1978話 寝覚めの一撃
モルムスの急訪による激動の一日が過ぎた朝。
ユウキとの対話を経て、改めて不労の意思を固めたテミスは、今日も今日とて陽が昇った後も簡易ベッドに潜り続け、ひたすらに惰眠を貪っていた。
尤も、アイシュとの戦いを終えたテミスが、普段よりも強い眠気に襲われているのは事実で。
テミス自身はそれが自らの身体が受けた傷を治癒しているが故のものであり、少し歩き回っただけでも襲い来る心地の良い疲労感に身を任せれば、ファントの自室と比べれば格段に寝心地の落ちる簡易ベッドであっても、簡単に寝入る事ができる特典程度にしか考えていないのだが。
けれど、それをこの場で知識として知っているのは、医療技術の進んだ彼の世界での記憶を持つ、テミスとユウキくらいのもので。
「…………」
「フリーディア。やはり無理を強いるのは良くないと思う。彼女は怪我人なんだよ?」
「それでも。よ。いつまでもぐうたらと眠っていては鈍るばかりだわ。幸い、今はモルムス司令も来ているのだもの、ちょうどいい機会じゃない」
「っ……」
つまり、今自身の傍らに立つ気配を感じながらも、狸寝入りを決め込んでいるテミスを見下ろしている、フリーディアとユナリアスにその『常識』は適用されていない。
とはいえ、自身も戦いで傷を負った経験がある筈のフリーディアは、怪我をすれば体力が落ち、酷く眠くなる事くらい既に己が身を以て体験している筈なのだが……。
「眠気や気怠さなんて、少し体を動かせば吹き飛ぶわよ。私もけがは何度もしたけれど、毎日の鍛練だけは欠かさなかったもの。だから……ほら、テミス! 起きて! 起きなさいったら!!」
「…………」
ああ駄目だ。どうやらフリーディアは、脳の髄まで気力が万能の霊薬であるかのように扱われる、根性論という病に支配されているらしい。
頑なに目を瞑ったまま、傍らに立っているらしい二人の会話に聞き耳を立てていたテミスは、内心で制止するユナリアスを全力で応援していたものの、さらりとその言葉を受け流したフリーディアの理論に頭を抱える。
そして数度声を掛けても反応を示さないテミスに業を煮やしたのか、遂にフリーディアは目を瞑ったテミスの頬をピシャリピシャリと叩きながら、徐々に怒鳴り声が音量を増していく。
「テミスッ! 起・き・な・さ・いッ!! テミスッ!!」
「ッ……!」
どうやら、フリーディアは意地でも叩き起こす手を止める気は無いらしい。
せめてもの抵抗として、テミスは頬を叩かれて尚も、寝返りを打って居眠りの内へと逃げ込む構えを見せたのだが、フリーディアの手が止まる事はなく、遂には肩を掴んで身体を揺らし始める。
だがそこは、テミスがアイシュとの戦いで受けた無数の傷の中でも、もっとも深い一太刀を受けた場所で。
「痛ゥッ……!!! この馬鹿フリーディアッ!!! 触れて良い場所と悪い場所くらい弁えろ馬鹿がッ!! ッ~~~~!!!」
「えっ……!? ……ッ!!!」
瞬間。
ズキリと全身を稲妻の如く走った鋭い痛みに、テミスは堪らずうめき声をあげると、怒りを込めて罵声を叩きつけながら跳ね起きた。
しかしその軌道上には。
当然テミスに覆い被さるようにして身体を揺さぶっていたフリーディアの頭がある訳で。
渾身の力を込めて跳ね起きたテミスの頭は弧を描くと、襲撃者の頭へ吸い込まれるかの如く強烈な頭突きを喰らわせ、頭蓋のぶつかり合う鈍い音を天幕の内に響かせた後、テミスとフリーディアはその場で声なき悲鳴をあげながら悶絶する。
「ぐッ……ぉぉぉぉぉぉっっ……!! ふ、ふざけるなよフリーディアッ……!! 怪我人の寝込みを襲うとはいったいどういう了見だッ……!!!」
「っ~~~~!!! ッ……!!!!」
「あ~……っと……。その……大丈夫かい? フリーディア」
簡易ベッドの上で、打ち付けた頭を抱えた格好でテミスは恨み言を吐くが、何故か返ってくる言葉は無く、代わりに酷く気遣わし気なユナリアスが、ベッドの傍らの地面に倒れ伏し、頭を押さえてのた打ち回るフリーディアへと声を掛けていた。
どうやら、先ほどの一撃は当たりどころが悪かったらしい。
最も固い頭頂部を以て放たれたテミスの頭突きは、フリーディアの側頭部を捉えたらしく、衝突から数秒過ぎた今も頭を押さえてピクピクと痛みを堪えている。
「……。ハッ……!! 馬鹿が……! 人の寝込みを襲うから痛い目を見るんだ! せいぜい猛省しろ……!!」
「くっ……ぅぅぅ……っ……!!」
そこから更に数秒の後。
頭を押さえていた手を片方降ろしたテミスは、チラリと傍らの地面で蹲るフリーディアが庇っている側頭部へと視線を送ってから、吐き捨てるように言葉を投げつけた。
当たりどころが悪かったとはいえ、どうやら見たところ先ほどの衝突は、怪我に繋がるほどのものでは無かったらしい。
かなりの痛みと衝撃があったものだから、下手をすれば頭が割れてしまっているのではないかとすらテミスは思ったが、痛みがピークを越えた今でもベッドの上に鮮血が滴る事は無く、フリーディアの方も押さえた手の隙間からドロリと赤い血が零れてはいない。
「ったく……酷い寝起きだ。それで……? こうまでして私を叩き起こしたんだ。相応の用件なのだろうな?」
そんなフリーディアを尻目に、テミスは僅かな痛みの残る自身の頭頂部を撫でながら嘯くと、傍らで引き攣った笑いを浮かべているユナリアスを睨み上げて問いかけたのだった。




