1986話 終えた役割
金属が震える澄んだ音を響かせながら、二振りの剣が宙を舞う。
一振りは、ユウキの手にしていた白翼騎士団の制式装備である剣。
そしてもう一振りは、固く布の巻き付けられたテミスの大剣。
二振りの剣は回転しながら宙を舞った後、サクリ! ドズリ! とそれぞれに音を奏でて切っ先から地面へと突き立った。
「っ……」
「おぉ……!」
戦いは終わった。
誰もが食い入るように見つめる中で。ただ一人、フリーディアだけがゆっくりとした動きで手に携えていた剣を腰へと戻す。
眼前に佇んでいるのは、己が手から武器を失ったテミスとユウキ。
その勝敗は誰の目から見ても明らかだった。
「ォォォォォオオオオオオッッ!!!」
「フリーディア様ァッ!!」
「すげぇ戦いだったぜ! 流石白翼騎士団ッ!!」
一瞬の静寂の後。
戦いを見守っていた白翼騎士団、蒼鱗騎士団、そしてフォローダ防衛隊の騎士たちが、一斉に歓声をあげ始める。
中でもひと際大きな歓声をあげながら、テミス達を取り囲むように最前で猛っていたのは白翼騎士団の騎士たちで。
彼等は自分達も歓声をあげながらも、己が身を盾としてフリーディア達へ駆け寄らんと押し寄せる騎士たちの前に立ちはだかり、一定の距離を保たせていた。
「ハッ……ハッ……ッ……!!!」
一方。
鳴りやまない歓声の中心で佇むテミスは、明滅する視界に歯を食いしばりながら、全力で脚に力を籠め続けていた。
身体が鉛のように重たい。ぐるぐると世界が回転し、地面の感覚が薄れていく。
どうやら血を流し過ぎたらしい。だが何故……?
薄らいだ意識の中で、テミスは何処か冷静にそう現状を判断すると、まるで他人事のように思考を巡らせ続ける。
今日の模擬戦では傷一つ負ってはおらず、以前に受けた傷口が開いた事を除けば、血を流す要素など一つとして無かったはずだ。
ならば、開いた傷口の出血量が予想を超えていたのか……?
否。それほどまでの流血ならば、衣服はとうに赤く染まっているはずだし、流れ出た血が地面を濡らしているはずだ。
「…………。あぁ……そう……か……」
フラフラと上体を傾がせながら、テミスは一つの可能性に思い至ると、掠れた声で呟きを漏らす。
思い直してみれば、アイシュとの戦いを終えてからまだ日が浅い。加えて、今回の傷にはテミスの魔法による治療も、魔族的な魔法による治癒も施してはいない。
つまり、アイシュとの戦いで失った血が戻り切る前に、再び少なくない量の血を失ったのだ。
許容量が普段よりも著しく落ちているのは、当然の話だろう。
「これは……マズ……ッ……!!」
急速に失われていく平衡感覚に、テミスがぐらりと大きく体を傾がせた時だった。
まだ倒れる訳にはいかない。あと少し。せめて、騎士たちの前から立ち去るまでは。
いくら心がそう叫べども、既に自らの意思を無視して崩れかけていたテミスの身体を、力強い腕が引き寄せて支えた。
それはテミスにとって予想外の出来事で。
薄らいでいた意識が、身体と共に現実へと引き戻される。
「フ……リーディア……」
「ごめんなさいテミス。無理をさせてしまったわ。でも……もう少しだけ堪えてッ……!」
「剣はボクが持っていくから心配しないで!」
「お前等ッ!! 道を開けろッ!! 各自、休息を取った後、俺達は次の訓練だ!」
だがそれも一時的なもので。
テミスの視界は再び揺らぎ始めるものの、己が身を半ば担ぐようにして力強く寄せられた身体からは、温かなフリーディアの体温が伝わってきて。
同時に遠くの方で、聞き覚えのある騎士の叫び声が木霊した。
「っ……! …………」
朦朧とする意識の中。
一歩。また一歩と。フリーディアの歩みに導かれるがままに、テミスは必死で歩き続けた。
幾らか不自然に映ってしまったかもしれないが、あの場で倒れ伏してしまうという決定的な場面は見せていない。
ならばあとは、ユナリアスやフリーディアが、いかようにでもうまく誤魔化すだろう。
役目は終えた。
些か働き過ぎたような気がしないでもないが、この訓練で得たものも大きい。
「クス……フフ……」
「ちょっ……!? テミス……? 正気を保って!! もうすぐ天幕につくわ! すぐに治療するから……!!」
胸を満たす思いにテミスが笑いを零すと、傍らのフリーディアが焦りを帯びた声で告げた。
周囲には既に、テミスとフリーディア、そして二振りの剣を回収してきたユウキしか居なかったが、意識が朦朧とし始めているテミスがそれに気付く事は無く、ぼんやりとした思考が加速していく。
魔法での治療に頼り過ぎていた所為で、色々と感覚が狂っている事がわかったのは大きい。
もしもこれが戦場だったならば、致命的失策も良い所だ。
「あぁ……良かっ……た……」
「ッ……!!! 良くないわよ!!! 何を言っているのッ!? ユウキ!! お願いッ!! 手伝って!!」
「任せてッ!! はい……! はやくっ……!!」
思考から漏れ出た言葉を嘯いたテミスに、フリーディアは顔を青ざめさせて叫びをあげると、大慌てでユウキと共に辿り着いた天幕の中へとテミスを運び込んだのだった。




