188話 彼方に捧げる想い
「それで……? いつまで居るんだ?」
夜。再びファント中を歩き回ったテミスは、少なくない疲労を感じながらフリーディアとフィーンに問いかけた。
こう見えて、フリーディアは優秀な騎士団の騎士団長なのだ。仮にも戦時中のこの状況下で、決して暇では無い筈なのだが……。
「そうね。2~3日は逗留するつもりだけれど、フィーンを送り届けたらすぐに任務が……っあ~……しまった……」
「フッ……良いさ。聞かなかったことにしておいてやる」
ジョッキを傾けながら答えたフリーディアが、自らが口を滑らせたことに気付いて頭を抱える。それを見たテミスは、自らもワインの入ったジョッキに口をつけると、ニヤリと頬を緩めて言葉をかけた。
愚直な彼女の事だ。どうせ、オンとオフの切り替えが上手く行っていないのだろう。だが現時点では、私にとってフリーディアが何処を攻めようと知った事ではない。
「……ファント以外ならな」
テミスは心の中で呟いたセリフに一言付け加えると、テーブルの中心に置かれた料理に手を伸ばす。
最近はワイルドディアの活動期なのか、以前よく売れていた猪肉のステーキよりも、この鹿肉のステーキの方がよく売れる。それに、どちらも所謂ジビエ料理だが、マーサさんの調理の腕のお陰か、はたまた魔獣である特性なのか、ジビエ独特のイヤな臭みは一切感じなかった。
「ふぅ……美味しいですねぇ……いっその事、この町にずっと居たくなっちゃいますよ……」
「それは困るわ……と、言いたい所だけれど、私としてはそれよりも耳が痛いわね……」
テミス達と同じく、ジョッキを傾けながら零したフィーンが呟くと、傍らのフリーディアが静かに目を伏せる。騎士である身とはいえ、王族の一人としては今の台詞はさぞ堪えるだろう。
「やはは……すいません。ただの感想です。……けれどフリーディア様も、立場が無ければ私と同じなのでは?」
「……」
「フィーン……お前、酔ってるな?」
「酔ってません。酔ってませんよぉ~?」
目を伏せたフリーディアに、尚追撃を仕掛けるフィーンに目を向けると、彼女の周りにはテミス達よりも遥かに多い数の空ジョッキが立ち並んでいた。
「……でも。その剣を選んでる時のフリーディア様。すごく楽しそうでしたよ?」
「そう……ね」
静かにジョッキを置いたフィーンがそう付け加えると、弱々しく微笑んだフリーディアが小さく頷いた。
件の雑貨屋の剣はフリーディアのお眼鏡に適ったらしく、今日の昼間に立ち寄った際に、彼女は散々試した上で、一振り購入していたのだ。
「…………ねぇ……テミス」
「んっ……?」
しばらくの沈黙の後、重い口を開いたフリーディアに、テミスは鹿肉を口に放り込みながら首を傾げる。
「私達……これから、どうなるのかな?」
物憂げに、そして不安気に呟いたフリーディアの問いは、まるで今にも消えてしまいそうなほどに揺らいでいた。
「んぐっ……フム……私達……か……」
鹿肉を呑み下したテミスは一つ息を吐くと、考え込むかのようにジョッキを口元にあてて動きを止めた。
恐らく、フリーディアの問いは額面通りに受け取っていい類のものではないだろう。
この問いは、酒の席……そして、量らずともフィーンに痛い所を突かれたフリーディアが思わず漏らした、心の内に秘めたる弱音でもあるのだろう。ならば、その『私達』が意味するところは一つしかない。
「そうだな……」
静かに答えを待つフリーディアをチラリと見た後、テミスは言葉を濁しながらジョッキを傾け、その喉を潤した。
フリーディアの問いに対する答えを、私は確かに有している。だがそれは、間違いなく彼女にとって求めた答えではないのだろう。
何故ならばその答えとは、どちらか一方の……もしくは、人魔双方の破滅だからだ。
古来より、憎しみの積もった戦いの終着点は総じて決まっている。それは、どちらかの勢力が相手を滅ぼす結末か……はたまた、徒に犠牲者だけを排出し続けるという、勝者すら存在しない地獄のような結末だ。
「……きっと。我々の思い描くような未来は……来ないのだろうな」
長考の末、テミスはやんわりと言葉を濁すと、渋い顔でそう答えた。
結局の所、戦争などと言う異常な状況下で、個人が取れる選択肢など決まっているのだ。
捨てるか、捨てないか。相反する二つの存在を天秤にかけ、片方を選択する事しかできない。どちらも欲しい等と言う我儘は、フリーディアのような夢想者の戯言なのだ。
「……それでも、私達はこうして解り合えたわ。だから……きっと……」
「そうだな……」
舟を漕ぎ始めたフリーディアが祈るようにそう呟くと、テミスは小さく頷いてその願いに同意する。
こんなくだらない戦いなど、さっさと終わるに越した事は無い。
人と魔が手を取り合い、笑いあって酒を飲む……。互いに武器を取り合って殺し合うよりも、遥かに建設的ではないか。
……だがそんな奇跡は、そう簡単には起こらないのだろう。
「……そんな日が来ると良いな」
想った理想の日々が決して来ないと知りながら、酒を傾けたテミスは静かにフリーディアの言葉に頷いたのだった。




