1971話 秘中の秘
モルムスは紛れもない愚者ではあるが、使い道はある。
そう判断したテミスは、密かに胸の内で決意を固めると、静かに口を開く。
「確かお前は……モルムス……とか言ったな? 私が何者か判るか?」
「……? 何を言い出すかと思えば……下手な時間稼ぎは貴官自身の立場を悪くするぞ」
「かもしれんな。それで? わかるのか? わからないのか?」
「っ……! 名をリヴィア。フリーディア様が迎え入れた腕利きの冒険者で、階級は最上位のSランク。同Sランク冒険者である雷光のルードとの面識もあるらしいな?」
「ホゥ……? よく調べている」
淡々と問うテミスに、モルムスは顔を顰めて苦言を呈したものの、挑発的な笑みと共に問いを重ねると、低く抑えた声でテミスの……否、リヴィアの素性を語り始めた。
だがそれは、あくまでも白翼騎士団の一員として参加している『リヴィア』のもので。
恐らくは彼独自で調べ上げたのだろう、冒険者ギルドが開示しないはずのルードとの関係まで掴んでおり、テミスは感心したように小さく眉を吊り上げた。
「だが、それは私であって私ではない」
「言っている意味が分からないな。端的に言い給え」
「…………」
極めて婉曲に、勿体を付けて語るテミスの言葉を、モルムスは真っ向から淡々と斬り伏せてみせた。
しかし、テミスはその問いに僅かな沈黙を返すと、微かに喉を鳴らして逡巡を露にした。
ここで自身の正体を明かす事は、今後ヴェネルティ連合との戦いを考えれば大きなメリットはある。
だが相手は、フォローダの町でフリーディア達と相対していたモルムスだ。フリーディアへの相談も無しに正体を明かす事は当然大きなリスクが付き纏うし、最悪の場合を想定するのならば、テミスの存在を黙認したノラシアスの失脚やモルムス一派との内戦にまで発展する可能性も視野に入れるべきだろう。
「どうした? 苦し紛れの言い訳も尽きたか?」
「……いいや、見定めていただけさ。お前の器をな」
「面白い冗談だ。貴官が今すべきは贖罪と弁明であり、そのような事をしている場合ではないと思うが?」
「フッ……まぁ良いか……」
逡巡を重ねるテミスをモルムスは挑発するが、テミスは手に握ったままの白刃へチラリと視線を向けると、不敵に口角を釣り上げて呟きを零す。
フォローダ防衛隊を統括するモルムスは、ロンヴァルディア陣営の中でも重要な役職を担う者ではある。
だが、その重要度を以ても、新たな戦いの火種となる可能性とでは比べるまでも無く。
もしもモルムスの出方が、テミスの想定する最悪のものであったのなら、この場で斬り捨てるのもやむを得ない。
そう心を決めたテミスは、一息を吐いてから息を吸い込むと、紅の瞳を煌々と輝かせてモルムスを見据え、静かに口を開いた。
「私の名はテミス。お前達にとっては、元・魔王軍第十三軍団長と昔の肩書を名乗った方がわかり易いか?」
「な……に……っ……?」
ポロリ……と。
テミスが真の名を告げた途端、ピクリと震えたモルムスの肩の動きに合わせて、煙草の先に溜まっていた灰が音も無く落ちる。
しかし、落ちた灰が膝を汚そうとも、モルムスがそちらに意識を割く余裕はなく、驚きに見開かれた眼はテミスの目に釘付けになっていた。
「諸々の話を始める前にまず、対外的な話をしておこう。名乗った肩書の通り、元は敵であった私がロンヴァルディアの問題に介入するのは外聞が悪い。しかし、ロンヴァルディアは戦力を必要としている。故に私は、リヴィアと名を偽り、フリーディアに手を貸してやっているという訳だ」
「っ……!! 馬鹿な……!! そんな……っ……!?」
「次にお前に私の名を明かした理由だが、一番の理由は今我々が争――」
「――待て待て待てッ!! 待ってくれ……!!! 貴官が……あの……?」
淡々と話を勧めようとするテミスの言葉を遮って、モルムスは上ずった声で叫びをあげると、己の額に手を当てて頭を抱え込む。
テミスの正体を知った途端、モルムスを襲った緊張はその額に滲み出た脂汗の量が物語っており、俄かに震え出した煙草を持つ手が、受け止め切れぬ衝撃の大きさを表していた。
「証明はしない。そも、必要あるまい? お前にこの事実を明かした……それほどまでに状況は切迫しているのだと理解しろ」
「ッ……!! つ……まり……! その怪我は……」
「クク……。理解が早いようで何よりだ。この怪我は偽りではない。如何に気に入らない相手であろうと、我々がいがみ合っている場合ではないのだよ」
震え出したモルムスに、テミスは悠然とした態度でそう告げると、遅れてその真意を理解したらしいモルムスの顔が蒼白に染まる。
次々と叩き込まれる予想外の事実に混乱するモルムスを前に、テミスは朗々とした口調で語りながらも、その目には眼前の男を推し量るかのように、冷ややかな光を宿していたのだった。




