1973話 言葉無き密約
「……魔族と共に肩を並べるなど冗談ではない。魔族は悪で戦うべき敵。私たちは生まれてからこの方、ずっとそう教えられてきたのだッ!!」
長い逡巡の後。
モルムスが漸く捻り出したといった様子で告げたのは、血を吐くような拒絶の言葉だった。
だが、腰のナイフを握っていた手は既に離れており、何かを堪えるかの如く固く握り締められている。
「そうか……残念だ……」
「だがッッッッ!!!! 貴官は人間なのだろう? リヴィア殿」
「……っ!」
その答えに、抑揚のない声で相槌を打ったテミスの、抜き放たれたままの刀の柄を握る手に力が籠る。
しかし間髪を入れず、力の籠った声色で続けられたモルムスの言葉に、テミスは音も無く鎌首をあげかけた腕の動きを止めた。
「貴官がここに居るという事は、ノラシアス様も了承しての事なのだろう。ならば一介の指令官である私が口を出す事ではあるまい」
「…………。ハ……どの口が今更……。ならばお前はここに、何をしに来たと言うんだ?」
「私はただ、今後パラディウム砦へと送る人材や物資の輸送計画について、綿密な打ち合わせをすべく出向いたまで。貴官に出向いてもらった理由は、入港許可を頂戴する為だ」
「フムン……?」
モルムスの導き出した答えに、テミスは小さく喉を鳴らすと、意地の悪い流し目を向ける。
テミスが名を明かしたにもかかわらず、モルムスはテミスの事を偽名であるリヴィアと呼んだ。
つまるところ、モルムスは今後もテミスの事を、フリーディアとの縁故で助太刀に来た元軍団長ではなく、あくまでも白翼騎士団にスカウトされた冒険者であるリヴィアとして扱うつもりらしい。
最初に出した結論でも、あえて自分一人ではなく、私たちと言った辺り、モルムスの旗下であるフォローダ防衛隊の面々の心境も鑑みての発言なのだろう。
要は、戦力は欲しいけれど、魔族は嫌だ。だから、人間の冒険者という立ち位置の『リヴィア』の力を借りるという建前に縋ったのだ。
「……私個人の心境を語るのなら、今の我々に手段を選んでいる余裕が無いと痛感したからこそ、全面的に白翼騎士団及び蒼鱗騎士団の支援にあたるべきだとは理解している。だが、その事実を周知してしまえば反発は必至。得策ではないだろう」
「先ほどまでの話で見聞きしたことは、何も聞かなかった事にすると?」
「喧伝してみせた所で我々に得は無いと私は考えるが? 尤も、戦況や敵の兵器の情報に関しては、私の中で認識を改める事にするがね」
「クス……ま、及第点といった所か。フリーディアの奴でも無し、誰とでも仲良しこよしに手を繋ぐ趣味など私には無いのでな」
慎重に言葉を選びながら続けるモルムスに、テミスはクスリと含みのある笑みを浮かべると、抜き放ったまま手に携えていた刀を鞘へと納める。
指揮官であるモルムスが一人で納得したとて、これからもフォローダ防衛隊の面々と現場での軋轢は免れないのだろう。
しかしこれで、これまでのようにフォローダ防衛隊と、フリーディア達が表だって対立する事は避けられるはずだ。
今必要なのは友好ではなく協力だ。目的を同じくする者同士が食らい合うのは無駄でしかないし、敵と戦っている間に背中を刺されることほど間抜けな事は無い。
「では改めて……リヴィア殿。我々フォローダ防衛隊の入港許可を願う」
「許可する……と、言いたい所なのだがな。どうやらその前に我等の主様がご帰還為されたらしい」
「む……?」
互いに握手を交わすでもなく、ただ意味深な笑みだけを向け合ったテミスとモルムスは、どちらからともなく立ち上がって向かい合うと、儀礼的なやり取りへと移行する。
けれど、それよりも僅かに早く、テミスの耳はこの場へと猛進してきているであろう、荒々しい足音を捉えていた。
故に、立ち上がったテミスは皮肉気に言葉を紡ぎながら、コツリ……と固い杖の音を響かせて、いつの間にか僅かに朱を帯び始めた陽の差し込む窓際へと移動する。
次の瞬間。
閉ざされた観音開きの扉の向こう側から、微かに何者かがかけてくる慌ただしい足音が響き始めて。
「モルムス司令殿。老婆心ながらご助言申し上げると、扉からは離れておいた方が良い」
「む……!」
肩を竦めて告げたテミスの言葉に従い、モルムスも窓際へと避難した時だった。
「モルムス司令ッ!! ご無事です……か……っ……!?」
ドガンッッ!! と。
観音開きの扉はけたたましい音と共に、蹴破られんばかりの勢いで開かれると、息を切らして飛び込んできたフリーディアが、鋭い声で叫んだのだった。




