1981話 知る者たち、知らぬ者たち
テミスも参加する乱取り訓練は、全員が基礎訓練を終えた後、力尽きたフォローダ防衛隊の面々の為の休憩時間を設けてからとなった。
その間に、テミスの『お使い』を終えたユウキは、距離を空けて並び立つテミスとフリーディアを囲んで並び立つ騎士たちの中で、ニコニコと楽し気な微笑みを浮かべている。
不敵な笑みを湛えて仁王立つテミスの傍らには、巻き布で包まれた大剣が突き立っており、遠巻きにそれを眺める白翼騎士団の騎士たちの表情は、心なしか引き攣っているようにも思えた。
「……ねぇ。テミス。私、すっごく嫌な予感がするのだけれど……。貴女、また何かしたでしょう?」
「気のせいだろう。乱取りの予定に変わりはないさ」
「なら、ユナリアスがあんな顔をしているのは何故かしら? それに、そんなモノまで引っ張り出して来て何のつもりっ!?」
「さぁな……腹でも痛めたんじゃないか?」
「ッ……!! 貴女ねぇ……」
騎士たちに前に立つフリーディアは、騎士団長としての凛とした姿勢を崩さないまま、ボソボソと小さな声で隣のテミスへと語り掛けた。
内容はとても周囲の騎士たちに聞かせられたようなものではないのだが、テミスの耳を以てしても辛うじて聞き取れる程度の声量のため、周囲の騎士たちに聞かれる心配は無い。
だが、周囲の騎士たちに聞かれる危険を冒してまで投げかけたフリーディアの質問に、テミスは飄々ととぼけた答えを返してみせる。
どちらにしても、多少加えた変更点は、すぐにユナリアスから発表されるのだ。
いちいちコソコソと説明するのは二度手間というものだろう。
「あ~……皆、落ち着いて聞いて欲しい。これから行う乱取りは、実戦形式で行う」
「っ……!! テミスッ……!!!」
「クス……」
酷く重たい口調でユナリアスが告げると、周囲を囲む騎士達の間に、ざわざわと動揺が広がっていく。
同時に、そのざわめきに隠れて、フリーディアの怒りの籠った声と視線が隣から突き刺さるが、テミスはニヤリと微笑みを浮かべただけで黙殺した。
「静粛に。静粛に……! ……実戦形式と言っても、これは訓練だ。真剣を用いるのは君たちだけ。フリーディア団長は抜刀をせず、リヴィア殿は剣に巻き布をして相手をする」
ざわめく騎士たちを相手にユナリアスは声を張り上げると、再び静寂が訪れるのを待ってから言葉を続ける。
しかし、続けられた言葉を聞いた騎士たちの反応は綺麗に二分されており、露骨に安どの表情を浮かべる白翼・蒼鱗両騎士団面々に対し、フォローダ防衛隊に属する面々は、喧々囂々と怒りの声をあげ始めた。
なかでも、基礎訓練に参加していなかったテミスに対する非難は強く、ユナリアスが制止の声を張り上げるが、罵声交じりの声が止む事は無かった。
そして……。
「ッ……!! 傾注ッ!!!」
遂に。
我慢が限界に達したのか、ユナリアスは腰に提げた剣帯から剣を鞘ごと抜き取ると、石突を激しく地面に叩きつけて怒声をあげる。
所属する部隊は違えど、仮にも上官にあたるユナリアスの怒声は、周囲の騎士たちを黙らせるには十分な効力を発揮し、場には再び沈黙が訪れた。
「モルムス司令ッ! これはいったい――」
「――まぁ待て。こう言った事は、頭ごなしに抑え付けても意味は無いさ」
そうして訪れた静寂の中で。
怒りを露にしたユナリアスが、輪の外で眉間に深い皺を寄せているモルムスへ矛先を向けかける。
だが、その声が皆まで紡がれる前に。
ゆらりと足を引きずりながらユナリアスの隣へ進み出たテミスが、モルムスへとあげられかけた苦情を制した。
「リヴィア殿ッ……!? しかし……今の暴言は幾らなんでも……!!」
「構わんさ。なぁ、お前達。一度吐いた言葉は呑み込めんぞ? 死なない程度に手加減はしてやるから、私を斬り殺す気でかかってこい」
テミスが制して尚、怒りの治まらない様子のユナリアスに、柔らかに言葉を投げかけてから、テミスは周囲の騎士たちを煽り立てるかの如く、朗々と叫びをあげた。
朗々と放たれた挑発は目に見えて効果を発揮し、誇りを逆撫でされたフォローダ防衛隊の面々は、鼻息荒く次々と抜刀を始める。
その様子を、主にフリーディアの周囲に集った白翼騎士団と蒼鱗騎士団の者達は、無知な子供を眺めるかのような、生暖かい視線で眺めていて。
「ユナリアス。開始の合図を。間違っても輪から出る前に始めるなよ!」
「ッ……! く、くれぐれも気を付けるんだよッ!!」
怒りと苦笑を一身に浴びるテミスは、元の位置へと踵を返しながら、静かな声でユナリアスに告げた。
場は既に、テミスの挑発によって一触触発の熱気を帯びており、ユナリアスもこれ以上の引き延ばしは危険だと判断したらしく、一言だけ忠告を残して輪の外へと走り去っていく。
そして。
「そ、それでは……総員抜刀ッ……!! 構えてッ…………はじめッ!!!」
輪の外へと離れたユナリアスの声が訓練の開始を宣言した瞬間。
二種類の気迫を帯びた鬨の声が、猛々しく木霊したのだった。




