぐように煽り立てる。
その言葉に、テミスの意図通り怒りを燃え上がらせた治安維持兵は、怒髪天を衝く形相で絶叫すると、怒りに任せて剣を振りかざした。
――これでさらに一人。
高々と振り上げられた剣に応じて、テミスは剣を肩に担いだままゆらりと姿勢を落とす。
しかし……。
「――ァァァアペッ!!?」
「止めときなさいって。悪いことは言わないからさ。君も動きなさるなよ? 無駄死にはしたかないだろう? アンタもだ、そう意地悪しないでやってくれないかい?」
「っ……!」
前触れもなく傍らから伸びた剣の腹が猛り狂う兵士の顔面を打ち据え、怒りのままにテミスへ飛び掛からんとしていた治安維持兵の足を無理矢理止める。
その剣を握っていたのは、テミスに峰打ちを以て斬りかかった壮年の兵士だった。
激高する兵士は元より、壮年の兵士は合わせて斬りかからんとしていたもう一人の兵士も制すると、何処か気の抜けた声でテミスへと話しかける。
「…………」
厄介な男だ。と。
壮年の兵士の対応に、テミスは胸の内で静かに呟くと、壮年の兵士への警戒度を一気に引き上げた。
たった一撃とはいえ、剣を合わせたからこそ理解できる。
この壮年の兵士の戦力では、たとえ百人居た所でテミスに太刀打ちする事はできないだろう。
だがそれでも。
のらりくらりと腹の底を見せない狡猾さは、十二分に警戒に値するもので。
テミスは鋭い視線で壮年の兵士を睨み付けると、ゆらりと布を巻いたままの大剣を構え直した。
「返事は無し……か……。やれやれ、寂しいねぇ……。そんな顔で睨み付けなくてもいいじゃないか。おぉ……怖い」
「スイシュウさん!! 何故止めるんですッ!! コイツは……コイツはァッ……!!」
「同じ隊の仲間が死にに行くってんだもの。そりゃ止めるだろうさ。あの子、とんでもなく強いよ。僕たちがまとめて斬りかかっても仲良く返り討ちだ」
「だったら何だってんだ!! 俺はコイツを許せねぇッ!!」
「ハァ~……やれやれだ。参ったね……僕としても、早くキミとお話をしたいんだけれどねぇ……」
「…………」
怒りに狂う治安維持兵を宥めながら、スイシュウと呼ばれた壮年の兵士は、大袈裟な身振りで肩を竦めてみせると、チラリとテミスの方へ視線を向けて言葉を続ける。
「敵である君にこんな事を頼むの何なんだけれどさ? ここはひとつ、ウチの若いのを揉んでやってはくれないかい? 勿論殺しは無しで。悪いようにはしないからさ」
「っ……!」
「スイシュウさんッ!? アンタッ!! それでもネルードの兵士かよッ!!」
「そうだよ。だからこうして、無駄な犠牲を出さないように頑張っているんじゃないか」
スイシュウと呼ばれた壮年の兵士は、相対するテミスですら驚くような提案をテミスへ投げかけると、更に怒りを滾らせる兵士を宥めにかかる。
とはいえ、テミスとしてもこれ以上、話の通じない馬鹿に騒がれていては無意味に時間が過ぎるばかりであるのは事実だった。
「…………」
故に。
スイシュウと呼ばれた壮年の兵士の思惑に乗る事になるのは気が進まなかったが、テミスは自らの意思を示す為に、構えていた大剣を傍らの地面へと突き立てた。
「ありがとう。感謝するよ。本当に。ホレ。あちらサンも乗ってくれたんだ。一つ胸を借りてきなさいな」
「ッ~~~~!!!!! 舐……めるなァァァァッッ!!!」
言葉すら発する事無く示されたテミスの答えに、スイシュウと呼ばれた壮年の兵士はぺこりと頭を下げて礼を告げると、怒り狂う兵士に飄々と告げる。
その言葉は、怒り狂う兵士を縛り付けていた恐怖を断ち切るには十分過ぎたらしく、怒声と共に一直線にテミスへと斬りかかった。
「……下らん」
そんな兵士の剣が振り下ろされるよりも早く。
テミスはただ一言ボソリと呟きを漏らしながらゆらりと前へ進み出ると、岩のように固く握り締めた鉄拳を、兵士の顔面へと叩き込んだのだった。




