1980話 疑心を受けて
騎士たちが基礎訓練を終えたのは、訓練開始から約一時間が過ぎた頃だった。
尤も、基礎訓練を終えたのはフリーディアとユウキ、そして白翼騎士団と一部の蒼鱗騎士団の騎士たちのみで。
残りの蒼鱗騎士団の者達と、そこから大幅に周回遅れを喫しているフォローダ防衛隊の面々は、フリーディアが飛ばす檄を受けながら、死に体の様相で足を動かしている。
その頃には、テミスは既に騎士達の訓練を眺め続けるのに飽き、ぼんやりと空を漂う雲の数を数えていたのだが。
「ねぇねぇ。テミス」
「なんだ……?」
そこへ駆けてきたのは、少し前までフリーディアと肩を並べて駆けていたユウキで。
かなりの距離を相応のペースで飛ばしていたにも関わらず、ユウキにはまだまだ余裕が残っており、寧ろ今にも走り出しそうな有り余った元気すら感じられた。
対するテミスは、既に退屈によって気力をかなり消耗しており、ユウキの呼びかけに反応こそ返したものの、ぼんやりと空を見上げた視線は微動だにしない。
「えっと……そろそろ皆の訓練が終わるみたいだけれど、準備しなくても大丈夫なの?」
「この訓練はモルムスに見せるためのものなのだ。訓練というよりは演武に近い。そんな事にわざわざ、無用な体力を消耗しようとは思わんよ」
「あはは……そう言うと思った……。でも、さっき走ってるときに少しだけ聞いてきたけど、フリーディアさまは本気でやるみたいだよ?」
「……なんだと?」
見ただけで脱力しそうなほどに気怠さを露にしながら、ユウキに言葉を返していたテミスだったが、朗らかに告げられた言葉にピクリと眉を跳ねさせる。
その間にも、ぴょこんと身軽な動きでテミスの隣へと腰を下ろしたユウキは、その勢いのままごろりと地面の上に寝転がると、視線だけをテミスへ向けて言葉を続けた。
「一応ボクは、テミスは怪我してるのに? って聞いたんだけれどね……。その程度で手を抜いていたら自分が痛い目を見るからって言ってた」
「ハァ……ったく……あの馬鹿は何を考えているんだ……。いや……何も考えていないのか……」
「他にもいろいろ、モルムス司令の前だから~とか言ってたけれど、ボクが聞いた感じだと、テミスが舐められているのに怒ってるみたいだったよ?」
「フム……」
明るい声で続けられたユウキの報告に、テミスは静かに喉を鳴らしながら、ゆっくりと体を起こす。
すると、地上の様子が視界の中に入ってきて。その向こう側から、疲弊しきった騎士たちの恨みの籠った視線が、自らへと向けられているのを認識する。
確かに。と。
テミスは自身へ向けられた恨みの目を歯牙にかける事すら無く受け流すと、今もなお彼等を叱咤し続けているフリーディアへ視線を向け、胸の内でひとりごちる。
昨夜の会談でモルムスが何をフリーディアに告げたのかは知らない。
だが、この状況を鑑みるに、どうやらフォローダ防衛隊の者達から舐められているというのは事実らしい。
元よりテミスの事を知る白翼騎士団の者達や、テミスの戦いぶりを知る蒼鱗騎士団の者達と比べるのは酷な気もするが、それでも向けられた視線が不快である事に変わりはない。
「ま……連中からすれば私は、他の騎士たちがピンピンしている中、客将の癖にただ一人派手に負傷した愚物であろうからな。そんな奴が、訓練にすら参加する事無く、こうしてだらけていれば、苛立つのも無理はあるまい」
「あはは……だらけている自覚はあったんだね……」
「あまりに暇だったからな。……ともあれ、そうか……だとするならば……。おーい! ユナリアスっ!!」
飄々と言ってのけるテミスに、力無い微笑みを浮かべてユウキが言葉を返す。
だが、テミスの表情は既に悪戯を思い付いた子供のように生き生きとしたものに変わっており、基礎訓練を終えた蒼鱗騎士団の面々を労う為に席を外していたユナリアスを呼んで声をあげる。
「あっ……。また何かワルいこと、企んでるでしょ?」
「なにを人聞きの悪い。何も悪い事を企んでなどいないさ。ただ、そういう方向性の訓練ならば、少々趣向を添えてやろうと思ってな」
「一回……鏡を見た方が良いと思うよ? だって、すっごく悪い顔してるもん」
「気のせいだ。っと、あぁ、ユナリアス。呼び付けてすまない」
テミスの呼び声に気付いたユナリアスが駆けてくる間、テミスの表情に気付いたユウキは、横たえていた体を起こして得意気な笑みを浮かべる。
しかし、テミスは肩を竦めてその言葉を否定すると、微笑みを不敵な笑みへと変えてユナリアスを迎えた。
「この後の乱取りだが、予定では訓練用の木剣を使うのだったな?」
「そうだよ。数が足りない分は、鞘に納めたままの剣で代用する予定さ」
「クク……なら、少し予定を変更しよう。フリーディアの奴は……よし、ちゃんと帯剣しているな。ユウキ。すまないがひとっ走り、天幕から私の大剣を持って来てくれないか? 私の足では少々時間がかかり過ぎる」
「くふふっ……! 了解ッ! すぐ取ってくるね!」
テミス達の元まで辿り着いたユナリアスが口を開く前に、テミスは淡々と問いを発する。
その問いに、ユナリアスは何の疑問を抱く事も無く答えたものの、直後に怪し気に喉を鳴らしてみせたテミスに気付き、表情をこわばらせた。
だが時は既に遅く、テミスはユナリアスが止める間も無く頼みを告げると、それを受けたユウキは楽し気な笑い声を残して、風のように駆け出して行ったのだった。




