1977話 暗躍の終わり
「まずは……ボクを解放してくれてありがとう。おかげで、今こうしてキミとお話ししたり、皆のために戦う事ができています」
「ただの利害の一致だ。礼を言われる筋合いは無い」
静かに紡がれた前置きの後、真っ直ぐに自らの目を見つめて告げられたユウキの言葉に、テミスは視線を逸らしながらぶっきらぼうな声で答えを返す。
確かに、ユウキの待遇に苛立ちを覚えたのは確かだが、事実としてテミス達に戦力的な余裕はなく、もしもユウキを味方に引き込む事ができたのなら、その大きさは計り知れなかった。
だからこそ、営倉でユウキの言葉を聞いたテミスは、彼女をこのまま捕虜として飼い殺すよりも、味方として引き入れた方が合理的だと判断したに過ぎない。
故に利害の一致。
それに対して、ユウキは既に十分過ぎるほどの戦果を以て応えており、テミスとしてはそれだけで十分であり、改めて礼を言われるような事ではなかったのだが……。
「それでもだよ! これはボクの想像だけれど、ボクをあの部屋から出すために、すっごい無茶をしたんでしょ?」
「…………」
「ボクには難しいことはわからないけれど、それくらいはわかるよ? ちゃんとした手順で出せるのなら、あんな風に戦いの真っ最中に出したりなんてしないもん」
「偶然だ。必要が必然であるが故に、私は一番最適だと考えた手段を取ったまでだ」
純粋で無垢なユウキの瞳から逃れるように、テミスは湖の彼方へと視線を逃しながら、務めて淡々とした声で答えを返す。
ユウキの一件が無くとも、アイシュが偵察に来ていた点を踏まえれば、何かしらの対抗手段を取る必要はあった。
先の戦いの結果を鑑みても、ネルード公国の有する予備戦力の誘因・撃滅は必須事項だったし、手段と戦場が変わるだけの事だろう。
だがもしも、フリーディア達と同じ戦場でテミスがアイシュと相まみえていた場合、周囲への被害がどれほどのものになったかは、テミス自身であっても想像が付かない。
ともすればこちらの船もテミス自身も傷一つ負う事無く完勝できたかもしれないし、逆にこちらが惨敗を喫していた可能性もある。
だが一つだけ確実に言えるのは、ユウキを解放して戦った今が、少なからず被害こそ出ているものの、考え得る状況の中では最善であるという事だろう。
「なら、キミの策は本当にこれで終わり? まだ何か、皆に内緒で、一人で頑張ろうとしているんじゃない?」
「っ……!」
「……これがボクの聞きたい事。邪魔をするつもりはないし、キミに助けてもらったボクが何か言うことでもないんだけれどね」
続けて告げられた問いは、平常心を以て話を聞いていたテミスの心を乱すには十分で。
テミスは半ば反射的にピクリと眉を跳ねさせた後、既に暗闇と化した湖へと向けていた視線をユウキへ戻していた。
「それ。ボクも手伝わせてくれないかな? 助けてもらった恩を返したいんだ」
「……必要無い。そもそも、これ以上は何も企んでなどいない。まともに歩く事すらできないこの身体では、何を企もうともしばらくは無理だろう? それでも……お前がどうしてもと言うのなら、感謝の気持ちだけは受け取っておく」
テミスが言葉に詰まった一瞬を突いて、ユウキは更に言葉を重ねるが、テミスは瞬く間に平静を取り戻すと、溜息と共に意思を告げた。
告げたその言葉に嘘は無く、テミスの内の一案として考えている作戦はあったものの、それは自身の怪我だけでなく、作戦を遂行するにあたって未だ解決し切れていない問題が多く、既に諦めを付けているものだった。
「十分だ。先の戦いでヴェネルティの動きはさらに鈍くなるだろう。上手くいけば、ヴェネルティの足並みを乱す事ができているやもしれない。戦果としては上々。後はフリーディアの奴が上手くやるさ」
「…………。そっか」
まるで自らに言い聞かせているかのように会話を締めくくったテミスに、ユウキは曖昧な微笑みを浮かべると、ただ一言だけ相槌を返した。
もしも、テミスが黒銀騎団を率いてこの場に居たのなら、敵の趨勢を突き崩した現状を好機とみて、一気に決着をつけるべく攻勢に出るだろう。
だが、今この場に居る戦力では、それを可能とする機動力も戦闘力も無い。
更に先ほど怒鳴り込んできたモルムスや、ロンヴァルディア本国のお偉方との折衝など、白翼騎士団という独立部隊を率いているとはいっても、彼女たちはあくまでも国家に属する部隊。
その辺りのしがらみから逃れることは不可能であり、最悪の場合背中から撃たれる可能性だってある事を、テミスは己が身を以て経験している。
「その辺りの機微は、アイツの方が私よりずっと巧いからな。当面の間は大人しくしているさ」
「じゃ、何かする時は、絶対ボクも手伝わせてねッ! そっちの方が、楽しそうだし!」
その辺りの事情も鑑みて、テミスは自身の方針を偽る事無く告げると、肩を竦めてニヤリと意味深に微笑んで見せた。
いくらフリーディア達が仕事の虫とはいえ、重症を負った者まで駆り出す程の鬼畜では無い筈だ。
だから自分はしばらくサボり続けるぞ……。と。そう意を込めてテミスは告げたのだが。
ユウキは言葉をそのまま素直に受け取ったらしく、そんなテミスにニコニコと屈託のない笑みを浮かべて、朗らかに告げたのだった。




