2011話 秘を抱き合い
自身の正体をテミスへと告げたノルは、がばりと勢い良く頭を提げたまま動きを止める。
その姿はさながら、怯えながら沙汰を待つ罪人のようで。
何処か居たたまれない思いが胸を過るものの、テミスの胸中にはさほど驚きの感情は無く、むしろ得心の方が勝っていた。
「……なるほど。ようやく納得した」
「え……?」
長い沈黙の後。
静かに息を吐いたテミスがゆっくりと口を開くと、怯え切った瞳のノルが微かな声と共に顔をあげる。
「先日の戦いだ。こちらの……フリーディア達の応戦があまりにも早く感じたのでな。他に説明が付かないから、偶然が味方したのだろうと結論付けていた訳だが……。なるほど、そういう訳があったのならば説明はつく」
「っ……!! はい。あの時は、突然の即時離脱命令が届いて本当に焦りました。しかも場所が場所ですから、全てをユナリアス様にお話しする機会も無く……」
「フム……? と、すると。だ。なぁ、ユナリアス。これはあくまでも予測なのだが、我々がフォローダに到着する前のことだ。ひょっとすると、こいつはお前がパラディウム砦に赴くのを止めたんじゃないか?」
「あぁ……うん……。止められたよ。凄く必死に。けれど、それを知ったのなら猶更、私は逃げる訳にはいかなかった。私はフォローダの娘だからね」
「フッ……無茶と無謀は違うぞ?」
「君にだけは言われたくないね」
「クク……違いない」
要するに、ノルは二重スパイの役割を果たしているのだろう。
それも恐らく、この事実を知っているのはユナリアスのみ。
もしもノラシアスも彼女の正体を知っている上で『飼っている』のだとすれば、ユナリアスをみすみすパラディウム砦へ向かわせたりなどしないはずだ。
そう思案しながら、テミスは不敵な笑みを浮かべてユナリアスと言葉を交える。
強固な防御を誇っているとはいえ、パラディウム砦があれほどの大軍勢を前にギリギリのところで持ち堪えていたのも、ひとえに彼女の功績が大きいのだろう。
しかも、親友であるフリーディアにすら秘密を漏らしていない点は好感が高く、ユナリアスがスパイの扱いを熟知している証拠でもあった。
「あ、あの……! えぇと……その……怒らない……の、ですか?」
恐る、恐ると。
顔をあげたノルは未だに震えの残るか細い声で問うと、一杯の涙を溜めた目を真っ直ぐとテミスへ向けた。
元より、ノルの事を最優先で考えるのであれば、彼女がテミスに正体を明かす必要は薄い。
対ヴェネルティ戦に関しても、ノルが正体を明かさずとも、他の方法で活路をこじ開ける可能性だってあったはずだ。
それでも尚。現状と己の命を秤にかけ、主と仰いだユナリアスの為に命すら賭した。
テミスとしてはその覚悟は察するに余りあるし、確度の確かな情報もたらした者に対して怒りを覚えるなど以ての外だった。
「あぁ。怒りなどするものか。よく話してくれた。お陰で活路が見出せそうだ」
「で……ですが……」
「クス……そうだな。ならば私も一つ、秘密の話をしてやろう」
「秘密……ですか?」
「えっ……!? はっ……?」
だからこそ、柔らかな微笑みを浮かべたテミスは、努めて優しい声色でノルへと語り掛ける。
けれど、相も変わらずノルの表情は曇ったままで、叱るどころか褒めるテミスに戸惑いの眼差しを向けていた。
故に。
テミスは己の内に芽生えた悪戯心に従って言葉を続けると、傍らで微笑まし気に状況を見守っていたユナリアスの表情が一転、驚きに染まる。
「尤も、薄々察してはいるやもしれんがな。私の本当の名は、テミスと言う。お前が先ほど刃を交えていたのは、私の副官にして我が黒銀騎団の一員だよ」
「ぅぇ……? ぁぅ……ぁ……あ……っ……」
驚くユナリアスを尻目に、テミスは肩を竦めて前置きを挟むと、偽りではない自身の真の名と、自らの率いる者達の正体をノルへ明かした。
この情報はロンヴァルディアにとって、ヴェネルティ側の掲げる大義を肯定する秘中の秘。
無論。元はヴェネルティ側のスパイであるノルにこの情報を明かすのはリスクでしかないが、これはテミスの仕掛けた試金石でもあった。
万に一つ。このノルが三重スパイであったのなら。
この値千金の情報は、即座にヴェネルティへと伝わるだろう。
だが、今は敵に大義を与える危険よりも、ノルが三重スパイでないという確証の方が欲しかった。
だからこそ、テミスは敢えて自身の正体をノルに告げたのだ。
けれど、当の本人は告げられた事実を前にただあわあわと狼狽えるばかりで。
真正面でそれを眺めるテミスの目には、どうやってもノルの態度が演技には見えなかった。
故に。
「心配するな。元がどうだとか狭量な事は言わんよ。黒銀騎団には以前、私と真っ向から刃を交えた奴も居る。随分とひねくれ者で苦労したが、今では頼れる奴さ」
テミスは何処か自慢気な思いすら抱きながら語り聞かせると、スルリと手を伸ばして、頬を濡らす涙の痕を拭うように、ノルの頬を柔らかく撫でたのだった。




