2006話 敗北の記憶
テミス率いる独立遊撃部隊が設立されてから数日。
湖族に白翼騎士団、そして蒼鱗騎士団から人員を引き抜く形となったため、当初は関係各所の者達から不満も漏れていた。
だがその声も、島に響き渡る阿鼻叫喚の悲鳴に態度を変えると、テミスの旗下へと異動した者達へ同情の視線を向けるようにまでなっていた。
「報告します! 本日午後の行軍訓練、脱落者はおりません!」
「フム……漸くか……。思ったよりも時間がかかったな……」
報告書を手に指令書の天幕を訪れたリコの報告を聞くと、テミスは小さく息を吐いて感想を漏らす。
部隊が正式に発足してからというもの、テミスは宣言通り部隊の者達を鍛え直す為、一日に二回の行軍訓練を課していた。
その内容は完全装備を身に纏い、島の頂上にあるパラディウム砦まで行って帰ってくる事。
テミスとしては、厳し過ぎた試験の内容の反省を取り入れたものであったのだが、重たい資材を抱えている訳でもなく、サキュドたちの妨害がある訳でも無いにも関わらず、全員が完遂できるようになるまでかなりの回数を重ねなければならなかった。
「……貴女ね。自分が無茶苦茶をやっているって解っている?」
「何が無茶なものか。戦場で速駆けは命に直結する。それはお前も十分承知しているはずだろう?」
「えぇ。でもやり方が性急に過ぎるわ。貴女の求める行軍速度は本来、長い時間をかけて身に着けるからこそできるものなの! こんな無茶を続けていたら、皆身体を壊してしまうわ!」
「連中の錬成が完了するまで、律儀に敵が待っていてくれるとでも? 尤も、戦場で死ぬよりは早々に怪我で後方へ退がった方がマシだと思うがな」
「このッ――!!」
「――まぁまぁ。落ち着くんだフリーディア。言い方は荒いけれど、リヴィアが言っている事は間違っていないよ。私としては、皆が五体満足で帰ってきてくれればそれで構わない」
同じ天幕で仕事を進めていたフリーディアが挟んだ口に、テミスは肩を竦めてみせながら皮肉を以て応ずる。
すると、瞬く間にフリーディアは怒りに顔を赤らめ、バシバシと机代わりの木箱を叩いて力説した。
そして、怒りが頂点に達したフリーディアがガタリと音を立てて立ち上がった途端、苦笑いを浮かべたユナリアスが二人の間に割って入り、穏やかな声で仲裁を買って出る。
「安心しろ。ユナリアス。原隊復帰する頃には、元の倍は戦えるように鍛えておく」
「はは……それは頼もしいね。期待しておくよ」
「ユナリアス、どうして……? 今リヴィアの旗下には貴女の副官……ノルも居るのよ?」
「うん……。そう……だね……。でも、だからこそ……この機会は有り難いんだ」
自身の課す無茶に肯定的な態度を見せるユナリアスに、テミスはクスリと薄い笑みを浮かべると、自信に満ちた声でそう宣言した。
一方で、フリーディアは困惑の表情を浮かべてユナリアスへと訴える。
だが、その問いを聞いた途端、ユナリアスは何処か物憂げな表情を浮かべて目を伏せた後、少し沈んだ声で語り始めた。
「この島での戦いで、ノルは私を庇って傷を負ったのは知っているだろう?」
「知っているわ。貴女から聞いたもの」
「あれからノルや、蒼鱗騎士団の騎士たちの何人かが、今までに増して訓練に励むようになっているんだ」
「…………」
「本来なら、私も共に剣を振るうべきなのだろうけれど……。皆の鬼気迫る表情を見てしまうと、どうしてもね……」
「士気が高いのは良いことじゃない!きっと、ユナリアスの思いが通じたのよ!」
「…………。うん……」
物憂げに語るユナリアスに、フリーディアは元気付けるかのように朗らかに励ましてみせるが、それを聞いて尚ユナリアスの表情が晴れる事は無かった。
だがユナリアスの説明を聞いて、テミスは独り黙したまま得心する。
白翼騎士団や湖族から異動してきた連中に比べれば、今話にあがっていた蒼鱗騎士団の者達の地力は確かに低い。
しかし、ここ数日の伸びしろを見れば、蒼鱗騎士団の者達は群を抜いていた。
その根底にあるのは恐らく、あの戦いで傷付き倒れた悔恨か、もしくは敗北の辛酸を舐めた事による奮起か。
どちらにしても、ユナリアスが負い目を感じる必要など無い筈なのだが……。
「やれやれ。世話の焼ける……。おいユナリアス。少し付き合え。リコもだ」
「っ……!? 何処へ……!?」
「はいッ……!」
「ちょっと! また勝手な事を……! 指揮所を空ける訳にはいかないでしょう!!」
溜息まじりにクスリと微笑んだテミスは、リコから受け取った書類をばさりと指揮卓代わりの木箱の上へと置くと、ユナリアスの手を取って颯爽と歩き始める。
その突然の宣言に、ユナリアスは驚きながらも抗う事無く手を引かれ、リコは元気のいい返事を返してテミスに続いた。
一方でただ一人、フリーディアだけは再び苛立ちを露にしながら、音を立てて席を立つ。
だが……。
「ならばフリーディア、留守番は頼んだ。また喧しく邪魔をされては困るのでな。クク……なぁに、心配するな。少し散歩をするだけさ」
そんなフリーディアを、テミスは肩越しに振り返ると、皮肉気な微笑みを残して指揮所の天幕から出て行ったのだった。




