2009話 僅かな平穏
「一月半……か……」
朗々と宣言したサキュドに、テミスは低く喉を鳴らしながら言葉を返す。
丸々一つの部隊をたったの一月半で鍛え直すのだ。他の騎士や兵士たちの練度を鑑みれば、促成教育などという制度も裸足で逃げ出すレベルの速度だろう。
だが、いくら早いとはいってもここは最前線。
最前線で錬成に一ヶ月半という時間を費やす事など、たとえヴァルミンツヘイムに聳え立つ魔王城よりもうず高く金貨を積み上げたとて、叶える事は不可能だ。
「無茶を申し上げているのは承知の上です。ですが、これ以上の短縮は不可能かと」
「その点は理解している。そもそも、ただでさえ一月半という速さは破格という他無い」
「うぅん……幾らか壊しても構わないのでしたら、あと半月くらいなら短くできるかもしれませんが……」
「却下だ。ただでさえ頭数が不足いるんだ、額面戦力を減らしてまで個々の能力を上げた所で無意味だ」
「……ですよねぇ」
唸りながら頭を悩ませたテミスに、サキュドは意味深にクイ……と口角を吊り上げると、不穏極まる代替案を口走る。
その案に、テミスが即断即決で却下を決めると、サキュドもそれを理解していたらしく、微笑みを浮かべたまま穏やかに相槌を打った。
「兎も角、部隊の現状は理解した。一ヶ月半だ。サキュドたちはその方針で動いてくれ」
「了解です。あ。訓練中に戦闘が発生した場合はどうしますか? たぶんですけど、マトモに動けないと思いますよ?」
「フゥム……即応待機で休息を取らせるべきなのだろうが、戦況によりけりだろうな。総力戦となれば、動けなければ死ぬだけだ」
「むむ……ま、それもそうですね」
これ以上は部隊の面々の成長を速めることは不可能だ。
そう判断したテミスが方針を伝えると、サキュドは空中でピシリと姿勢を正した後で、クルリと宙返りをして問いかけた。
尤も、サキュドの問いの真意は言葉通りのものではなく、要するに部隊の面々の錬成が間に合わなかった場合、決死兵として前線に叩き込むか否かの確認なのだが。
こういう時、優秀な副官というものは恐ろしいな。と。
サキュドの問いの真意を理解しているテミスは、僅かに逡巡を見せると、表情を歪めながら判断を下した。
訓練で疲弊した兵など、当然ながら前線では使い物にならない。
とはいえ、そもそも頭数が不足しているこちら側の陣営は、現状で攻め入られれば猫の手でも借りたいような窮状に叩き込まれるのは必須。
動きの鈍い疲弊した兵であっても、いずれ蹂躙される後方で休ませておくくらいならば、とりあえず前線に配置しておけば肉の盾くらいには役に立つ。
もしも、こんな考えをフリーディアに話でもしたら、怒鳴り散らされるに違いない。
脳裏を過った思いに、テミスがクスリと微笑みを漏らすと、同時にサキュドがさらりと言葉を流す。
「それでは、頼んだ」
「承りました。これは……少しだけ、楽しくなってきましたね」
錬成の期間をこれ以上短縮できないのならば、別の何かで補う他は無い。
早々にテミスは思考を次の段階へと移すと、怪し気な微笑みを漏らしながらユウキの元へと去っていくサキュドの背中を見送った。
万に一つもあり得ない、楽観的に過ぎる思考ではあるものの、このまま小康状態が続き、錬成完了までヴェネルティが攻め入って来ないという可能性も無くは無い。
とはいえ、そんな在る筈もない極小の可能性に賭けてまで、僅かとはいえ与えられた猶予を無駄にするほどテミスは怠惰ではない。
だが、そうはいったところで取り得る手段など既に限られてはいるのだが……。
「時間が無いのならば、無理やり引き延ばすしかあるまい。ただ、問題はこの作戦を報告するか否か……だな……」
一月半という時間を稼ぐために、テミスの脳裏には幾つかの案が浮かんでは消える。
その結果導き出した結論に、テミスは苦渋の表情を作ると、深いため息と共に頭を抱えた。
現在のフリーディアたちの仕事量を考えるのならば、これ以上の負荷を与えない為にもこれまで通り、独断専行が妥当だろう。
しかし、つい先日の戦いではそれを咎められたばかりだし、これほどの短期間に罪を重ねてしまえば、独断専行をしたはいいものの、それに気が付いたフリーディアが想定外の暴挙に打って出ないとは言い切れない。
「考え込んでいる所すまない。今の話なのだけれど、少しだけ聞こえてしまってな。君が結論を出す前に一つ、話をしても構わないだろうか?」
そうテミスが頭を悩ませている所へ、体力が幾ばくか回復したらしいノルを傍らに連れたユナリアスが歩み寄ると、テミスを見据えて真っ直ぐな瞳で問いかけたのだった。




