2028話 眩き怒り
一体全体、何が起きている……?
眼前で起きた妨害の出来事に、テミスの脳裏が白く染まる。
その感情は確かに怒りだった。
しかし、そこに燃え上がるような激しさは無く、ただあったのは波一つ絶たない程に凪いで居るかの如き静寂だけ。
許容量を一瞬で振り切れた怒りに、テミスは視界が明滅するのを感じながらも、驚く程に凪いだ心を保ったまま、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて若者を連行していく兵達に視線を向けていた。
「っ……」
「ちょっとだけ待って。今は駄目だよ」
「止めてくれるな。奴等は殺す。鏖す。やらねばならん。あぁ殺そう」
ゆらり。と。
テミスは無意識のうちに、布でを固く巻き付けた背中の大剣の柄を掴むと、開いた瞳孔が収縮し切った目で治安維持兵達を睨み付けながら、堂々と一歩前へと進み出る。
しかしすぐに、テミスの行動を予測していたかのように、傍らから身を翻して駆け出したユウキが前へと立ち塞がると、肩に掌を向けて押し留めた。
だがそれでも。
怒りに飲み込まれたテミスの歩みが止まる事は無く、制止するユウキをも押し退けて前へと進む。
幸いにも、治安維持兵達の力量はさほど高くは無いらしく、相応の距離が開いている所為もあってか、誰一人として静謐に流れ出すテミスの殺気に気付いている者は居なかった。
「ここで騒ぎを起こすべきではありません。彼を救出するのならば猶更です」
「知るかそんな事」
「あわわわわっ……!! 落ち着いて、落ち着いて下さい! そうだ! 紅茶……はここじゃ淹れられないですから、茶菓子とかっ!」
「邪魔をしないでくれ。散られては面倒だ」
「うぅん……っと……あっちの方は確か、東詰め所だよね……だとしたら……うんっ!」
テミスがまた一歩大きく前へと歩みを進めると、深刻な表情を浮かべたノルが理論を以て諭しにかかり、目に見えて慌てふためくリコは、手荷物の中を漁りながら必至にテミスを宥めにかかる。
しかし、二人の言葉が届く事は無く、テミスは傍らで留めんと奮闘する二人には一瞥すらくれず、冷ややかな言葉だけを向けた。
一方で。
一番最初にテミスの前に立ちはだかったユウキは、若者を連行して去っていく治安維持兵達を眺めながら呟きを漏らした後、コクリと大きく頷いて笑みを浮かべる。
「よしっ! じゃあやっちゃおっか!」
「そうです。ひとまずここは退いてから――えっ?」
「えぇっと……何を仰っているのデスカ?」
直後。
朗らかに告げられた言葉に、テミスを留める二人は目を見開いて驚きを露にすると、驚愕に揺れる瞳をユウキへと向けた。
「止めたって止まらないのならしょうがないかなって。それにもともと、ボクも助けに行くつもりだったしね」
「ですがっ……!」
「大丈夫だよ! ここから東詰め所までは少し遠いし、あの人たちが東詰め所の人たちなら、一番近い西詰め所は今は手が離せない筈。全員やっつけて逃げるくらいの時間はある筈だよ!」
「っ……!! まさか……こんなに短い時間でそこまで計算をして……!!」
言葉を重ねて抗弁を試みるノルに、ユウキはにっこりと笑顔を向けて頷くと、くるりと身を翻して数歩走り、ずんずんと進み行くテミスと肩を並べる。
そして、睨み殺さんばかりに兵士達を見据え続けるテミスに微笑みかけ、穏やかな声で口を開いた。
「あの人たちは次の路地を左に曲がるはずだよ。そしたらそこで仕掛けよう。広いけれど人気は無い通りだからやりやすいと思う。ボクはバックアップに回るから、君は好きに暴れて来て!」
「っ……! 了解だ」
怒りに我を失っていながらも、己の目的と志を同じくするユウキの言葉はテミスの耳に届き、僅かに間を置いてからテミスは短い言葉と共にコクリと頷いてみせる。
「二人は危ないから離れていて! それと、集合場所は――」
「――波止場外れの黄旗亭にしましょう。あそこなら、逃れるにも身を隠すにも都合が良いはずです」
「了解っ! 波止場の方ね! そしたら、二人は先にそこへ行っていて! ボクたちもすぐに行くからさっ!」
再びテミスを先行させたユウキは、リコたちを振り返って早口で言葉を続けると、いち早く冷静さを取り戻したノルが、ユウキの言葉を汲み取って口を挟む。
その提案に、ユウキは眩い笑顔で頷きを返した後、明るい言葉を残してテミスの背を追った。
「えとっ! 気を付けてくださいね!!」
「……どうか、ご武運を」
そんなユウキの背に激励の声を投げかけながら、ノルとリコは歩みを止めて二人を見送ったのだった。




